寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




 
 コスモスという草は、一度植える植えると、それから後数年間は、
 
毎年ひとりで生えて来る。
 
 今年も三、四本出た。
                     せ た
 延ひ延びて、私の脊丈けほどに延びたが、いっこうにまだ花が出
 
そうにも見えない。
                           せんたん  あり         びき
 今朝行って見ると、枝の尖端に蟻が二、三疋ずつついていて、何
 
かしら仕事をしている。
 
 よく見ると、なんだか、つぼみらしいものが少し見えるようであ
 
る。
 
 コスモスの高さは蟻の身長の数百倍である。
 
 人間に対する数千尺に当たるわけである。
 
 どうして蟻がこの高い高い茎の頂上につぼみのできたことをかぎ
 
つけるかが不思議である。
 
(大正十年十一月、渋柿)


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