寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




   ね づ ごんげん              きてい
 意根津権現の境内のある旗亭で大学生が数人会していた。
 
 夜がふけて、あたりが静かになったころに、どこかでふくろうの
 
鳴くのが聞こえた。
 
 「ふくろうが鳴くね」
 
と一人が言った。
 
 するともう一人が
 
 「なに、ありやあふくろうじやない、すっぼんだろう」
 
と言った。
 
 彼の顔のどこにも戯れの影は見えなかった。
 
 しばらく顔を見合わせていた仲間の一人が
 
 「だって、君、すっぼんが鳴くのかい」
 
と開くと
 
 「でもなんだか鳴きそうな顔をしているじゃないか」
 
と答えた。
 
 皆が声を放って笑ったが、その男だけは笑わなかった。
 
 彼はそう信じているのであった。
 
 その席に居合わせた学生の一人から、この話を開かされた時には、
 
自分も大いに笑ったのではあったが、あとでまたよくよく考えてみ
 
ると、どうもその時にはやはりすっぼんが鳴いたのだろうと思われ
 
る。
 
 ……過去と未来を通じて、すっぼんがふくろうのように鳴くこと
 
はないという事が科学的に立証されたとしても、少なくも、その日
 
のその晩の根津権現境内では、たしかにすっぼんが鳴いたのである。
 
(大正九年九月、渋市)


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