寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




  あらし
 嵐の夜が明けかかった。
                                              へい               かわら
 雨戸を細目にあけて外をのぞいて見ると、塀は倒れ、軒ばの瓦は
 
はがれ、あらゆる木も革もことごとく自然の姿を乱されていた。
         いちょう
 大きな銀杏のこずえが、巨人の手を振るようになびき、吹きちぎ
           こいし
られた葉が礫のようにけし飛んでいた。
 
 見ているうちに、奇妙な笑いが腹の底から込み上げて来た。
 
 そうして声をあげてげらげら笑った。
 
 その瞬間に私は、天と地とが大声をあげて、私といっしょに笑っ
 
たような気がした。
 
(大正十年八月、渋柿)


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