寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




 
 暮れの押し詰まった銀座の街を、子供を連れてぶらぶら歩いてい
 
た。
 
 新年用の盆栽を並べた露店が、何軒となくつ、づいている。
                                                              はち
 貝細工のような福寿草よりも、せせこましい枝ぶりをした鉢の梅
                わら         やぶこうじ
よりも、私は、藁で束ねた薮柑子の輝く色彩をまたなく美しいもの
 
と思った。
 
 まんじゅうをふかして売っている露店がある。
  せいろ
 蒸寵から出したばかりのまんじゅうからは、暖かそうな蒸気がゆ
         うず
るやかな渦を巻いて立ちのぼっている。
                                          てのひら
 私は、そのまんじゅうをつまんで、両の掌でぎゅつと握りしめて
 
みたかった。
 
 そして子供らといっしょにそれを味わってみたいと思った。
 
 まんじゅうの前に動いた私の心の惰性は、ついその隣の紙風船屋
 
へ私を導いて、そこで私に大さな風船玉を二つ買わせた。
 
 まんじゅうを食う事と、紙風船をもてあそぶ事との道徳的価値の
 
差違いかんといったような事を考えながら、また子供の手をひいて
 
暮れの銀座の街をぶらぶらとあてもなく歩いて行った。
 
(大正十一年二月、渋柿)


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