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PBM覚え書き

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8月8日(木)

 あーあ、結局先月は一回しか書けなかった。まあいいや。

 一つ言葉を思いついたので、「覚え書き」らしく書き留めておくことにします。
 

『キャラクターとアクションの乖離現象』

 「理論的にはそうかも知れないが、そのキャラクターはそんなことができるだけの人間なのか?」ということ。

 極端な例を挙げれば、
「重い税金に悩む村人を救うため、税率を下げる」
 というアクションを、一介の農民PCがかけたとしたら(どういうPBMだ?)。

 確かに税率を下げれば村人たちは助かるかも知れないけれど、果たしてこの農民PCにそんな権限はあるのか?

 もう一つ例を挙げれば、
「発表会が近いのに、毎日の血のにじむような練習の成果がなかなか出ずに悩んでいるトップダンサーの楽屋に行って、『がんばれ』と励ます」
 というアクションを、一介のファンに過ぎないPCがかけたとしたら(ちょっとはPBMのシチュエーションらしくなった)。

 これが、このダンサーと以前に知り合っていて、ダンスとは違う分野で自分も頑張っていることをこのダンサーも知っていてくれている、という経過があったのなら、上記のアクションも説得力が増すでしょう(それにしたってもう少しやり方はありそうですけど)。
 そんな背景もないただのファンなら、楽屋にすら入れてもらえないでしょうし。

 「こういう特殊能力を取っているから大丈夫」とか「能力値がこれだけあるから問題ない」とか「アメリカの某研究所の発表によると……」とか、そういうものはおまけでしかありません。
 リアクションの中で積み上げていったものが大切なのであって、そういう積み重ねもなしに理論ばっかり先行している人を見ると、ちょっと寂しくなります。
 あるいは僕がPBMというものに対して何か大きな幻想を抱きすぎているのかも知れませんが。

 NPCとの絡みもそうで、説得するにしても励ますにしても愛の告白するにしても、それを受けさせるだけの準備ができているかが大事なのに。


8月18日(日)

 ムーノーローカルの作り方なんてものにリンクしたのに大した意味はありませんが、全く無意味でもないわけで。

 僕はムーノーローカルというサイトを現在進行形では見たことがありません。
 ムーノーローカルが終了したのは僕がちょうどテキストサイト、ニュースサイトなんてものに興味を持ち始めた頃のことで、あちこちでその名を見かけたけれども、ムーノーそのものは結局一度も見ることはありませんでした。
 僕が初めてムーノーを自分の目で見たのは、ムーノーが終了したときでした。
 ムーノーの跡地には、いくつかの過去ログと共にこの「ムーノーローカルの作り方」というテキストがありました。
 このテキストを読んで、当時の僕は何か感銘を受けたように記憶しています。

 このほど久々に読み返す機会に恵まれ、そして「あそびば」で紹介しようと思い立ったわけですが、なぜそう思ったかは言わないでおきます。
 代わりに一文だけ引用。

・ムーノーローカルは書き手の著作物だが、読者のものである。

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文責:並丼