上田敏「海潮音」

 
 延びあくびせよ

フランシス・ヴィエレ・グリフィン




  の            かたはら         う
 延びあくびせよ、傍 に「命」は倦みぬ、
       あさけ                うまい
 ――朝明より夕をかけて熟睡する
         ろう      つか
   その臈たげさ労らしさ、
            め
   ねむり眼のうまし「命」や。
 
 起きいでよ、呼ばはりて、過ぎ行く夢は
  おほかげ
 大影の奥にかくれつ。
         ためらひ
 今にして躊躇なさば、
             しるべ
 ゆく末に何の導ぞ。
 
 呼ばはりて過ぎ行く夢は
         くしび
 去りぬ神秘に。
 

                   かて  たにぎ
 いでたちの旅路の糧を手握りて、
 あゆみ      はや
 歩もいとゞ速まさる
 
 愛の一念ましぐらに、
 
 急げ、とく行け、
 
 呼ばはりて、過ぎ行く夢は、
                 こ
 夢は、また帰り来なくに、
 

          は
 進めよ、走せよ、物陰に、
 おそれ         しんえん
 畏をなすか、深淵に、
 
 あな、急げ……あゝ遅れたり。
                        うまい
 はしけやし「命」は愛に熟睡して、
  たくづぬ しろただむき
 栲綱の 白腕 になれを巻く。
      ああ
 ――噫遅れたり、呼ばはりて過ぎ行く夢の
 
 いましめもあだなりけりな。
 
 ゆきずりに、夢は嘲る……
 

 
 さるからに、
 
 むしろ「命」に口触れて
         う
 これに生ませよ、芸術を。
  むごん  いの
 無言を祷るかの夢の
              むへん        あこが
 教をきかで、無辺なる神に憧るゝ事なくば、
 
 たちかへり、色よき「命」かき抱き、
                と は
 なれが刹那を長久にせよ。
 
 死の憂愁に歓楽に
 れいみようおん
 霊妙音を生ませなば、
       な   あと
 なが亡き後に残りゐて、
 
 はた、さゞめかむ、はた、なかむ、
 
 うれしの森に、春風や
 
 若緑、
  こ ぞ   あこぎ
 去年を繰返の愛のまねぎに。
              ほほゑみ  はえ
 さればぞ歌へ微笑の栄の光に。



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