上田敏「海潮音」

 
 愛の教

アンリ・ドゥ・レニエ




           よる
 いづれは「夜」に入る人の
 
 をさな心も青春も、
 
 今はた過ぎしけふの日や、
 しようよう
 従容として、ひとりきく、
  ふゆひちりき
 「冬篳篥」にさきだちて、
 
 「秋」に響かふ「夏笛」を。
   げんせ
 (現世にしては、ひとつなり、
 
 物のあはれも、さいはひも。)
             がく
 あゝ、聞け、楽のやむひまを
  ながつきひめ    はづきひめ
 「長月姫」と「葉月姫」、
 
 なが「憂愁」と「歓楽」と
             しめ
 語らふ声の蕭やかさ。
 
 (熟しうみたるくだものゝ
              たわ
 つはりて枝や撓むらむ。)
         そよかぜ
 あはれ、微風、さやさやと
  いぶき         こがらし
 伊吹のすゑは木枯を
                 う
 誘ふと知れば、憂かれども、
      こがらし
 けふ木枯もそよ風も
                 うまい
 口ふれあひて、熟睡せり。
            なつみどり
 森蔭はまだ夏緑、
 
 夕まぐれ、空より落ちて、
       ね
 笛の音は山鳩よばひ、
                 そそ
 「夏」の歌「秋」を揺りぬ。
あけぼの 
 曙 の美しからば、
 
 その昼は晴れわたるべく、
 
 心だに優しくあらば、
      よる
 身の夜も楽しかるらむ。
                       か
 ほゝゑみは口のさうび花、
        がみ わげ
 もつれ髪、髷にゆふべく、
  ま しみづ
 真清水やいつも澄みたる。
                      のり
 あゝ人よ、「愛」を命の法とせば、
 
 星や照らさむ、なが足を、
           よる
 いづれは「夜」に入らむ時。



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