JALの機内誌にSky Wordに「第10回JAL世界の旅エッセイコンテスト」と言う欄があり、読んでみましたらタイのことを書かれていました。
感動しましたので、作者である玉木文憲様に了解を得てここに掲載します。
世界で一番バリアのない街
「なにもこんな季節に行くことはなかったな」
梅雨入りして蒸し暑い日が続くある夜、インターネットを覗きながら、ふと考え込んでしまった。
天気予報を見る限り、どうさか立ちしても、大阪より暑いし、蒸す。しかも雨マークばかり。
「冬にすればよかった」
そう思ったところで、出発日は近づいている。ため息をつきながら関空に向かった日のことを忘れない。
車いすが手放せない私である。車いすに乗りながら世界中を飛び回っているせいか、お天気のことだけは気にしたものの、バンコクのバリアフリー事情がどうであるかなど、まったく気にもとめてなかった。
「なんとかなるサ」
これが私のチェアウォーカー流持論である。
空港からバンコク市内に入って感じたことも、想像を絶する蒸し暑さのことだけだった。
大阪から着てきたポロシャツの襟さえもがうっとおしく感じられた。
そんな私の顔色から血の気の失せたのが、ホテルの車寄せに着いたときである。ホテル玄関の前に、なんと十段ほどの階段があるじゃないか。旅行代理店からは、こんなエクスキューズはなかった。
「どうクレームを付けたものか」
鼻息荒く車から降り立った私の前に、ベルキャプテンが立った。
「サワディカプ。タマキサン」
両の掌を胸の前であわせたベルキャプテンが周囲に視線をやると、瞬時に四人の若者が集まり、私の車いすを抱え上げる。
ロビーのフロアまで抱え上げられたのでは、なにも文句がない。
「コプクンカプ」
慣れぬタイ語で礼を言う私に、「カプ」と応える彼らの笑顔がさわやかだ。ちょっとした外出、部屋での入浴の世話。
なにも困った事件は発生しなかった。
しかし、街の事情は少々異なった。段差、凸凹だらけの道路は、いかにも歩きにくい。
チェアウォーカーの私と、私を介助する妻にとっては「旅を遮るバリア」が、かたときも休まずに私たちの前に立ちはだかっているように思える。
雨量が多く、水浸しになることが多いという街では仕方のないことであろう。歩道に段差があるだけではなく、多くの歩道には壁のような縁石が付けられている。
道路を渡る横断歩道でさえ、高さ三〇センチはあろうかという中央分離帯を乗り越えなくてはならぬ。
街のあちこちで、先に進むことも戻ることもできなくなった。
ガイドブックには「困ったときは、まずタクシー なにしろ安い」と書かれている。
ところが道を知らぬタクシーが多い。
これじゃ乗れない。
こんな私たちに、救いの手を差し伸べてくれたのが、ガイドブックでは「日本人と見ればふっかける」と悪評高いトゥクトゥクである。
街のいたるところに、三輪バイクに客席を取り付けたトゥクトゥクと、その運転手たちがとぐろを巻いている。道を知らぬタクシーを諦めた観光客には必ず近づいて、「乗れ」と誘う。
当然料金はふっかけてくるが、根気よく話し合えば、そう高いものではない。
話がつけばあとは快適である。とぐろ仲間に声をかけ、私をかついで乗せてくれる。
車いすもたたんで載せてくれる。
「タクシーに負けるもんか」とばかりにぶっ飛ばし、目的地でも仲間を呼んで、私の乗り降りを手伝ってくれる。
障害者だとかバリアフリーだとかいうと、すぐにお役所仕事的な福祉を連想してしまうのだけれど、こうした「話せばわかる」バリアフリーって最高だ。
お互いに感謝の言葉が行きかう。
結局バンコクでは、ほとんどのシーンで困ることがなかった。
私たち日本人と違って、困ってる人間を見て「知らん顔」する人がいないのだ。
バリアフリー設備の整っていない国は多いけど、バリアフリーというのは設備だけでするものだろうか。
二〇〇〇年の歴史の街ローマでも、三〇〇〇年の歴史の街北京でも、発展途上のバンコクでも、設備的なバリアフリーは決して誉められたものじゃない。
しかし、そこに住む人々のバリアフリーマインドの豊かさといったら、とても日本の比ではない。
人の命に仏が宿ると考える仏教の国、タイの人々のバリアフリーマインドは世界一。
彼らの住むタイ、バンコクという国土こそ「世界一バリアフリーな街」と呼んで、間違いないのではないかと思った。
人々の熱いハートを全身で受けた四日間の暑さが、なんとなく心地よい旅だった。