さわやか日記エッセイ
(2005.3.15〜6.21)

  English Dary   新聞投稿集 

 今日は昨日の明日  クリントン大統領と森首相 

蜂の巣と孤独  謎のハンサム 恐るべし蟷螂の雌   心の傷がもたらす異常性  

悪魔は自分の心の奥に住んでいる  初恋はライラックの化身  猫族の儀式の一つ  

 幸せという花  理性と本能   逮捕された4名  幸せという花  理性と本能  

逮捕された4名  なぜ虐待があるのか 神代寺公園のバラ  神代寺公園のバラ  酒飲みの知恵   

いずれ菖蒲かNice Guy  眩しい世界  仕事突撃精神  現場が待っている   モテない男  山の音楽会 

 雨のため中止  真実の愛   神とは何か?   男の涙   ツルツル温泉  うつ病は必ず直る 


今日は昨日の明日   6月20日(月)

今日は昨日の明日であります。そして、昨日は一昨日の明日であります。同じ明日でも、視点が違いますとこのように同じではなくなります。希望を持って明日に向かって進め!と申しましても、それが、600万年前の明日なら過去に向かって進め!ということになります。

私は一体何を言っているのでしょうか? 自分でもよく分かりませんが、一昨日の明日、つまり、昨日の日曜日に優雅に年を取った私の嫁さんと、東村山にある北山公園に行ったのである、ということが言いたいのでございます。

何しに行ったのか? そんな質問をされても困るのでありますが、ようするに日曜日でありますので菖蒲を見に行った、ということであります。そんな暇があったら公園の公衆便所を掃除して、世のため人のために奉仕活動をしなさい、という方がいらっしゃると思いますが、そのことは肝に銘じて置くだけにします。

車で20分ほどの所にその公園はあったのですが、駐車場がなくて困ってしまった。路上駐車をしようと思いましたが、パトカーが行ったり来たりしておりますのでそれも出来ない。すると農家のおばさんが出て来て、500円で自分の庭に止めていい、ということになって大助かりであります。そのおばさん、臨時収入の500円できっとビールを買って飲むのだと思います。それで、500円ではなくて、1000円サービスいたしました。

おばさんはとっても喜びまして、何処からどう行けばいいのかを懇切丁寧に教えてくれた。l

「この川沿いを行くといいよ〜、途中で鯉が泳いでいるからゆっくり見てね〜」

「そのコイは、きっと初恋でしょうね?」

「・・・初恋? きゃははははははははは〜〜〜〜〜、あんた、おもしろい人だね〜〜〜〜、あははははっはっはっはっはっはー」

と、まあ、こういう可笑しな状況の中を私は嫁さんの後に追いて菖蒲園へと向かった。 あのおばさんが言ったように川には大きな鯉がたくさん泳いでおりました。太っておりましたので、嫁さんは自分と同じだと言って悩んでおりました。そこで、迷句が浮かんだ。

「あの鯉を、刺身にしたら、食えるかな」

すると嫁さんが応えた。

「食ったなら、臭い屁出して、死んじまう」

・・・さすが、優雅に年取った嫁さんであります。

菖蒲園は大勢の人々で混雑しておりました。高齢化社会を如実に現しておりまして、ほとんどの方々が高齢者でありました。仲の良い老夫婦、微笑ましいですね? 車椅子の方々も目立ちました。

満開の菖蒲、素晴らしい〜〜〜! 素晴らしい一昨日の明日の昨日でした。では、皆様方もごゆっくりとご覧ください!

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クリントン大統領と森首相  6月19日

5年前の沖縄サミットの後、クリントン大統領と森喜朗首相が挨拶を交わした。森首相はその日のために、夜も寝ないで昼寝して英会話の勉強をしていたと思われます。

森首相 :How are you?

クリントン:I'm fine, thank you. And you?

森首相 :Me,too.

うまくいけばこういうことになって、二人は握手し、肩を叩き合うはずであった。しかし、いざ本番となりますと、森首相はパニックになってしまった。ファーストレディ・ヒラリーさんが大統領の側に立っていたせいかもしれません。一国の長として、格好いいところを見せねばならない。その強い思念が冷静さを狂わさせてしまったのだ。森首相は大統領とヒラリー夫人の両方に視線を錯綜させながら、ぎこちない笑顔で叫んだ。

「Who are you?」

これにはクリントンもヒラリーもびっくりして目を白黒させた。そして、森首相のパニックは彼にも伝染した。

「I'm Hillary's husband !」

森首相にはこれが 「I'm fine, thank you. And you?」 と聞こえた。幻聴の一種であります。そして、すかさず答えた。

「Oh, me,too!」

クリントンとヒラリーは飛び上がって吃驚、いつの間に、3角関係が成立したのか、謎は謎を呼んで迷宮入りとなった。

以上はほんとにあった話であります。自信がなければ、場所をわきまえて生噛りの英語は使うべきではありませんね?

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蜂の巣と孤独  2005年06月18日

孤独の仕事が続いている。資材置き場の整理整頓、木材や単管パイプ、鉄骨、足場板、鉄筋、などの建築資材の使えるものと使えないものの選別、切断加工などの仕事であります。

孤独はいいものであります。19世紀のアメリカの詩人、Henry David Thoreau は都会を離れ、自然を友として暮らした方ですが、彼は

「孤独ほど仲間としてふさわしい仲間を、私はついぞ知らなかった」

と言った。なるほど、いまの私にはその心の内が分かるような気がいたします。

同じく19世紀のフランスの詩人、Robert Burns  さんは

「神は男性を創造したが、孤独さが足りないのを見て取って、孤独をもっと鋭く感じるようにと、女性の仲間を与えた」

と言っておりますが、なるほど、女性は男性が素晴らしい仲間を得るために神から使わされた存在、ということになりますね? しかし、それは孤独が友である場合であって、もし、孤独が嫌で、恐ろしいものである方には、孤独を強める女性は恐怖の存在ということになります。

それで19世紀末のロシアの劇作家、Anton Chekhov さんは

「孤独が恐ろしかったら結婚するな」 「男と女が結婚するのは、自分をどうしたらいいか分からないからである」

と言ったのだと思います。いずれにせよ、孤独はいまの私にはいいものであります。それで、私の嫁さんは口は悪いのですが、孤独という友を強めてくれる存在として重宝しております。

「孤独は私に歌いなさい」 と言う。それで、幸い広い場所で周囲には誰もおりませんので、ドラ声を張り上げて歌ったりしながら仕事をやっておるのでございます。自分では100年に一人出るかでないかの歌のうまい人間と勝手に思っております。それが間違いであったとしても、犯罪ではありませんので別に問題はないのであります。

私は”エーデルワイズ”を歌いながら、山積みとなっているコンパね枠を一つ一つ引きずり下ろし、バールとハンマーを巧みに使いながら、算木とコンパネに分離していった。しばらくして突然、目の前を複数の蜂が飛び交った。数年前、蜂に唇を刺されてひどい目に合ったことがある。それ以来、蜂恐怖症であります。

しかし、なぜか攻撃してこない。動作が緩慢で、おとなしく飛び交うのみであった。蜂は低温と湿気に弱い。肌寒くて小雨模様でしたので、勢いが削がれたと思う。これ幸いとばかり、私は枠板を引きずりおろした。すると、裏側の算木の陰に蜂の巣があったのであります。数匹の蜂が必死に蜂の幼虫を守っていた。

蜂と言えでも生き物、私を酷い目に合わせた存在ではありますが、生命は尊いものであります。その枠板を私はそっと持ち上げまして十数メートルほど離れた囲いまで運び、それに立てかけた。蜂は巣にくっ付いたまま動かなかった。

しかし、いずれはその枠板もバラさねばならない。その時は巣もかなり大きくなっていると思いますが、心を鬼にして追い払わねばならないということになります。小さい生き物を守るということ、大変難しいですね? 孤独が急に寂しく感じられました。

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6月12日(日)  謎のハンサム

世界三大美女といえばクレオパトラ、楊貴妃、小野小町のお三方ですね? 美人薄命、と言われますが、最初の旦那が兄さんだったクレオパトラは39歳で、楊貴妃は37歳で悲運な死を遂げておられる。

しかし、平安時代前期の小野小町は生没年不明、100歳まで生きていたとうでたらめな説もある。古代の39歳は現代の70歳に匹敵することから、美人薄命という単語は信憑性に欠けるかもしれません。

最近ではクレオパトラは背が低くて太っており、ワシ鼻で美人とは無縁であった、ということになっております。いずれにいたしましても「美人薄命」とは、病弱で、そのために死んでしまう、というイメージが大であります。

クレオパトラや楊貴妃など、健康体でしたので、反乱や暴動が無ければ150歳までは生きていたかもしれません。古代と現代とでは美人のタイプが全く違うということかもしれませんね?

それから、世界三大悪妻は、クサンチッペ(ソクラテスの妻)、ジョセフィーヌ(ナポレオンの最初の妻)、コンスタンチェ(モーツアルトの妻) となっておりますが、クサンチッペだけは違うようであります。ソクラテスが牢獄で死ぬ時、彼女はソクラテスの側につきっきりだった。

「あーた、あの世に行って、他の女と浮気しては駄目ですよ、わかった!」

「わかった。それより、お前こそ、俺が永遠の留守中に若いツバメと仲良くなったりしないだろうな?」

「ばかだねー、あんた! 遠く離れても二人の運命の赤い糸は切れないよ・・・」

そして二人は鉄格子越しにひしっと抱き合い、前歯を激突させて口づけをした。

なお念のために申し上げますが、これがほんとの話かどうかという問題は問題外ですので、卒論などの資料にはしないでください。

他のお二方、ジョセフィーヌとコンスタンチェはどうやら悪妻には縁が深いかもしれません。特にコンスタンチェは若いツバメで、美貌の持ち主・Xマンと一緒になるためにモーツアルトを毒殺した、という容疑がいまだかかっております。

ジョセフィーヌは「捨てないでくれー」、と懇願するナポレオンを殴り倒して、これまた若いツバメと駆け落ちしたのです。ナポレオンが1812年、ロシア遠征で57万の兵を失って大敗したのは、そのためだとも言われております。

暗くなりがちな話でしたので、最後に明るい世界三大をお伝えします。

三大微笑み、それは、モナリザの微笑み(レオナルド・ダ・ビンチ)、スフィンクの微笑み(エジプト・ギザ)、弥勒菩薩半跏像(奈良・中宮寺) となっております。

・・・私ですか? 実は私「ハンサム」なんです。しかし、それが世界中に知られますと全女性を不幸にし、人類を滅亡に追いやってしまう。それで徹底的にカムフラージュしておるのであります。

「世界三大謎のハンサム」そのトップとして今日も私は試練に耐えて、懸命に生きていかねばなりません。神に失敗作があるとすれば、それは私の超ハンサムかもしれません。

・・・ん、誰です、「世界三大超おめでたい男」と言ったお方は?

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6月11日(土) 曇り 小雨  恐るべしカマキリの雌

カマキリには、コカマキリ(4・5〜6cm)、ハラビロカマキリ(5〜6cm)、チョウセンカマキリ(6〜8cm)、オオカマキリ(7〜9cm)、などの11種類があります。目は複眼で、昼は黄緑色ですが夜になりますと黒色になります。それゆえ、夜でも獲物を発見して捕らえることが出来るのであります。昆虫だけでなく、蛙やトカゲなども捕らえて食ってしまいますから凄いですね? 子供の頃、草原や森の中でよく見かけ、その行動が大変おもしろくて長時間観察したものです。

雄は雌より一回り小さく、触角が長くて面長であります。雌は大きくて触角は短く、丸顔、・・・ちょっと人間の雌と雄に似ております。その雌が雄を喰らっている光景を何度か興味深く観察したことがあります。

まず、雌を発見した雄はゆっくりと近づく。雌は雄が近くにいることを察知し背を弓なりに曲げて尻のほうを上に向ける。それは受け入れ態勢OKという意味で、雄の本能を掻き立てる性フェロモン(性誘因化学物質)をその時に発散させるらしい。

しかし、それでいて動くものは餌という本能も同時に働いておりますので雄は慎重に行動する。うかつに動きますと餌と見なされて食われてしまうからだ。餌にあらずして雄である、ということだけを示して近づくためには、雌が目を逸らした時にのみ動かねばならない。

三歩進んで雌に気づかれたら停止、不動の姿勢をとる。それから様子を伺って再びそろりそろりと前進して不動の姿勢。片足を上げたときに気づかれたらその姿勢を維持したまま停止する。全く涙ぐましい奮闘であります。交尾を挑むカマキリの雄、命がけですね? ある意味では人間のオスも同じようなものかもしれません。

そして、至近距離まで近づきますと両者は静止したまま睨み合います。運命の短くて長い時間であります。実際、その睨み合いが2時間余りもかかったことがあります。優秀な雄は雌よりも早く行動し、その背中にさっと飛び乗るや、カマで雌の頭を挟み込んで食われないようにし、交尾に持ち込む。その行為が何と4時間にも及んだのです。凄い精力であります。そして、本懐を遂げますとさっと離れて飛び去ってしまいます。

しかし、要領の悪い雄は雌の先制攻撃を受けてまず胸を噛み付かれてしまう。しかし、下半身は雌の背中に乗せまして雄としての行動は見事に成し遂げます。雌は次に雄の頭を食い千切って食ってしまいます。上半身は180度反転して上を向いています。雌の食欲は性欲と合流して爆発、雄の身体を次々と食っていく。しかし、局部だけの雄はそれでも交尾行動を激しく行っているのであります。

信じられないかもしれませんが、雄は頭をちぎられますとその身体は激しい交尾行動を起こします。不思議な現象であります。雌に食われるような雄はその遺伝子散布は一回だけで、後は子孫の栄養源になることで一族の繁栄に貢献する。そして、雌の魔の手から逃れることの出来る優秀な雄は、その遺伝子を多くの雌にばらまいて一族の進化発展に寄与している、ということになります。

ここではカマキリの雌が残忍に思えますが、ところが実際は悲劇なのであります。雌に食われずに逃れた雄は次々と遺伝子をばらまくことが出来ます。つまり、生きる確率が高いということであります。しかし、雌の場合は一度の交尾による一度の産卵で死んでしまうのであります。なぜそうなるのか、よく分かりませんが、いずれに致しましても女の道は険しく、その使命は重大である、ということですね?

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5月4日(土) 曇り  心の傷がもたらす異常性  

9歳から13歳までの4年間、叔母夫婦にあずけられていた。学校から帰りますとモッコを担って山羊の草刈に出るのが日課であった。家には山羊が7頭ほどいて、腹が減るとメーメー泣いてうるさい。野原や山の麓で草を刈り、モッコにぎゅうぎゅう詰め込んで担ぎ、入らないのは束ねて頭に載せて持ち帰った。

帰りが遅いと門の入り口に叔父さんが隠れていて、背後からいきなり青竹で頭を殴ったりした。真面目に草を刈らずに遊んでいたのだろう〜〜、という判断からであった。学校の帰りが遅いときもそうであった。頭や背中、肩口など生傷の絶えない毎日であった。

学校の成績が優秀ということで賞状をもらい、褒めてもらえると喜んで帰ってくると、その賞状を破られ、記念品のノートと鉛筆はみな没収されて殴られた。偉そうな顔をするな〜〜〜、こんな紙切れがなんになるか、馬鹿やろ〜〜、と怒鳴られたのであります。

その叔父さんが歓喜に満ち溢れた、幸福の絶頂というような顔になるときがあった。年に数回、村の衆が集まって山羊を殺し、村中でご馳走する行事があった。その山羊を殺す役が叔父さんに与えられていた。

木の枝に逆さに吊るされた山羊の鳴く姿を見ておじさんの顔が輝く。長さ30センチ、刃渡り6センチほどの包丁を山羊の首筋にあてがい叔父さんは、声を引きつらせて笑った。

「今がお前の最後だ、観念しろ〜〜〜」

そして喉に包丁が深々と刺し込まれ鮮血が吹き飛ぶ。下にはバケツが置かれていて、その中に、吹き上がって流れ落ちる山羊の血が受けられるようになっている。バケツに半分ほど血が溜まったとき、もがき続けていた山羊は息絶える。その後、叔父さんは大声を張り上げて男たちを指揮し、皮を剥いで解体し、骨、肉、内臓を分別していった。

そして、火が焚かれ、大鍋に肉が投げ入れられてぐつぐつ煮込まれていくのであります。女たちによって泡盛が持ち込まれ、にぎやかな酒宴が始る。子供たちは一箇所に集まって大人たちが運んでくる山羊汁に舌鼓を打つ。そういう時が叔父さんの最高の幸せな時であった。生き物を殺す、そこに強烈な快感を持つということ、それは異常以外の何ものでもない。

ある日、そのおじさんが縁側に座ってぶつぶつ呟いているときがあった。何をしているのか、と不思議に思って塀の隙間から見ておりますと、煙草の火で足元を歩き回る蟻の一匹一匹を焼き殺していたのであります。

「天から大きな火が落ちてきて、お前らを残らず焼き殺す・・・、思い知れ〜〜〜」

私はぞっとなってその場から逃げ出した。その後、私は母に引き取られ、古里の宮古島を離れたのでありますが、現在、その叔父さんはアルチュウで入院している。・・・人はみな、多かれ少なかれ心に傷を持っている。その痛みは精神力とか、悟り、信仰ではどうにもならないものだ。3道楽に溺れて身を滅ぼすのも、犯罪を犯したり、虐待したりするのも全て心の傷の痛みがなせる業であります。

病める心、傷ついた心、一体どうすればよいのか? やはり、周りの愛と理解、寛大さ、そして本人の悟りが何ものにも勝る特効薬のような気がする。

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5月3日(金)曇り  悪魔は自分の心の奥に住んでいる

51歳の農家の主婦が、夫に自殺を迫って除草剤を差しだし、その気にさせて飲ませて自殺させた、という罪で逮捕され留置所へ閉じ込められた。つまり自殺関与の容疑で逮捕された、というわけであります。その主婦が3日午前2時20分ごろ、口にトイレットペーパーを詰め込んで窒息自殺しているのが発見された。。

全く悲惨な事件であります。私はその背後に人間の残忍な獣性を見るような思いがする。たとえば、横断歩道で信号を無視して歩いている歩行者を誤って轢き殺した場合は、不可抗力として罪にならない、という法律が出来たとしたとき、信号無視の歩行者がどれだけ殺されるか、と考えてしまうのであります。

夫に自殺を勧め、死に追いやった妻、そこにはよっぽどの事情がある。心の地獄があり、救いを求めても誰一人として救うものはいない世界、周りは全て鬼ばかり、となれば死以外にとるべき手段はない。妻は夫の死後、自分も後を追うつもりでいたと思われる。

それを警察や取調官、隣近所の冷たい目は死人に鞭打つがごとき仕打ちをしたのだ。犯罪者は痛めつけて死刑にせよ、拷問し、地獄の苦しみを味あわせよ!それ相応の裁きを与えるべし! 

学生の頃、寮の同室の方の現金がなくなった。学校に納める学費でかなりの大金だった。それを盗んだのが私ということになって最大最悪の屈辱を受けたことがあった。後ろからいきなり拳で殴られたり、体当たりされて川に落とされたり、悪口雑言を浴びせられ、大勢の人の前で恥をかかされたりした。警察の取調べも受けたりしたが、まったくの犯人扱いで、弁解の余地もなく、正直に言えば罪を軽くしてやる、という口振りであった。

結局、真犯人が捕まって疑いは晴れたが、その時の心の傷は癒えることはない。親友といえども、結局は親友でないことが分かった経験でもありました。その時の周囲の人々の冷たい目と残忍さ、犯罪者以上の悪であり、残忍な悪魔であります。

夫を自殺に追いやり、自分も自殺した農家の主婦、彼女は貧しさ、不幸に負けたのではなくて、世間の冷たさ、世間の悪魔に負けたのだ、と私は解釈しております。犯罪者は確かに悪い。しかし、責める前に、人間として傷つき痛んでいるその心を癒し、罪の罪たるゆえんを説得し、正義へ立ち直るための力を与えてやるべきではないのか?

責めて、罰して、裁いて拷問する、それは正義の名を借りた残虐な獣性のなせる業であって、人間の救いにはならない。犯罪者は別の次元から見れば被害者でもある。心に大きな傷を持っている。その傷にさらに焼け火箸を突き立てるようなことを人々は平気でやっているのであります。

自分の心の奥に、どういう種類の悪魔が潜んでいるか、人間一人一人が探索の目を光らせるべき時期のあると思います。

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6月2日(金)曇り  初恋はライラックの化身

庭に咲いていたライラックが散ってしまった。それでも梢にはいくつかの花が残っている。雨に打たれながらも残りの花を守り続ける緑の木、その花の薫りが私のいるベランダまで漂ってくる。ライラックの花言葉は「若者の無邪気さ、初恋、謙遜」 だそうです。私は孫から爺さんと呼ばれていても、心はまだ10代の青春真っ只中、永遠の若者、少年であります。それゆえそのライラックの花言葉は好きであります。

私の初恋は小学3年生の頃、夢の中に現れた羽衣の天女であります。側から母が離れ去った頃でしたので、天国の父が私を慰めるために使わしたのだと思います。天女は私と同じ年頃でありまして、美しく現れて楽しく遊んでくれた。虹の上を歩いたり、雲海の花園で蝶々を追いかけたり、珊瑚礁の海で泳いだりはしゃいだり、細い木の幹から作った笛を吹いて聴かせたりした。私がその笛に興味を示しますと、天女は小花がいっぱいに咲き香る一本の木を指差して言った。

「この笛はあの木の幹から作るのです」

私は純白の小花の衣装に包まったその木に近づき、一つ一つの花に視線の一つ一つを移していった。小さな花には花弁が四つ、中には3つのもあり、ごく稀に5つもあった。5つの花弁を見つけた者は幸福になるという。しかし、3つの花弁はどうなのか、それは定かではない。

薫りの濃度がそよ風に散らばって天女と私を取り巻いた。その薫りの中で天女が囁いた。

「あなたが目覚めたとき、私は消えます。もう会えません。でも、あなた、寂しがらないでね・・・。あなたは強い男の子ですからきっと大丈夫ね? 18と25が10の虹を渡ったとき、あなたの心に少年の心があれば会いにきます。・・・私の名はライラック・・・」

翌朝、目覚めると風速80メートルの台風だった。ライラックの木は根こそぎ引き抜かれ、吹き飛ばされて姿を消していた。上空を見るとデイゴやガジマル、松の大木などが巻き上げられて渦を巻いていた。その光景は今でも恐ろしく思い出されたりします。

あれから50年が過ぎ去っている。あのときの天女は何処にいて、なにをし、どうしているのか? 私は階下の庭に立ち続けるライラックの木を見つめながら遠い過去に思いを駆け巡らせた。

18と25が10の虹を渡る、それはどういう意味なのか? ・・・18と25で1825、それに10を掛けますと18250、・・・それを日数といたしますと18250÷365=50。つまり、あの時、天女は50年後に私の心に少年のような無邪気さがあれば会いに来る、と暗示したのだ。

この年、この月の今現在、あれからちょうど50年となっている。・・・なるほど、階下の庭に1人たたずむあのライラックの木は、あの時の夢の中に現れた天女の化身なのだ。私は思わず立ち上がり、庭に下りた。

一昨年までは私の背丈に及ばなかったライラックの木は、今でははるかに私を超えている。梢に咲く複数の花は曇り空に純白の輝きを放っている。そして、少年の頃のあの薫りをそのまま漂わせている。

見つめておりますと無言の声でライラックが語りかけてきた。

「お会いできて嬉しゅうございます。あなたは永遠の少年、いつまでも変わりませんように・・・」

すっごく、最高に幸せであります。今宵はあの時の天女が夢の中に現れると思います。虹の橋を渡り、雲海の花園で初恋にときめきながら、初キッスでもすることにいたします。・・・その時、平手打ちを食らわされるかも・・・。 すると、ハート型の無数の火花が目から飛び散ると思います。

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6月1日(木) 曇り  猫族の儀式の一つ

仕事に復帰いたしますと、相棒の斉藤さんが辞めていた。仕事の内容が自分に合わない、という理由からであった。その気持ちはよく分かる。自分の特技、専門が生かされず、雑用的な仕事が続きますと、誰でもそうなるものです。

しかし、私の場合は、仕事=人生の修行、と割り切っておりますので、どんな雑用でも心勇んでやることにしております。勿論、嫌なものは嫌なものであることに変わりはありませんが、嫌なものという心、感情は宇宙の無限性に反し、適応性を阻害し、人格を低級化させる、と勝手に思っておりますので、己の心を抑えることが出来る。

仕事の内容は物置、倉庫の片付け整理であります。横長の2階建てで、一階だけで250坪ほどの広さがある。工事で使用したいろいろな物品、ネットフェンス、セメント、塩ビ管、クランプ、電線、ベニヤ板、鉄板、・・・・などが乱雑に積み上げられて、全く手のつけられない状況であります。それを、1人で、孤独の歌を歌いながらこつこつとやっているのでございます。

10年ほど、誰も整理整頓をしておりませんので、その乱雑度が想像できると思います。棚には埃が10センチほど積もっており、ちょっと動かしますとそれが煙のように舞い上がって広がる。それで、マスクをつけ、水を巻きながらの作業となった。

その倉庫には主がいた。大きな雄猫であります。人間で言えば64歳ぐらいです。そいつ様は威張っておりまして、私を無視して悠々と歩き回る。ここは俺様の家だ、勝手なことはするな、という態度であります。

猫といえども生き物、尊い生命の持ち主ですので、私も敬意を表しまして彼の猫格を重んじてあげることにした。孤独の歌を歌いながら仕事をしておりますと、彼も時々どら声を張り上げて訳の分からない歌を歌ったりいたします。

お互い、見て見ぬ振りのコンタクトが続いておりますが、無言の友情が芽生えております。その証拠に、昼休みに座っておりますと、私の視界に入り込んで2個の金塊を打ち振って見せるのであります。

それは、猫族で友情を表す儀式であります。私は人間ですので、同様な儀式を行うわけにはいきませんので、弁当の残りのいわしの頭を投げて与えた。しかし、彼は、無視、知らん顔でのそのそ歩きまわり、私が横を向いた隙に、それをぱっとくわえて姿をくらました。電光石火の早業、見事であります。

今日もその現場へ行きます。彼がどういう態度で迎えてくれるか、楽しみであります。・・・では、今朝はこれにて失礼いたします。今宵またお会いしましょう!

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5月30日(月)雨    幸せという花は地獄で咲く   

いかに美男美女といえども、一皮剥けば血管露出、3枚肉の化け物であり、さらにそれらを全て取り除きますと、見るも恐ろしい骸骨である。そうでなくても、人間全て大小便の器に過ぎない。

・・・これは私が言っているのではありません。ある、仏教の本に書いてあるものを引用したのであります。

そもそも、幸せとは何か? それは現実逃避の幻想が生み出した幻影であります。生きるということは幸せとか、不幸せとかの次元ではないのであります。この世は全て地獄、その中でのみ生命は生きられるのでございます。

 全てが満たされ、悩みも苦しみも、先行き不安もなくなりますと、人間はふやけて絶滅する。それは、人間に限らず、あらゆる生き物に言えることであります。

それで、人間は何のために地獄で生きねばならないのか? ・・・残念ながら、人間以外の世界には何のためという問いかけはどこにもない。頭の良すぎる人間が、勝手に創造した幻覚の結晶であって、人間だけが勝手に妄想の中で飛んだり跳ねたりしているのであります。

その証拠に、人間の餌になっている豚とか牛、鶏などの他の動物には、人間の妄想からすると悲惨な、絶望の運命であっても、不幸感は持っていないのであります。

知能が発達していないから当然、という方がほとんどだと思いますが、それが傲慢であります。力と知恵、富があれば全てを支配し、何でも出来る、という勘違いでおりますと、それは命取りとなります。命を取られてもいずれ死にますので、たいした問題ではないのですが、理法の世界はそうは問屋が卸しません、となります。

2億年も栄えた恐竜はある日、突然、あっという間に絶滅した。ましてや、たかが600万年余りにしかならない人類など、宇宙の無限性、天地大自然の怒りにあいますと、蝿叩きで叩き潰される蝿のように死滅することになるのであります。

人間それぞれは、残念ながら生と死のドラマ、生まれ変わりをこの宇宙の続く限りいつまでも展開する。そして、この宇宙が終わったとしても、別宇宙が発生してその情報の全てが受け継がれていく。そして、我々の魂が再び生と死のドラマの幕を開けるのであります。

幸せという花は天国ではなくて、地獄に咲く花であります。地獄の中で強く逞しく愛と正義の花を咲かす、そこにのみ真実の幸せがあります。人間はいずれ、他の動物の肉を食らう、ということから離脱するはずであります。科学の力で万能栄養物の合成に成功するからであります。

その時の人間の質により、人間の食料源となってきた他の動物たちの、祟りがあるかないかの決定が下されると思います。勿論、それを下すのは、自然の成り行きという手に負えない化け物であります。

今日の日記はいつもと違うようで、自分でも唖然としております。自分が書いたはずだが、自分のではないような異質であります。人間の90%を占める無意識の中の一部分のなせる業だと思いますが、12日ぶりに仕事に出て、雨にづぶ濡れになったせいかもしれません。

では、今日はこれにて、皆さん、お休みなさい。  Have a nice dream!    (^_-)☆

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2005年5月29日(日)  理性と本能

「理性」という単語は道徳的に崇高な人が好むものであります。理性は人間の最も醜いところを改造し、本能を抑制し、この世に愛と秩序をもたらす正義である、というのが一般概念ですね・・・? しかし、果たしてそうでありましょうか? 第一、理性とは何か? と質問されますと漠然とした返事しか出来ない。 つまり、幻想を妄想で掌握しようといたしますから幻影の答えしか出来ないのであります。

厳密に、具体的に申しますと、理性とは大脳皮質の高度な機能の産物であって、始原から培ってきた本能をいかに安全、確実に発揮させるかを目的として具象化してきた意識の目であり、奇蹟であります。煩悩を消し去り、本能を制御する、それが理性であり、それを持つことが最高の人間である、というのは勝手な考えであって、その実体は、本能をいかに発揚し、安全に、有効に発揮させるかのために大脳皮質が発達し、理性が生まれてきたのでございます。

簡単に分かり易く申し上げますと、仏教でいう煩悩、欲望、衝動というのは実は生命のエネルギーであり、存続と継承のパワーとなります。それがなければ生命は絶滅する。しかし、それは制御され、調整されて機略応変性がないと逆に己の破壊と断絶の力となります。つまり、本能は存続進化に重要な面と、破壊、絶滅に繋がる危険な面を備え持っている、ということになります。

理性とはその本能発揚の場の危険性を探知して方向変換し、安全な行動の先に本能の発揚を導くものである、といえます。つまり、本能を守り通すのが理性である、といえます。欲望や衝動はけっして悪ではない。生命存続の重要なキーポイントであります。無我無欲は無気力、脱力感を導く。それは、退化と絶滅への道であって、けっして崇高なものではない。

・・・それで私は何が言いたいのか? 実は世界遺産に登録されている屋久島の縄文杉の樹皮が剥がされ、何者かによって12ヶ所も傷つけられていることに対して、心が痛めているのでございます。樹皮をはぎ、金属製の刃物で突き刺したり、叩いたりしております。このまま放置しておきますと傷口から菌が侵入し、腐敗して枯れる恐れがあるという。応急処置を施した後、人口樹皮の貼り付けを置こうなうとのことですが、何とか生き残ってほしいものです。

4大文明が起こる以前から7200年生き続けてきた縄文杉、手を合わせて誰もが拝んできたはずだのに、その偉大さに対して刃物を向ける者がいた、ということが信じられないのであります。縄文杉がその者に対して一体何をしたというのか? 何が一体気に食わないのか? そして、その人にとって「理性」とは何か? という疑問が湧くのであります。

おそらく、その者は人格が破壊された人間だと思う。人格が破壊されますと、人間の脳で最も発達している大脳皮質の機能に障害が発生する。すると、本能の発揚をコントロールする理性が完全に働かなくなり、衝動のままに行動してしまう。

そして、その機能の障害はテストステロンという男性ホルモンを異常分泌させ、男女の如何にかかわらず人間を凶暴化させる。物事の分別が全くつかなくなり、破壊行動に強烈な快感を覚えるようになっていくのであります。

そういう人格破損者は増加の一途をたどっているように見える。このままでは日本は滅びるかもしれません。本能を正しく制御し、発揚させる理性、それは健全な人格から生まれる。健全な人格は幼少期の愛と正しい教育によって培われる。

子供の躾、親のあり方、健全な人格の復活に大切な要素だと思います。

縄文杉 幹周り16メートル 高さ25メートル
樹齢7200年

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5月27日(土)薄曇り    変な名字で逮捕された4人

沖縄の苗字は約1500種あるそうです。ちなみに、日本全国ですと29万種で、2位フインランドの3万種をはるかに超えて世界一であります。その沖縄の苗字で最も多いのは、比嘉、金城、大城、のベスト3、それに、宮城、新垣、玉城、上原、島袋、平良、山城、を加えたのがベスト10となります。

明治8年2月の太政官布告、「平民名字必称義務令」によって沖縄の一般庶民の名字がいろいろと出てきたわけでありますが、それまでは姓はなく、ナビー(鍋)、とか、イヌシー(猪)、ウシー(牛)、カマドゥー(釜)、ハーメー(歯なし爺)、とか上品でない名前が多かったのであります。当時は読み書きの出来ない方が大勢おりましたので、坊さんとか、神主、などに頼んで作ってもらったそうです。全国には変わった名字がありますが、沖縄はその宝庫、と言えるかもしれません。

40年ほど前の話ですが、沖縄の若者4人が東京へ遊びに来て、ドライブをした。そして、検問にかかって道路脇に止められて尋問された。

「免許証不携帯か・・・、名前は?」

「はい、・・・えーっと、運転志賢です」

「運転試験? そんなことを聞いているのではない。名前だ、お前の名前、何というか?」

「ですから、運転、運転志賢です・・・」

「もういい、隣、隣に座っているお前の名前は?」

「はい、私は恩納(おんな)です」

「・・・女? お前、男だろう? 性別はいい、名前を言え・・・」

「ですから、恩納、恩納談志 です」

「女男子・・・? 貴様ら警察を馬鹿にしているのか! まあ、いい、後ろに座っている奴、お前の名は?」

「はい、私は満湖です・・、満湖博です。」

「な〜〜〜に〜〜〜、マンコ広し、ふざけるな〜〜〜! その隣は何という名か〜〜〜」

「はい、伊武部(いんぶ)盛孝であります」

「ぎゃ〜〜、陰部性交だと〜〜〜、もう、ゆるさーん、きさまら、逮捕する〜〜〜」

となって、3名は留置所へ連行された。4名の名が間違いないことが分かったのは翌朝のことでありました。

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2005年5月26日(木曜日) 晴れ なぜ虐待があるのか  

自分の子供を「躾」という美名のもとに虐待し、骨折、失明、歩行困難に陥れた両親が逮捕された。なんと申しましょうか、恐ろしい話であります。しかし、そういう類の事件は日常茶飯になって衝撃度は低くなり、どこにでもある、よくある出来事、として見られるようになってしまっている。これまでの事件で虐待によって死亡した子供の数はけっして少なくはない。しかも、それが増加の一途をたどっているのであります。

子供を虐待し、死に至らしめたりする親、それは、実は徹底的に虐待された子供が大人になった姿であります。虐待されている子は、大人になって独立し、結婚して子供が出来ると、自分がされた虐待を子供に衝動的に発揮する。そこにはそれを止めうようとする理性は全く働かなくなる。

それはどういう深層心理のメカニズムなのか? 答えは単純で、怒りと憎悪が絶望と悲しみを破壊するパワーであるからだ。虐待によって蓄積されていく悲しみと恐怖、絶望は確実に人格を破壊する。しかし、先祖から受け継がれてきた自己防衛本能は、それを破壊する怒り、憎悪を生み出させ、何とかして精神のバランスを保ち、精神崩壊によって引き起こされる死の危険から己を守ろうとする。

心の中に絶えず怒りがあり、憎悪、ねたみ、嫉妬があるというのは、その度合いに比例して絶望と悲しみ、恐怖による心の傷が癒えることのない痛みを放っているからである。他人を、我が子を、そして、己自身を愛することの出来ない心の傷、その完璧な治療法は今のところ存在しない。

ただ、何が原因で虐待を止めることが出来ないか、なぜ、異常なほど怒り、異常なほど人を憎み、殺意が湧くのか、などの原因を知り、己を偽って愛の演技と正義の実践をする所にのみわずかな救いが存在する。

そして、神の存在を信じ、信仰の中に己の身を委ねることも救いとなるかもしれない。しかし、その場合、その信仰の中にのみ己の存在を置きますと、逆にその信仰のために命を捧げてしまうことにもなりかねない。その信仰が己の唯一の生きられる場所、となってしまうからです。

イラクの自爆テロ、あるいは昔の神風特攻隊、それらもいい例の一つです。男は自分を認め、無条件に愛してくれる者のためには死をも恐れない、と言われてきた所以は、それ以外に自分が生きられる場所がないからだ。

ようするに、今の日本は心の傷、心の病が蔓延している、ということであります。虐待をなくす、縦のつながりに於ける人間軽視と言葉の殺人を排除していくということ、そのための教育、思想改革がこれからの大きな課題だと思います。

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5月21日土曜日 晴れ  神代寺公園のバラ

左足の親指が化膿しましたので病院へ行きますと、麻酔もせずに即切開、という荒治療を受けた。おかげで仕事を休まねばならなくなった。足に合わない安全靴を履いて激しいツルスコ舞をやっておりましたので、親指の爪が捲れてそこからばい菌が侵入したのであります。全くうかつであった、と己の愚かさを反省するのみであります。

家にごろごろしているのは男にとって辛いことであります。仕方がないのでソクラテスとデカルト、西田幾太郎の善の研究、愛は金なり、愛は醜い欲望の美化である、などの本を読んでおりますと、ばーさんが怒鳴った。

「あーた、神代寺公園に行きまーす〜。今、バラと芍薬と石楠花、カルミヤが満開なのよ〜〜〜〜。さっさと支度しろ〜」

ということで痛い足を必死にかばいながら運転をし、ようやく神代寺公園に着いた。しかし、そこの駐車料金はべらぼうに高い。1時間で300円、そして30分ごとに100円づつ追加されていく仕組みになっている。つまり、5時間で1100円とられてしまう、ということになる。たかが1000円,2000円などと、男らしくないとお思いでしょうが、私はどうでもいいのですが、ばー様がうるさい。

「なによ〜、前は一日で500円だったのよ、何でこうなったの〜〜、石原知事のせいだ〜〜〜、次の選挙からは絶対に入れてやらないぞ〜〜〜、貧乏人の敵〜〜・・・」

そんなばーさんをなだめながら入り口にまいりますと、大人500円の入園料であります。ここでもばーさんはたいへんご機嫌が悪い。1000円出して2枚買おうとしておりましたので、それを制して言った。

「65歳以上は200円だ。私は満年齢ではまだだが、数え年では十分な資格がある。だから、二人で700円でいいのだ」

ばーさんの引きつった顔が途端に変わり、歓喜の瞳を煌かせて上機嫌となった。たかが数百円で天と地の開きが出るとは、女とはいつの時代でも不可解で複雑単純であります。しかし、女がいませんと人類は200年足らずで絶滅してしまいますので、どんな女でも大切にし、尊敬しなければならないのであります。

中に入りますと豪華絢爛、百花繚乱、あまりの素晴らしさに唖然とし、眩しさに目眩がするほどであった。最初に迎えてくれたのが石楠花、そして、カルミヤ、芍薬、バラ、と続く。緑と3原色のコントラストが真っ青な大空の下で交錯し、錯綜して鮮やかな光彩をきらめかしながら発散させる。

私は足の痛と時の流れを忘れて5時間を過ごした。1800円の5時間であります。しかし、これはけっして高くはない。その証拠に帰りのばーさんの顔は幸せの極地にあって、いまにもオペラ、ハレルヤを歌いだしそうであった。

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5月18日(水) 晴れ、風強し  酒飲みの知恵

「俺は男だ、武士に2言はない。武士ではないが、ようするに土方であろうが、ホームレスであろうが、とにかく何でもいい、おれば絶対に酒をやめる、ぐわっはっはっはっはっははははは〜〜〜〜」

と、アルチュウ末期の男は断言した。しかし、振り返ってみますと、この言葉は50年前から何万回も繰り返し言い続けてきたのだ。ビデヲテープの繰り返しならとっくの昔に擦り減って消えているはずである。

なにしろ、一日に日本酒、ビール、焼酎、ワイン、ウイスキー、なんでもごちゃ混ぜにして2リットル以上も飲んでしまいますので異常的酒豪であります。

飲んでいる時は威勢がよく、

「矢でも鉄砲でも持ってきやがれ〜〜、俺は今宵かぎり酒を止めて見せる〜〜〜」

と怒鳴り散らすのですが、翌日、酒が切れてまいりますとそわそわいらいらと落ち着かなくなり、ひと口ぐらいならいいだろ〜〜〜、ということになってワンカップの封を切ってしまう。そして、後は怒涛のように堰を切って飲んでしまうのであります。

そんなことで、ついには肝臓を悪くしてしまいまして、その男は入院を強制される羽目になった。そして、山奥の独房に入れられて、身体から完全に酒が断ち切れるまで、鉄格子の中で隔離されることと相成ったのであります。

「こういう山奥なら酒は絶対に手に入らないし、これで完全に酒との縁が切れるだろう」

と医者は満足の笑みを浮かべたのであります。

そして、半年、・・・しかし、男はまだ完璧なアルチュウであった。医者は首をかしげた。

“そんな馬鹿な、体内のアルコール濃度に変化はない。酒は飲んでいないはずだが、どういうことだ・・・?”

医者はその夜、こっそり男の独房に忍び寄り、離れた所から様子を伺った。すると、驚いたことに男は何処からともなく一升壜を取り出して1人で飲んでいたのだ。

鉄格子の中で、外界と全く隔離されたところ、そして、誰も彼に酒を持って行くことはしないし、酒が絶対に手に入るはずのないところである。それを、どこから、どうして、男は酒を入手したのか?

恐るべし、酒飲みの知恵、不可能を可能にする人間の偉大さに医者は唖然とするばかりであった。

一週間に一度、男の妻が着替えを持って来て、汚れ物を持ち帰る。男はそれを利用したのだ。男は妻にもっともらしいことを言った。

「こっそり酒をもってこい。俺が飲むんじゃないんだ。あの医者が飲む。そして、俺はそれを見ながら我慢する。完全にアルチュウと縁を切るためには我慢する力を培わなければならない。それがないとせっかく直ってもまた元に戻る。苦しみに耐え、それを苦しみと感じなくなる。そうなるために、そのような秘密の訓練が必要なのだ。嘘と思うならあの医者に聞いてみろ。いいか、夫を信じる女は美しくて気高い、頼むぞ・・・、」

妻は完全に男の言葉を信用して、酒を衣類と共に風呂敷に包んで隠し、毎週運び続けたのであります。

数日後、医者は男を退院させた。酒のない世界がいかに男にとって地獄であるか、そして、それを止める価値がどこにあるのか、医者は深く悟ったと思います。

私も悟りを開きまして、これから程よい量のビールを飲んで寝ることにいたします。けっしてアルチュウにはなりません。

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5月15日 日曜日 曇り  いずれ菖蒲かNice Guy・・・

去った金曜日の朝、社長が言った。

「今日は安全大会の日であるから、15時には現場を離れて、16時までに東大和駅前のビッグボックス会館に集合せよ。汚れた作業服は禁止する。スーツに着替え、ネクタイをし、ネームをつけて参列せよ、分かったか〜〜〜、分かったら真ん中の足を上げろ〜〜〜」

ということで午後3時に現場を離れ、会社の駐車場で滅多に着けないスーツに着替え、ネクタイを何度も失敗しながら締め、革靴に履き変えて相棒の斉藤さんとバスに乗った。30分ほどバスに揺られて目的地に到着し、歩いて会館の前に行きますとすでに全員が集合していた。

会社の名は「00産業株式会社」、という素晴らしい名前でありまして、年間業績20億円で、平成16年度は7億の黒字という決算報告がなされた。そのうちのちょっとぐらいは私にください、と申し上げますと断られるのが確実ですので、余計なことは言わないことにいたしました。

社員だけの安全大会かと思っておりましたが、なんと下請け120社の代表取締役が集結、ホール内は厳粛さの中で熱気が充満した。会長挨拶、社長挨拶、そして、何とか代議士挨拶、といろいろありまして、作業は安全に行いましょう、ということで締めくくられて宴会となった。

つまり、安全大会という名目で、下請けを歓待し、会社の実力を顕示する、という本来の目的がベールに隠されているということになります。私の両隣には00産業代表取締役、xx興業株式会社社長、という億万長者が座った。

回転テーブルには山海の珍味が並べられ、高級ワインや酒、ビールが運ばれてくる。雰囲気は厳粛さから一変して宴会ムードとなり、至る所から大声や高笑いが起こった。私は両隣からビールを何度も何度も注がれて酔いの度合いが強まっていく。

「コスモゼウスさんってハンサムですね〜〜〜、ご出身はどちらですか?」

「私ですか? 沖縄なんです。田舎者で西も東も分からないんですよ、失礼がありましたら、寛大にお許しください。しかし、あなたこそハンサムですね〜〜、若い頃は大勢の御l婦人方を泣かせたでしょう〜〜〜?」

「いや〜〜〜、また、そんなホンとのことおっしゃって〜〜、分かります〜〜? え〜っへっへっへっへへへへ〜〜・・」

すると、反対側の大物が言った。

「沖縄なら、お酒強いんでしょう? なんせ、あっちには泡盛というのがありますから〜〜〜」

「とんでもない、弱いんです。酒と女、うまれたときから弱いんですよ〜〜〜」

「ぎゃはははは〜〜〜、そんなことないでしょう? 女千人切り、抜かずの100発、その逞しい身体がそう言っていますよ〜〜〜」

「ぐわっはっはっはっはっはっははははははは〜〜〜、そんな上品な話し、生まれて初めてで〜す、あなたはただ者ではないと見ました。今後よろしく〜〜〜」

というような雑談の後、司会者より、社員は全員舞台に上がって一列横隊に並ぶようにというアナウンスが流れた。社員は建築第一課、第二課、そして土木部、総務部、経理部の40名であります。私は入社してまだ2ヶ月ちょっとですので一番端っこに立って小さくなっていた。

一人一人の名前が読み上げられ、下請けの方々に紹介されていった。呼ばれた社員は一歩前に出て、000です、よろしく! と言って一礼して下がる。そして、最後、私の名が読み上げられましたので、一歩前に出て、

「コスモゼウスです、よろしく〜」 と言った途端、拍手と歓声が爆発した。私はびっくり、一体何がどうなったのか考えがつかなかった。その原因はどうやら私の人相にあるらしいことが分かった。眉毛が太くて黒く、鼻が逞しくて大きい、それがハンサムに繋がるらしい、・・・私は自分がハンサムだ、と言っている訳ではありません。要するに良い男、Nice Guy という重大な誤解で皆さんが騒然となった、ということを強調しているだけあります。

・・・しかし、帰りの電車の中で、乗客が一斉に私に熱い視線を注いでいたのは・・・、やはり私はハンサムなのであろうか? 人生とは何か? それは、ハンサムであるという悩みかもしれません。

では、皆さん、日曜日の昼下がり、ごゆっくりお寛ぎください。私は、これからちょっと買い物へいってまいります。ハンサムであることがバレないようにサングラスをしてまいります。

See you next day !

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5月5日 晴れ 目覚めると眩しい世界

夜も寝ないで昼寝をちょっとやっての勤務が一ヶ月近く続いた後、今度は48時間連続の熟睡となった。目が覚めると世界はなんと、まぶしい花の世界であった。・・・ん、ここはどこ、私は誰だ? もしかするとここは天国か? 地獄の仕事のあとは天国、なるほど辻褄が合います。

戸を開いてベランダに出ますと、つつじが満開であります。

「・・・ここは天国ではない、紛れもなく現実、私の住処だ」

新緑と青空の輝き、そして、色とりどりの花々、長い闇のトンネルを抜け出た者のみが感じる感動が爆発した。 世界は素晴らしい、・・・それは地球という水の惑星が奇蹟の星であるからだ。奇蹟=幸せ、・・・しかし、その奇蹟は極微、この宇宙全体からすると無限分の一に等しい。 ということは、我々の幸せというのも極微で、花びらから落下する朝露の、一瞬の輝きのようなものなのか?

しかし、不思議なもので、一瞬の幸せの中には無限の幸せが広がっているのだ。それは、一瞬を取り巻く苦しみの無限性よりも次元の高い無限性を持つ。

だが、忘れてはならないのだ。この世に幸せというのはないということを・・・。我々が幸せと思っているのは幻覚であり、誤解であり、幻想である。なぜ、この世に幸せというのがないのか? それは人間だけの問題であるからだ。 他の生物にはそのような問題、悩みはない。あるがままに、自然のなすがままに生き抜き、進化の奇蹟を発揮しつつ、進化の旅を続けるのみであるからだ。

「幸せは何処にも存在しない」 ということを確認出来ることが真の幸せなのかも知れない。そして、全ての人間を奇蹟の産物として見つめ、尊ぶことによって実現可能となるのかもしれない。心の眼と心の強さ、心の柔軟性、思いやり、それらを培うことにより、そこから真の幸せが生まれて来るものと信じる。

私は心の中で合掌し、宇宙の根元に感謝しつつ部屋に戻った。まだ、身体がだるい。これからまた寝ることにいたします。・・・では、皆さん、今宵、また、ゆっくりとビールでも飲みましょう!

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2005年4月29日 仕事突撃精神   

不眠不休の仕事が続きますと、ばーさんのご機嫌が極端に悪くなる。

「あーた、今にばたりと倒れて死んじゃうよ! いい加減に仕事やめなさい。自分の身体をボロボロにするなんって、あーた、馬鹿じゃないの!」

「心配するな、馬鹿であればあるほど、身体は頑丈に出来ている。それに、死ねば馬鹿が直るというじゃないか。その時は天才として泡盛で乾杯しましょう!」

「・・・、そんな天才はいりません。健康で給料を運んでくる馬鹿が良いのだー。そのために仕事を変えなさい・・・」

「・・・世の中、そんなに甘くはありません。厳しいのであります。それに、仕事とは己を磨いて鍛える修行である。私は今、永遠の修行中なのだ。私のことは心配せず、安心していなさい。それより、人類の進化発展と、心の完成を祈ってビールでも飲みませんか?」

バーさんは怒って何も言わなくなった。それで静かになりましたので、今から現場へ出かけます。ゴールデンウイーク・・・? そんなもの私の辞書にはありません。あるのはただ、永遠の不老不死と仕事突撃精神であります。

玄関を出ると後ろでせがれの声がした。

「お父さん、いっていらっしゃい、無理しないでください」

振り返ると、180センチのスマートなせがれが心配そうな顔で立っていた。その背後にばーさんの怒った顔があった。

では、みなさん、今日も一日、ファイトイッパツ、無我の境地で働いて頑張りましょう!

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4月17日  現場が私を待っている

夜も寝ないで昼寝をちょっとやって頑張った結果、いろいろとクレームをつけられながらも検査は終了した。

検査官というのは汚れるのが嫌いで、綺麗な所からいろいろとあら捜しをし、批判し、叱咤し、己の叡智の鋭さを誇示するのが大好きであります。

ところがここ檜山市下水道課の検査官はそうではなかった。マンホールの中に入り込み、鏡と懐中電灯を使って下水管の内面を綿密に検査する。汚れようが何しようがおかまいなしであります。

150箇所以上ある汚水管やマンホール、全長2キロの全てを、徹底的に調べあげたのであります。おかげで検査は一日中かかった。

「まー、いいでしょう。難工事をよくここまでやってくれた。ご苦労さんでした・・・」

ということで難工事は完了となった。・・・し、しかし、月曜日に書類検査が行われる。その書類がエレベスト山よりも高く積み上げられているのだ。

ったくも〜〜〜、・・・私は、工事が終了していなければならない時にこの現場に入ってきたのだ。毎日の怠慢はこのような地獄の結果を生むのだ。しかし、私は地獄を歩き続けてきた男だ。これしきのことで涙は流さない。

女の涙は女を美しくし、男を強くする。しかし、男の涙は全てを絶望に追いやってしまう。でありますからして、男はいつも寛大に笑って地獄の鬼どもを退治しましょう!

今日は日曜日、しかし、・・・現場は私を待っている。では、仕事いってきます!

皆さん、今日も一日、ファイトイッパ〜ツ、頑張りましょう!

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4月12日 俺はモテない男

一日は24時間ですが、そのうちの3分の2以上は現場で仕事に費やしている。それが日曜祝日休みなしの連続ですので家のバーさんが文句を言います。

「あーた、せめて日曜祭日ぐらいは休みなさい。過労か病気で死んだらどうするんだ〜」

「・・・いやー、ありがとう! 俺のことを心配してくれているのか? そんな思いやりがお前にあったとは、ありがたいことだ・・・」

「思いやり? ・・・そんなのある訳ないでしょう〜、あんたが死んだら生活できないから、それを心配しているだけだ。思い上がるな〜、あんたが家にいないから寂しいとか、いつも家にいてほしいとか、あんたが恋しいとか、・・・そんなこと思うわけないだろ〜、あんたは自分が考えているほどモテる男ではない、分かったか〜〜〜〜」

ということですので、今から仕事にでかけます。どうせ、私はモテない男、・・・しかし、仕事は、モテない男でもやる気があれば歓迎してくれる。

ということで、今日も一日、何も考えず、ファイトイッパーツ、頑張っていきましょう!

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2005年4月7日 山の音楽会

20時ジャスト、ようやく作業終了・・・。男達は「疲れた〜〜〜」と口々に叫びながら後片付けをした後、さっさと帰ってしまった。

辺りが急に静寂に吸い込まれ、深い闇が広がった。打設したばかりのコンクリート舗装はまだ柔らかい。ある程度固まるまでは一時間ほどかかる。その後であればイノシシや鹿、サルなどが歩いても足跡はつかない。

それで私は一人で一時間ほど見張りをするのであります。せっかく綺麗に仕上げたコンクリート舗装の道路を、山の動物達の足跡だらけにするわけにはいかないからだ。・・・私個人としてはそのほうが芸実的でいいと思うのですが・・・?

バリケートで50メートルほどの距離を囲い、その真ん中あたりの坂道で私は岩の上に腰を下ろした。黒い輪郭を星空に聳えさせる山々が次第に霊気を強めていくのが感じられた。その霊気が冷気を震わせて荘厳な歌を歌いだした。山々の合唱、オペラであります。

生まれる前から仕事が待っている

生まれてからは働きが始る

物心ついてからは仕事の苦しみと絶望だ

しかし

仕事は辛いが仕方なくやらねばならない

だって働かねば飯が食えないし、肉体機能が退化して人生がおもしろくない

だから感謝の合掌し、喜びの合蹠(がっせき=足裏を合わせること)をして生きていきましょう!

・・・変な歌であります。私は居眠りをしながら聴いておりました。訳が分かりませんがおもしろい歌でございました。・・・そして、ふと気がつきますと、なんと私の目の前にイノシシや鹿、狸、狐、サル、ミンク、イタチ、熊さんが集まって踊っておりました。

人間には死んだほうがいいと思っている馬鹿が多い

しかし、僕たちの中にはそんなのは一匹もいない

生き物はどうせ死ぬまでしか生きられない

だから死ぬまでは一生懸命に生きていたほうがいいのだ〜

どんな偉い人でも

千年も万年も生きられないのだ

だから、短い人生を

山の霊気と共に、自然と共に生きて行こう〜〜〜

サルが指揮棒を振るい、鹿がソブラノ、イノシシがテノール、イタチがおならを出し、狸が腹鼓を打って凄い音楽会となった。

目が覚めると時計は22時を指していた。私は慌てて立ち上がり帰途についた。山の霊気と動物たちが名残を惜しみながら見送ってくれた。

今日の日記は幻想の中で書きました。では、また明日!

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3月28日 雨のため中止

今日と明日でアスファルト舗装を完了させる予定でございましたが、雨のため中止と相成りました。それで午前中は、マニフェスト書き込みを現場事務所でいたしまして40枚を仕上げました。昔は白鮎のような美しい指で、すらすらと美しい字を書いたのですが、長年の労務仕事で指は硬くなり、字を書くのはたいへん疲れてしまいます。

それから明日の舗装に備えて重機類の点検をいたしまして、やる事がないので帰ってまいりました。久し振りの早帰りであります。ばーさんがびっくりしながら喜んで言った。

「何でこんなに早いの〜、私がそんなに恋しいの〜〜〜? 寝床の準備しましょうか?」

「なぬ? ・・・愚か者め〜、真昼間からお床の中の男になれるかー、それに、残り少ない資源だ。省エネを心がけ、大切に節約して使わんとならん、分かったか〜!」

その時、春休み中の倅が出て来て叫んだ。

「二人ともいい加減に大人になってくださーい!」

ということでこれから大人になって勉強いたします。現場に紅梅が咲いていましたのでご紹介いたします。花は美しいですね? めぐりめぐって変化し続ける自然界、素晴らしい!今生きているというこの現実、天地大自然に感謝しつつ喜びの歌を歌って眠りましょう! Ok, see you tomorrow !

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2005年03月21日  真実の愛

美しい恋人がダイオキシンを呑まされた上、天然痘にかかって、ガメラのような顔形になってしまったなら、私の恋心は変わるだろうか・・・?

もし、そうだとしたら、私は己を恥じる。私が愛していたのは恋人自体ではなくて、美しさそのものであり、よい子孫を残したいという始源からの本能の成せる欲望であったのだ、と悟りを開くことにする。

 逃げ出すような愛は、愛とは言えない。愛とは捧げるハートであり、実践であり、正義と厳しさを根底とした思いやりであると思います。

 恋人が醜い顔になったとき、その絶望と悲しみ、心の傷を思いやり、

 「これで変な虫が付かなくなった。有り難い。お前は完全に俺一人のものとなった。ぐわっはっはっはっはははは……」

 と豪快に笑い飛ばして上げるのが動物的愛を越えた真実の愛であります。

 また、逆の立場になったときどうするか。つまり、親兄弟から見捨てられ、最愛の恋人からも冷たく振られたとき、天を恨み、人を恨み、自棄のやんぱちとなって身も心もボロボロになって地獄に堕ちていくか……。

 それでは情けないと思う。今、生きているということ、それは自然界や、宇宙の愛に抱かれているということではないでしょうか? 

 たとえ人間は裏切り、罪を着せて罰しても、天地大自然の愛は貴方を守り通しているではありませんか。貴方が貴方自身を見捨てぬ限り、天は永遠に貴方を守り、愛し続けているのです。

 愛されることよりも……、つまり求めることよりも、愛し、捧げる心となる。そこに真の喜びと生き甲斐が沸き上がってきます。

 我々は両親によって作られたのではありません。両親の肉体という自然、宇宙によって作られたのです。ですから、我々の真実の根元的親は、この自然界であり、宇宙の絶対性、無限性となります。

 さあ! 心の目を開いて、貴方の真実の親を見つめようではありませんか。そして、愛と正義を土台とした寛大な心、思いやりで己の勤めを全うし、心を磨きつつ未来へ羽ばたきましょう。

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2005年03月20日  神とは何か?

廏戸富聡耳皇子(うまやどのとよとみみのみこ)。訳の分からない漢字ですけど、辞典で調べてみると聖徳太子の名前でありました。上宮太子(うえのみやのみこ)という名前もあるそうです。

 574年〜622年を生きた偉いお方で、用明天皇の第二皇子であります。その彼が富士山の頂上に初めて登った人間、と山梨市の言い伝えに残っている。その時の愛馬が「クロ」だそうです。

 しかし、よく考えてみるとこれはおかしい。人類の歴史は約500万年前に遡ることが出来るのだから、その間、誰も富士山の頂上に登った人がいなかった、とは考えられない。 そして、彼は神として至る所で祭られている。つまり、優れた人間は神となるのである。中には、どうでもいいような人間や、体のある一部が、神として祭られているところもある。

 一体、ホントの神とはなんでしょうか? アダムとイブは禁断の実を食べたために神の怒りを買い、産む苦しみと働く苦しみを与えられ、泥で固めた地上に追放された。それから人類の地獄の苦しみが始まったのだ。

 その神様、残酷だとは思いませんか? アダムとイブは赤子みたいなもの、うまそうなものがあれば当然手を出してしまう。神は馬鹿ではないはず、そんなことを十分に知りながら手の届くところに禁断の実を実らせたのだ。なぜ、金網で囲うとか、番犬を置かなかったのだ。

 これは、人間を地獄の苦しみに陥れて、その苦しむ様を見て楽しもうというずる賢い罠だったのだ。つまり、虐待の始まりを作った最初の存在ということになる。しかし、聖書とは所詮、人間が書いたもので、正真正銘の神の意思によるものかどうか定かではありません。

旧約聖書創世記の編集に関しては、いろいろな資料の伝承が根本になっておりますが、五書資料文書の一つ、祭司資料によると、神は男と女を同時に造り、祝福して地上に住まわせ、子孫を増やさせた、と明記しております。つまり、禁断の実などで人間を罠に陥れるようなどす黒い陰謀は一つもなかった、ということです。上記の創世記は虐待人間が勝手に書いた脅迫聖書と言えるものであります。

何が本物の神で、何が偽者か、一般庶民はだまされてはなりません。禁断の実の話は、昔、 ある優れた人間が、無知無教養下にあった大勢の人間を奴隷化するために、夜も寝ないで昼寝して作ったマインドコントロール書であると言えます。ホントの、真実の神とは森羅万象であり、天地大自然、宇宙の無限性であるということを見逃してはなりません。

  諸君、目を覚ませ! 真実の神は教団化しない。この世の一切が神であり、全てが愛と正義に包まれて、互いに助け合って進化するようになっているのです。

……ん? 私はなんと恐ろしいことを書いているのでしょうか? しかし、私はあくまでも真実の神を尋ねて3000億里の旅を続けているのです。決して神を冒涜しているのではありません。

今日の私はどうかしています。 何でこうなるのでしょうか? あー、つかれた、きょうはこの辺で、またあした。

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3月18日  男の涙  

勤務年数73分の1年、つまり、5日目であります。現場の内情もかなり掌握出来ましたので、いろいろと発想が出てくる。

「今日の予定は90メートル、作業開始時間9時ジャスト、大型ダンプは4台で3往復、計12台の残ガラを処理してもらう。午後3時アスファルト舗装開始、75トンのアスファルトを敷設する。いいか、くれぐれも事故を起こすな! 安全第一だ。怪我などすると、酒が飲めなくなり、博打も出来なくなる。それに下手すると立たなくなって、女も抱けなくなる。注意一秒、怪我一生だ。酒一升はいいが、怪我一生は馬鹿げている。わかったか〜〜〜〜、何をもたもたしているか、仕事だ、仕事にかかれ〜〜〜」

ということで男たちは目の色を変えて作業開始、バックフォーが動き、大型ダンプが次々とやってくる。7人のガードマンたちが交通整理をする。今までの私ですと、率先してツルスコ舞を演じたのですが、今はそれをやってはならない立場に立ってしまっている。初日二日と働いているところを役所の監督官に見られて注意された。

「現場責任者は絶対に仕事をしてはならない。そうでないと監督としてやらねばならない重要な仕事が出来なくなる。如何に効率よく作業全体を進行させ、きれいに完成させるか、全て監督の責任だ。それに、監督がスコップを持った姿はあまり格好いいものでもない・・・」

ということで、計算したり、計ったり、写真を撮ったり、次の段取りをしたり、工事内容を変更したり、プラントと連絡を取ったり、作業員を叱咤激励したり、・・・その他いろいろ、結構疲れるものであります。

ダンプが時々、途切れることがある。そういう時、男たちは道端に座り、雑談を始める。私のズボンの後ろポケットに、缶コーヒーをこっそり入れる男がいた。好意と敬意を持っています、という無意識の意思表示であります。色黒で痩せ型の男であった。

「監督、どこに住んでいるんだー」

その男が私の側に座って言った。

「俺か? 小さな所だけどよ・・・、地球という惑星に住んでいる。あと、20億年もすれば住めなくなって、他の天体へ移住しなければならないんだが・・・、わははははははは〜」

「いいね〜〜〜、監督は・・・、ますます気に入りました。・・・それに比べるとおれなんか、だめな人間だ。酒はあおるし、女は泣かす、窃盗や恐喝、傷害事件で何度も刑務所に入れられた。俺って馬鹿で、どうしようない男、人間のクズだ・・・」

私はびっくりしたが、さらに、彼の袖下でのぞく刺青の一部を見て2度びっくりした。しかし、そんなことでたじろいでいたのでは監督業は勤まらない。それに、どんな人間でも根本は心の優しい人がほとんどであります。

「なに言ってんだ、あんたには、ほんとの自分が見えていない。悪いのは、もしかするとあんたの親かもしれない。あんたは心の地獄に落とされたのだ。それであんたの心は生傷だらけとなっている。ちょっとでも傷口に触れられると激痛が走る。些細なことでかっとなったり、恨んだり、憎んだり、虐めたくなったりするのはそのためで、その人が悪いからではない。心の生傷の痛みがそうさせるのだ。

身体の大怪我は人から同情されて介護される。しかし、心の大怪我は誰も知らないし、誰も同情しない。逆に傷口に鞭を打たれ、裁かれて刑務所へ入れられる。そして、その人は自分の心の生傷を知らないまま、さらに地獄へと転落していくのだ。・・・しかし、あんたは違う。地獄に何度も何度も突き落とされても、その度に這い上がって来たはずだ。今、生きている、ということがその証だ。だから、もっと、自分に自信を持ちなさい・・・」

男はうつ伏したまま身体を固くし、黙っていた。肩がかすかに震えていた。それから盛んに眼を擦った。

「今年の花粉症は凄いな〜、目が痒くて涙が止まらないや〜、はははははは〜〜〜〜、監督の目も赤いぜ、重症の花粉症だー・・・」

山を見ますと物凄い煙であります。・・・いや、それは煙ではなく杉花粉の靄でありました。

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3月12日  ツルツル温泉  

朝6時ちょっと過ぎに家を出た。新青梅街道に出て時計を見ると6時25分だった。土曜日なので渋滞はなく車はスムーズに走り続けた。国道16号線を横断し、東青梅駅の手前の陸橋を潜って千ケ瀬5という標識のある交差点から左折した。その道路が秋川街道で、そのまま車を走らせて五日市街道に出て西に進んでいけば、桧原村の現場にたどり着く。

両脇は杉の木が立ち並び、深い山々を縫うように曲がりくねった道路が続く。上がったり下がったりの変化激変の道でありますが、軽ながら4輪駆動ですので、車は快適なエンジン音を上げばく進した。排気ガスを撒き散らしながら進む車をスイスイと追い越しながらの快適ドライブであります。

私には変な癖がありまして、余裕が出てまいりますと、周りの車のナンバーをいろいろと読んでしまいます。前を走っている車は2626、これは「風呂風呂」と読めるし、「ツルツル」とも読める。そして、すれ違った車が810で、「入れ」と読める。下り坂で追い越していったバイクが「・・・・ロ 1026」、これは「露天風呂」となる。

今日は風呂に縁があるのだろうか、と思いながら走り続け、9時ジャストに現場事務所にたどり着いた。そこで、江藤という工事課長と会って挨拶をし、下請けの親方たちに紹介された。みな凄い人相ばかりであります。

総下請けの新井、A工区下水の森田、G工区の井相田、そして、監督の山本と続いた。

「工事の内容や状況など、突然入ってきたもので何も分かりませんので、皆様方のご指導におすがりいたします。何卒よろしく、お願いいたします」

と申し上げますと、男たちの形相が和らいだ。それから話がくだける様になり、冗談まで出るようになった。

「しかし、皆さん、男らしい凄い人相の方ばかりですので、おっかなびっくりしましたよ。私は気が小さいので怖かったですよー、わははははは〜〜」

と申し上げますと、

「それはこっちのセリフですよ。最初見たとき、ゴジラのおやじがやってきたと思い、全身麻痺を起こして倒れるところだった・・・」

ということで一応の挨拶を済まし、現場を見て回った後、月曜日からの仕事ですので帰途についた。・・・そして、途中の交差点で大きな看板が目に付いた。

”ツルツル温泉・露天風呂もあります”

?? 不思議ですね? 来るときの車のナンバーが予言していた通りであります。2626=風呂風呂=ツルツル温泉(6=ル)、 810=入れ  ロ 1026=露天風呂・・・。ツルツル温泉、という名前までも予言されたのでは入らないと祟られる。私はハンドルを左に切って標識に従って車を走らせた。山を遡っていく道が延々と続き、20分ほどでようやくたどり着いた。

山奥でありながら駐車場は広く、モダン的な建物であります。入浴料800円、時間は3時間であります。大浴場は2階にありまして、お客は多からず少なからずという入りであった。お湯はにおいはしませんでしたが、ぬるぬるとした肌触りであった。これで肌がツルツルになるために、ツルツル温泉という名前がついた、と思われます。

そこで一時間ほど過ごし、帰途についた。全身の肌はツルツルとなって、桜色に輝いている感じであります。困ったものですね?これでますますハンサムの輝きが増してしまいました。 ん? ゴジラのハンサムですか? いや、違います、正真正銘の男人間のハンサムであります。

たいへん失礼いたしました。次からはほんとのことを言わないことにいたします。では、又、次の日記を書く日まで、皆さん、インフルエンザにかからないよう、十分に御身大切に頑張ってくださ〜い!

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3月13日  うつ病は必ず直る  

うつ病とはどういう病気でしょうか? バットでボールを打ちたがるとか、隣のおやじを追い回して、そのはげ頭を打たないと夜も眠れない、というような単純な病気ではありません。それは深刻な心の病であります。こういう書き方をいたしますと普通の方は笑うことも出来るのですが、うつ病の方ですとこれを自虐的に受け止めて怒ったり、悲しんだり、絶望感を強めたりします。

真面目で几帳面、責任感の強い人がうつ病にはかかりやすく、自殺者の多くがその病にかかっているといわれております。驚いたことに日本人の20人に1人がうつ病患者だそうです。去年の日本人の自殺者は3万人を越えましたが、ほとんどが何らかの形でうつ病にかかっているということになります。

うつ病の絶望感は深刻です。夢も希望もなく、過去の出来事を思い出して罪責の念に駆られ、やる気も気力もなくなって、自分が最低最悪な駄目な人間である、と本気で思い込み続ける。それは時の流れが癒し、解決してくれる類のものではなく、逆に転落の加速度を早め、重症の度合いを強めていくのであります。

この心の苦しみは肉体にも大きな影響を確実に及ぼします。寝不足で頭は朦朧とし、食欲がなくなり、頭痛や脱力感に苛み、医者にも分からない原因不明の病気にかかったりする。

なぜ、こういう心の病になるのでしょうか? 病巣、原因はどこにあるのか? 一言で言えば、生まれながらにして備え持っている生への執着がもたらす恐怖、それにその根元があると思います。

その恐怖は程よく制御されて人間を進化発展へと導くものですが、その制御が破壊されて、絶望と不安、恐怖のままに人格形成期を通過した場合、無意識に蓄積され続けた膨大な恐怖が固形化し、意識作用を奴隷化して対象の見方を全て悪い方へと導き、自らを虐待していくのであります。

分かり易く申しますと、我々が感覚器官を通して受ける外部からの刺激、衝撃は、死の恐怖と照合されて、安全か危険かに大別されて処理される。その際、危険と処理された情報は安全な対応を引き出さんとする心的機能を激しく刺激し、その分担の組織体を傷つけることになる。

つまり、あらゆる感情を化学物質の分泌によって制御している脳機能と組織体に病変が焼き付けられる、ということであります。これは精神の次元から肉体機能への移項ですので、傷つき悪性の病巣となった肉体を次元の違う精神治療で直す、ということは不可能で、全くのお門違い、ということになります。

勿論、暗示をかけ、うつ病が治ったような誤解を与えることは出来る。しかし、病巣は脳内に焼き付けられておりますので、別の形で現れるのであります。

では、どすればうつ病は治るのか? 患者の方にはたいへん失礼かもしれませんが、それは、簡単に直るのでございます。専門の医者に相談して薬をもらい、真面目に飲み続ければ必ず、直るものであります。

問題は、直そうとしないから直らないのであって、薬を飲んで治せば完全に直ります。脳内の構造、仕組み、メカニズムは医学の凄まじい進歩によって大きく解明されております。そして、うつ病をはじめ、神経症の治療は大きく飛躍しておりますので、そういう病の方々は一刻も早く専門で、優秀な医者に相談すべきです。

問題は薬による副作用ですが、重い副作用はまず、有り得ないそうです。ただ、便秘とか口の乾き、眠気、排尿困難などの軽い症状は出るとのことです。稀な例としては皮膚の発疹、肝障害があったようですが、その辺のことは主治医と徹底的に話し合って対応策をとることが大切です。

いずれにいたしましても、ここで大事なことはうつ病が治った後の生き方、心の持ち方の問題であります。いかなる心を持ち、いかなる心使いがこの天地大自然に受け入れられ祝福されるか、そして、いかにして人類に貢献していくか、そのことが最も人間として生きていくのに大切なことであります。また、このことが、この世からうつ病を撲滅する大きな力になっていくと思います。

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