・オタクにみられる防衛機制
  ――特に萌えとの関連のなかで――

序文ver.1.10(2006.03/05)



 ・まず、防衛機制とは

 いきなりオタクにみられやすい防衛機制について語り出す前に、シロクマが知るところの防衛機制について、まだまだ不勉強ながらも極めて簡単な概略を呈示しておこう。

 防衛機制とは、S.フロイトによって提唱された、精神分析の支える重要な概念(or着眼点)のひとつである。人間の生きる世界は、心の安寧や均衡を損ねるようなシビアな出来事に満ち満ちているが、そういった外界の出来事をナマのまんまでいちいち心に受け止めていては精神の安定を維持し難い。もしそんな事をしていたら、人混みで迷子になるたびに大パニックになり、家族が死ぬたびに鬱病になりかねないし、嫌いな上司の姿を見るたびに恐怖で動けなくなってしまうだろう(この事は、防衛機制に障害が発生してしまった人においてリアルに確認出来る)

 だが人間の(特に意識されない)精神機能のなかには、こういった強烈な情動が意識に侵入してくるのを追い払う(或いはフィルタリング)してしまう事によって精神的安定を維持し、適応を維持していくようなメカニズムが存在し機能していると考えることもできる――これが、防衛機制と呼ばれる概念の概略である。メカオタ・軍オタが好みそうな表現をすれば、「心のダメコン」と言い表すのが適当だろうか。ストレッサーをその場で即座に全て回避できればダメコン即ちダメージコントロールなんて不要だが、実際は全ての心的ダメージを避けるなんて事は不可能なので、それらの心理防衛メカニズムが要請されるわけで、この(生物学的にはまだ解明が不十分な)防衛メカニズムを防衛機制と呼称する、というわけだ。これぐらいの理屈は、どこかで聞いたことがある人も多いのではないだろうか。

 防衛機制は、提唱者や学派によって僅かづつ解釈が異なり、例えば防衛機制というメカニズムが担うべきメインの役割がどの辺なのかについての着眼すら微妙に違っている部分もある。しかし私の知る限り、「外界で起こった出来事によってもたらされるキツい情動によって、精神内界がグラグラしすぎないよう、情動の一部を簡易処理して意識から遠ざける機能を防衛機制が担っている」という点までは大体の論者fにおいて共通しているように見える。このため、防衛機制が担う機能は上記括弧の中身のようなものであると捉え、当サイトは論を進めていく。

 ここまで読んでいただいた方ならなんとなく想像がつくだろうが、それゆえ防衛機制は病的な症状ではなく、むしろ病的でない人が日常生活を営んでいくうえで必須の心理機能と考えて構わない。だからこそ、こうした「外界由来の侵襲的な情動から心を守るメカニズム」が存在しなかったり不十分だったりしたらヤバい事になるし、逆に過剰に機能しすぎてしまったり、おかしな機能の仕方をしてもヤバい事になるわけである。免疫機構が身体に侵入する外敵をブロックする如く、防衛機制は精神内界に入ってくる侵襲をブロックしたり軽減したりする、と喩えれば分かりやすいだろうか。免疫機構が異常に働くとアレルギーや膠原病になり、免疫機構がブッ壊れると感染症に弱くなるのと同様、防衛機制が異常に働いてしまえば障害を生じる(例:神経症)し、防衛機制が弱すぎれば精神的な侵襲に対する耐性が乏しくなってしまう、のだ。

 時々「防衛機制が生じるのは神経症の証拠だ」とか「不適応の証明だ」とか言い出す人がいるが、だからそれは間違っていると言える。大抵の防衛機制は、むしろ精神内界のダメージ軽減のためのメカニズムが正常に機能している結果なんであって、異常なものではない。怪我した時にかさぶたが出来る事自体が異常では無いのと同じである。あくまで心的な適応を守る正常な機能の一環として捉えたほうが、現実に即している。

 防衛機制に関して本当に異常と言えるのは、やはり防衛機制がまともに機能出来ない人・過剰に機能するあまり、むしろ不適応(特に症状)を惹起してしまっている人・見当違いの防衛機制が勝手に発動してしまう人、などを挙げるべきだろう。防衛機制の脆弱性・未熟性と関わりが大きい疾患としては、統合失調症や一部人格障害や精神発達遅滞などが挙げられ、防衛機制の過剰性や見当違いの発現と関わりが大きい疾患としては神経症・ヒステリーなどが挙げられる。精神疾患の罹患者に特有に認められがちな防衛機制については紙幅の都合で割愛するが、元々はこうした精神疾患罹患者をみていてS.フロイトやA.フロイト達が防衛機制を解明したんだという事は付け加えておく(だからこそ、実地の患者さんから防衛機制について学ぶ事は多い。)※1



 ・劣等感や不全感の強いオタク達にみられがちな防衛機制


 では早速、精神疾患に罹患しておらず、なおかつこちらで挙げたような劣等感や不全感が強いオタク達においては、防衛機制はどんな格好で働いているのか検討しよう。防衛機制そのものは誰もが無意識下に機能させているもので、常に何らかの形で精神的ダメージをコントロールしている。よって、防衛機制が目立つからといって精神疾患があると思う必要はない。一方で、この防衛機制の表現型またはバリエーションは、、本人の資質・パーソナリティ・現在の社会的状況・知的機能・生活史上の傾向などによって様々に発現の仕方が変わってくる※2

 例えばオタク趣味分野だけにかろうじて生き甲斐を感じ、対人交流の対象も方法も偏っているような人、殊に対人コンプレックスの強い人なんかは、資質も社会的状況も生活史上の傾向もかなり偏っており、葛藤の要因になりそうな様々な要素が解消されないままになっている度合いが高そうである。本サイトで取り扱われる「侮蔑されがちなオタク達」は、こうした傾向を多かれ少なかれ持っているが、彼らとてムザムザと破綻はしない。そんな彼らだからこそ、葛藤がグサグサ心に刺さるのを避ける為に利用可能な防衛機制をフルに活用しているわけで、実地のオタク、特に既に葛藤の存在が確認済みのオタクを観察することを通して、私達は様々な葛藤−防衛の組み合わせをみることができる。



 ・なんで防衛機制をみていくの?という疑問に対して

 では、何故防衛機制をみていくのか?
今回のテキストの場合、「隠された葛藤の存在を明らかにする」為のソナーとして防衛機制を用いたいと考えている。防衛機制によってマスクされたものは、(例えば抑圧などが格好の例だが)本人には気づきにくいもので、第三者の視点からもやはり気づきにくいものである。だが、防衛が働いている事に首尾良く気づいたならば、その時に「あっ!何かは分からないけど、マスクされてるものがある!」とまでは少なくとも気づけるわけである。

 防衛機制を見る、という作業は魚群探知機で水中を探知する事に喩えることが出来るかもしれない。防衛機制という反応を通じて、私達は葛藤の存在を発見する事は出来る。だが、魚群探知機において水中の影がサンマの群なのかアジの群なのか潜水艦なのか分かりがたいのと同様、防衛機制によってマスクされた葛藤の具体的内容に関してはなかなか分かりがたい。しかし、魚群探知機において季節や海域や経験から「これはどうやらサンマの群らしい」と見当をつける事が出来るのと同様、防衛機制においても(特に、抑圧のように滅茶苦茶分かり難い奴を除き)状況・観察者のプロフィール・経験などから「どうやらこの辺りが防衛の対象になっているらしいぞ」と見当をつける事は可能である。魚群探知機における推測と同様か、それ以上に曖昧な見当づけになるのであてにしすぎて間違うこともあるが、ある程度までは葛藤内容の類推は可能だと私は感じている。特に、観察対象や状況に関する情報が豊富で、自分自身が似たようなパターンの防衛機制を用いている場合や、自分自身で経験済みの葛藤に関しては、かなりイイ線までアプローチすることが出来よう。

 後述される、オタクにみられる防衛機制に関して「こんなのがマスクされているみたい」という私の指摘は、こうした「作業」を通して把握された曖昧模糊とした輪郭に過ぎない事を断っておく。また、私自身の研鑽がアマアマだという事も断っておく。とはいえ、オタクの心性を明らかにしていくうえでは、このような方法論に依らなければ指摘しづらい部分がどうしてもあるわけで、このような手法に頼る事にした次第である。







 【※1防衛機制を解明したんだという事は付け加えておく。】

  なお、精神科畑ではなく、進化生物学畑出身の スティーブン・ピンカーは著書『人間の本性を考える―心は「空白の石版」か』のなかで、精神分析理論の一部に関しては否定的見解を提示している。それでもピンカーは、“淘汰の歴史のなかで、精神分析理論で防衛機制と現在分類されている行動”が現生人類の遺伝子が淘汰のなかで生き残らざるを得ない可能性や、その適応的意義に関して完全否定はしるわけではない

 彼は防衛機制に「自己欺瞞」という言葉をしばしば充てている。防衛機制の機能が“侵襲を招く現実の情報群から、複雑化した心的機能を保護する為に直面化を避ける方向に働く”性質を持っている以上、自己欺瞞というのも悪い表現ではないと思う。さしあたり、彼の視点においても防衛機制が全否定されなそうだという事に安堵しながら、とにかく論を進めていく。今後、彼らの側からの研究が進歩して防衛機制にプラスαを付け加える日が来たら、このテキストは大幅な改変を迫られるだろうが、それはもう少し未来の話になりそうである。もちろん私はその日が来るのを楽しみにしている。





 【※2発現の仕方は様々である】

 厳密には、ここに「病態水準からも巨大な影響を受けている」という言葉が挿入されなければならないのだが、今回のテキストでは統合失調症圏や人格障害圏に属するオタクは対象としておらず、神経症圏(つまり、神経症を罹患しているか、現在あるいは潜在的には精神疾患とは縁の無い)のオタクだけを対象としているので、重篤な病態水準に起因する諸問題はとりあげないこととする。例えば、防衛機制のなかでも異常に未熟な形態の分裂(spiliting)が出現したりする事は、神経症圏の人ではそうそうみられるものではない。よって、病態水準が未発達な水準の時しか出てこない類の防衛機制については、今回は無視させて頂く。

 なお、神経症圏という言葉は誤解を招きやすい言葉だが、神経症を罹患している人だけではなく神経症を罹患していない、精神疾患無しの人もここには含まれる。神経症の人だけを指す言葉ではないので、誤解しないよう注意。こちらのテキストの後ろのほうにも解説があるので、興味のある方はどうぞ。