寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




 
 油画をかいてみる。
 
 正直に実物のとおりの各部分の色を、それらの各部分に相当する
 
「各部分」に塗ったのでは、できあがった結果の「全体」はさっぱ
 
り実物らしくない。
 
 全体が実物らしく見えるように描くには、「部分」を実物とはち
 
がうように描かなければいけないということこなる。
 
 印象派の起こつたわけが、やっと少しわかって来たような気がす
 
る。
 
 思ったことを如実に言い現わすためには、思ったとおりを言わな
 
いことが必要だという場合もあるかもしれない。
 
(大正十年七月、渋柿)


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