1.緒言
このテキストをつくっている2005年現在においても、オタクという言葉を侮蔑的な意味合いで用いる人は後を絶たない。オタクという言葉に籠められるニュアンスは、残念ながら肯定的なものは少なく、否定的なものが大半を占めている状況は今も昔も変わりない。2chにおけるオタという言葉の用法などを見ていると、最早オタクという言葉はオタク趣味の有無とは無関係の、単なる差別用語として流通しつつある印象さえ否めない。
今回は、しばしば単なる差別用語と化してしまった「オタク」という言葉が投げかけられがちな、差別されやすいアクションについて検討してみようと思う。
差別用語としてのオタクという言葉のニュアンスは、オタク然とした趣味を持ったオタクを差別する言葉というよりは、むしろある種の特徴を持った人達をひとくくりにしてゴミ箱に放り込む為に用いられている傾向があり、必ずしもオタク趣味を持った人達全てを指すような単語として機能していない。このため、オタク趣味を持っていない人間に対して投げかけられることもあれば、オタク趣味に満ち満ちている人であってもある種の特徴を満たさない人には投げかけられない可能性が高い。今回は、その“ある種の特徴”のなかでも、行動や発言に関するものをまとめて検討してみる。
なお、侮蔑的ニュアンスでオタクと呼ばれやすい服装については
こちらを、露見した時にキモオタ扱いされやすいオタク趣味については
こちらを参照頂きたい
(少々古い内容ですが)。
2.差別的ニュアンスでオタクと呼ばれやすい行動・発言
差別的・侮蔑的ニュアンスでオタクという言葉を投げかけられやすい個人が、しばしば見せる振る舞いを以下に記す。もちろん、
これらの行動があるからと言って、実際にその個人がキモオタかどうかは全く定かではない。しかし、多くの人がオタク趣味の有無を確認しないでオタクという言葉を差別的ニュアンスで用いる昨今、そのような忖度を無視した表面的な行動・発言の集積だけを根拠にキモオタ扱いされる事は十分にあり得る
※1。以下に、幾つかの危険な行動・発言を列挙してみる。幾つも的中している人は、かなり注意が必要だろう。仮にオタクという単語で侮蔑されないとしても、少なくとも嫌われること自体は避けられない。
・自分の趣味の話題しか発言しない&出来ない
特に趣味がオタク趣味のものだったら極めて危険、というか確定。話し相手がオタク仲間だろうがネット上の知り合いだろうが、社内の同僚だろうが、仕事や学業の話を離れると、もはや狭い趣味の話題しかしゃべることが出来ないという人は、侮蔑的なニュアンスでオタクと呼ばれるリスクが高い。特に、アニメ・漫画・ゲーム・アイドル・プロレスその他様々のオタクジャンルの話しか出来ず、モノカルチャーな自分をアピールしてしまう人は、見てくれが素敵であっても極めて高い確率で「キモオタ」「クソオタ」と小馬鹿にされてしまうだろう。また、オタク趣味だけのモノカルチャーではなく、普通の人にはあまり馴染みのない専門領域や趣味だけのモノカルチャーになってしまっている人
(例:哲学専攻で哲学の話しか出来ない・生化学専攻で生化学の話しか出来ない・映画趣味で映画の話しか出来ない 等)も、時に「ウザオタ」「クソオタ」などという言葉を贈られる事があり得るし、ましてその人の見てくれがきちんとしていなければ「キモオタ」と呼ばれる事も十分にあり得る。
こういった言動の背景には、趣味範囲の乏しさ・相手の立場を考えられない・交際範囲の乏しさ・自分が評価される土俵を離れられないなどといったプロフィールが存在するのかもしれない。
なお、この項目は
趣味への造詣が深いか浅いかは殆ど問われない。実は趣味人として全くリスペクトに値しない場合であっても、自分の趣味の話しか出来ないようであれば、侮蔑的なニュアンスでオタクと陰口叩かれるリスクは上昇する。
・説明や話題が、常に自己顕示の場となっている
このようなオタクを、我々はいったいどれぐらいの頻度でみる事が出来るだろうか?クソオタと侮蔑される人々の中に、あなたもこういう特徴を見いだしたことがあるかもしれない。人間は自己顕示の欲求を多かれ少なかれ持っているので、自己顕示そのものは非難すべきでは無いように思える。が、
それが恒常化してしまっていると鼻につくわけで、否定的評価の対象となる。これは最早オタク趣味の愛好家かどうかに限らず、誰もが嫌う特性であり、別に「オタク」というけなし言葉を使うまでもない、ごく当たり前に嫌われる特性である。こんな事を常にやっている人は、オタクという言葉がまだ流布していない領域であってもなにがしかの陰口の対象になる
(往々にして、本人は気づかない)。少なくとも、要領を得ない自己顕示はどこでもろくな結果を生み出さない。
しかし、オタクという言葉が侮蔑の言葉として用いられる場合、しばしばこの自己顕示というニュアンスを批判or揶揄する為に用いられる事がある。これは指摘せずにはいられない事柄で、オタクという言葉で非難される男女が陰口を叩かれる
(或いは堂々と罵倒される)際に、このような自己顕示がみられる場合がある事を私は強調しておきたい。2chでも、
自己顕示の強いコテハンや特定のIDは、DQNや馬鹿などという言葉を貰う代わりに、オタだとかヒキーだとかいった言葉でけなされる※2。様々な非難のニュアンスがオタクという言葉に込められるものの、特にこの項目は親和性が高いように思われるのだ。
様々な知識やコレクションによる自己顕示が強い背景には、時に自信の無さが隠れている可能性を指摘出来ることもある。等身大の自分に自信が無いのを、所有物や知識によって補っている場合は、自己顕示は強く、必死で、恒常的なものとなりがちである。顕示されるものは知識・コレクション・実績・知人など様々だが、特に顕示されるのがオタク趣味だったり、見てくれがオタクなファッション
(所謂アキバ系など)だったりすれば、貶しとしてオタクと呼ばれるリスクは高くなってしまう。
・自分が大切にしているものや知識・思考に対する批判への過敏性
前項目の自己顕示が強い人なら尚更だが、顕示されるものや、自分の顕示の仕方について批判されると過剰に反応する人がいる。特にオタク趣味界隈でそのような特徴を露わにした場合、オタクとして叩かれる
(その時の言葉は、ウザオタ、となる)ことが多い。また、自分が愛好している趣味分野や、自分が好んでいるものの考え方・対処法・処世術などに批判があると、必死に
(w)反応し、過剰との誹りを受けることもある。周囲はこういう時、「これだからオタクって奴は度し難い」ぐらいに思って、本人の必死な反応にまともにとりあってはくれない。感情的になっていればなっているほど評価は下がるし、オタク趣味愛好家の間でも毛嫌いされるリスクは高い。結局、趣味がどうという問題では無いのだ。こういう批判過敏性はオタク界隈だけでみられるものではないため、わざわざオタクという言葉が用いられるとは限らない。しかし、オタクという言葉が流通している文化圏では、このような
批判過敏性とでも言うべき特徴がオタクという言葉に託される…ことが多い。
実際は、オタク趣味愛好家の全てが自分の趣味分野に対する批判に過剰なわけでもないし、むしろある程度落ち着いたリアクションをとることができるわけで、
実際にこういうリアクションをとっていて「必死だなオタク!キモッ!」と言われるオタク愛好家はあまり多くない。むしろ、オタク愛好家と呼ぶほどオタク趣味に傾倒していない半端者などにもみられる事が多いわけだが、少々のオタク趣味にこの特徴が結びつくと、必死なオタクとして小馬鹿にされ疎まれる事は避けられない。2chなら、様々なアスキーアートを張り付けられて馬鹿にされるだろうし、
リアルな人間関係でこれをやっても、一発で嫌われる。嫌われるのに我慢できずにやってしまうからこそ、嫌われ続けてウザオタ呼ばわりされやすくもなるし、その病理に注目する価値も高くなるのだが…。オタクという批判に、こういうニュアンスが託されるケースは正直それほど多くはないが、託されるからにはその人は相当ウザがられている事は殆ど間違いない。
自分が大切にしている趣味分野・や考えが非難されたり貶された時、必死で反論するばかりか、感情的な反論をせずにいられない背景は?実際のところは、個人によって要因は様々だろう。しかし、それらが批判される
(≒脱価値化される)ことによって、彼らが寄る辺を失ってしまうからこそ必死になる可能性は指摘してもいいかもしれない。寄る辺がバーチャファイターしかない人と、バーチャファイターは多彩な遊びの一つと考えている人、どちらがバーチャを批判された時に激しく反応するだろうか?また、誇れるものがネットゲームのキャラクターだけの人と、誇れるものが沢山ある人、どちらのほうが激しくネットゲーム批判に反応するだろうか。一つの意見、一つの見解を批判されて激しく反応する、という行動の後ろ側に、あなたなら何を見いだしますか?私なら…。
・オタク叩きに対する敏感さ
前項の補足として、このファクターも挙げておこう。オタク趣味愛好家のかなり多くの人は、目前でオタク叩きが行われていようとも、それを受け流したりパロディ化したりして、自分の好きな趣味が叩かれていても耐えるor茶化す事が出来る。しかし、時々それが出来ない人もいて、オタク叩きに対して敏感にというより過敏に反応する場合がある。これがオタク仲間の間で起こる現象ならまだ救いはあるが、
非オタク趣味愛好家(昔は一般人、とも呼ばれた)の前でこれをやると、大変痛いオタクというレッテルを貼られてしまう事がある。オタク叩き・オタクホビー叩きに対して敏感に反応するさまは、特に非オタクの人達からは異様なもののように見えるらしく、「
なんでそんなくだらないものに必死なの?」という周囲の冷笑を浴びる事となる。そりゃ知らない人からみれば、アニメやゲームにいい歳した大人がのめり込むのは気持ち悪いだろうに、そういう洞察が彼らには欠落しているか、洞察はあっても心が融通利かせてくれないか、どちらかのようである。
余談だが、オタク趣味を断絶した人や、アキバ系ファッションをやめて隠れオタクになった人のなかには、しばしばオタク趣味・オタクファッションに対して過敏な非難を繰り返す人達がかなり存在する。彼らが、オタク達が趣味を擁護するさまに酷似した“自分達の選択の正しさを過剰に主張”している様子を見ていると、オタク趣味やオタクファッションをやめたといえども、なにか心理的には変わらないものが残存している事を疑わずにはいられなくなる。もちろん、こういった特徴を呈さない脱オタ者も沢山いることは付記しておく。
・(原因はどうあれ)周りを説得しきれない理屈を多く発言する
理系か文系かといった分類はともかく、周囲の理解を無視して理屈を話し続けた場合、周囲からの批判を集めやすい。実際には優れた理論であっても、周りに伝わらなければ結局独りよがりとみなされるわけで、必ずしも理論理屈が間違っているとは限らない。プレゼンされる理論や理屈の内容ではなく、むしろそのプレゼンテーションの方法
(説明の内容というよりは、態度や言葉遣いが中心)に問題があるケースが往々にしてあるわけだが、だとしても周囲から冷遇されるのは避けられない。
このような、「独りよがりな理屈野郎」と呼ばれそうな状況にも、オタクという言葉があてがわれることがある。
理屈の優劣はさておき、周囲の人達への適切なプレゼンテーションが出来ていない場合、当該分野のオタクという事で非難されてしまうのだ。各オタク分野のオタクは勿論、学問や仕事やその他文化活動でもこのような物言いは発生しうる。特に、このような「理解され難い理屈野郎」が何らかのオタク趣味を持っているor持っていることが推測される場合、認め難く、受け入れ難いオタクとして徹底的に嫌われる可能性がある。
幾ら優れた理屈や理論でも、高飛車な伝え方・相手をわきまえない伝え方ではウザがられるのに、敢えてそのような伝え方をする人達。彼らの持つ背景は何だろう?多くの場合、コミュニケーションの能力が無い、相手の立場を考えることが出来ない、という極単純な理由が当てはまりそうだ。自分は正しい→正しければどんな伝え方でも意見は通る筈という思いこみがあったり、
相手の立場や得手不得手を察する能力の欠乏があれば、こういったトラブルは多発する事になるし、多発するほど人望を失い、侮蔑を得ることとなる。また、時折みられるものに“理屈に酔うタイプ”というものが存在する。整然とした数字の呈示・少々過度に理論化された話を話せる自分に酔っているのである。この辺りは自己顕示で酔っぱらうオタクに相通ずる所があり、注目するに値する。また事実、自分の理論・理屈に酔うような人が
(オタク趣味界隈でも他でも)、自己顕示にも酔っぱらってしまっているケースはしばしばみられる。そんな人が
自分の得意な分野の話をする時は、高揚した気分を隠そうともしないので、遠目にもよく分かる。隠しても無駄だ。目でわかる。
・対人関係におけるオズオズした態度や行動選択
面と向かって人と話す時に、常に物怖じしたような態度
(キョドるなんて言葉もありましたっけ)をとったり、過度に緊張した態度をとっている事も、コミュニケーションにおいて損失となる可能性がある。可能性がある、という言葉よりも、「明らかな損失になる」と言い切ってしまってもいいかもしれない。オタクという言葉のステロタイプに、オズオズした人付き合いの出来ない奴というニュアンスが含まれているせいか、こういった物怖じがある場合にも、オタクという言葉を侮蔑的に投げかけられるリスクが高くなってしまうようである。
特に、オタクという言葉が侮蔑的ニュアンスとして広く定着している地域・年代においてはこの傾向は顕著であり、こういった特徴を持つ人は実際にはオタク趣味に傾倒していなくても、ちょっと漫画を読んでいるだけでも「あいつは暗いオタク」などと呼ばれてしまう事がある。物怖じや緊張が悪である筈もないのに、良くないものという意味合いでオタクという呼称が投げかけられてしまうのだ。
しかし、このような態度をとるからには、やはりそれ相応の心理的な背景があることには注目する価値があるかもしれない。キョドった態度を取る人というのは、一般的には」自信の無い状態である事が多いわけで、人前でキョドる人達が対人場面において自分自身に自信が持てていない確率はすごく高そうに思えるのだ。この単純な推論で導かれる心理的背景は、他項目の心理的背景として推測したものに合致している所がありそうだ。
・その他、震え、発汗、など
一部、被差別オタクの見た目についての特徴の項目にダブるが、幾つかの身体的な振る舞いの特徴がオタクという単語と結びつくことがある
(勿論頻度は比較的低いが)。
人前での微妙な震え、人前での発汗、視線を合わせるのが下手、緊張してどもる、声がモゴモゴと聞き取りづらい、猫背、俯き加減 などなどの特徴は、それら単独ではオタクと蔑まれる材料とならないが、このhtmlで挙げた他の項目とダブったり、
濃厚なオタク趣味の表明とダブることによって、オタクという単語による批判や侮蔑の対象となってしまうリスクが高くなる。そこまでいかなくてもなめられてしまう確率はかなり高くなる。
こういった特徴の背景について一概に述べることはできないが、少なくとも、俯き加減・視線を合わせるのが苦手・震え・発汗などが、その人の内面の緊張や不安を暗示しているかもしれない事には、着目すべきだろう。勿論、緊張や不安なしにこういった特徴が出てくる事は、ある。しかし、緊張や不安によって出てくることは、一層、ある。そして、実際に内面が不安や緊張に満ちていなくとも、それらの
生理的とみなされがちな振る舞いが表出される事によって、他人は「この人、ホントは不安なんじゃないの?」と勘ぐってしまうのである。そして、オタクという単語は、どうやら不安とか自信のなさとか緊張というファクターと相性が良いようで…。
・相手の理解を無視してオタク趣味の専門用語を乱用する
同じ趣味の人同士で、趣味の単語を撒き散らす
(それも、出来るだけマニアックなやつ)のはとても気持ちの良いことだが、これを公衆の面前で繰り返すと、「何この人気持ち悪い〜」という非難や侮蔑に曝されることとなる。MS-06・はにゃーん・月にかわっておしおきよ・「にゃ」「にゅ」「にょ」・INT>DEX型wiz・フライバイワイヤ等々例を挙げればきりがないが、
狭い趣味世界の中でしか流通せず、公には無価値で無意味とされがちな知識・単語・台詞を披瀝し続けると、相手はうんざりしてしまうし、会話する気も萎えてしまう。そして多くの場合、“まともに話もできないクソオタ”というレッテル貼りに直結してしまう。研究室の中で専門的な議論をしているわけでもなく、プライベートの場で、しかも相手が分かりっこない単語を気前よく散布すれば、あなたも立派なクソオタ扱いとなる。場合によってはオタク趣味の話でない事でもオタク扱いされる可能性すらある。これはコミュニケーションのなかでは明らかに危険な選択行動であり、
オタク趣味に限らず、相手に通じない専門的な言葉を連呼する際はよくよく気をつけなければならない。特に濃いオタク趣味の話題の場合、相手はあなたの事を意味不明のオタク話しか出来ない痛い奴だと思う可能性は殆ど100%に近い。まして、あなただけが目を輝かせているなら尚更だ。
こういう危険な行為を平然とするからには、相応の空気の読め無さ加減が背景としてある可能性が高い。知識の披瀝という意味で、自己顕示が背景に存在することは否定できないが、それよりも空気が読め無い・話し相手の立場を考えられないといった、コミュニケーションの決定的拙劣さがなければとても出来ない。
また、該当趣味分野でトップクラスの知識が無くても、その趣味分野を知らない人をうんざりさせるには十分すぎるという事には、注目したほうがいいかもしれない。ガンダムを知っている人にとって、「コスモバビロニア」「クワトロ大尉」「流石ゴックだなんともないぜ!」などはいずれも陳腐なボキャブラリーに過ぎないが、ガンダムを知らない人にとってそれらは充分わけがわからないわけで、話題にされ続けると苦痛を感じる可能性が高い。
この場合も、オタク趣味の(或いはその他の分野の)造詣の深さはほとんど問われていない。
また、同好のオタク同士でオタ趣味の話をしている場合でも、声が大きく、周囲の人にも聞こえる環境で話し続けると、周囲の人から白い目でみられる。それが目立てば目立つほど、持続すれば持続するほど侮蔑や非難の視線を集めやすくなる。都会の電車の中ならそれでも恥のかき捨てでいいのかもしれないが
(いや、よくないか)、例えば毎日登校する学校や、通勤先・得意先などでこういう振る舞いをすると、同好のオタク相手にオタク話をしているだけなのに、自然と周囲の評価が下がっている可能性もある。
幾ら相手をオタク仲間に限ったとて、声が大きくて目立ってしまえば、理解の無い周囲の人達からはあなたは騒音発生器とみなされてウザがられてしまう。
・非オタク趣味の人達から嫌悪の目でみられているグッズの披瀝
オタク趣味の少なからぬジャンル・作品は、その趣味分野を知らない殆どの人達から嫌悪・侮蔑・忌避されていることは、あなたもよく察していることだろう。幼女関連のエロ同人分野・エロゲー分野を筆頭に、801
(やおい)、美少女フィギュアなどの多くの分野が、市民権を獲得せぬまま現在に至っている。こういった状況下、
市民権を獲得していないオタク分野のグッズを見せびらかすことは、キリシタンが禁止された時代に十字架を見せびらかす行為に等しい愚行であり、然るべきオタクアイテムを衆人に曝すと陰口を集めてしまう可能性がある。勿論「あの人、実は……なんですって。ヒソヒソ」といった具合にである。
具体的には、ロリ幼女エロ同人誌・ハードやおい同人誌・エロゲー箱・パンツの見える幼女フィギュアなどを非オタク趣味の人達に見せれば、あなたはオタクとしての陰口を集めることができる。それらのグッズは市民権を獲得していないどころか、
持っているだけで犯罪者予備軍に近いイメージを相手に与えてしまう※3。そこまでいかなくても、子供向けアニメの少女キャラクターグッズをいい歳の人が持ち歩いていたりすれば、あまり良い顔をされない可能性は高いし、そういう行動が積み重なって
(殆ど不当に)低い評価を受けることになる人も存在する。
他の項目に比べると、この項目はコミュニケーションスキル/スペックとの関連があまり無いように思われる。ヤバいオタクグッズを誰彼構わず見せびらかして自己陶酔する馬鹿は例外として、思わぬミステイクでぽろりとヤバグッズを見せてしまった人もいることだろう。今回挙げた各項目のなかでは、最もオタク趣味そのものの濃さが反映されやすいアクション
(というより事故?!)と言える。