祖父がなくなった時に、そのただ一人の女の子として取り残され
た私の母は、わずかに十二歳であった。
家を継ぐべき養子として、当時十八歳の父が迎えられる事になっ
たが、江戸詰めの藩公の許可を得るために往復二か月を要した。
それから五十日の喪に服した後、さらに江戸まで申請して、いよ
いよ家督相続がきまるまでにまた二か月かかった。
一月二十七日に祖父が死んで、七月四日に家督が落ち着いたのだ
そうである。
すだれ
喪中は座敷に簾をたれて白日をさえぎり、高声に話しする事も、
もめんぐるま いまし
木綿車を回すことさえも警められた。
すべてが落着した時に、庭は荒野のように草が茂っていて、始末
に困ったそうである。
(大正十一年四月、渋柿)