寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




 
 「三から五ひくといくつになる」と開いてみると、小学一年生は
 
「零になる」と答える。
 
 中学生がそばで笑っている。
 
 3-5=-2という「規約」の上に組み立てられた数学がすなわち代数
 
学である。
 
 しかし3-5=0という約束から出発した数学も可能かもしれない。
 
 しかしそれは代数ではない。
 
 物事は約束から始まる。
 
 俳句の約束を無視した短詩形はいくらでも可能である。
 
 のみならず、それは立派な詩でもありうる。
 
 しかし、それは、もう決して俳句ではない。
 
(大正十年九月、渋柿)


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