寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




 
 切符をもらったので、久しぶりに上野音楽学校の演奏会を聞きに
 
行った。
 
 あそこの聴衆席にすわって音楽を開いていると、いつでも学生時
 
代の夢を思い出すと同時にまた夏目先生を想い出すのである。
 
 オーケストラの太鼓を打つ人は、どうも見たところあまり勤めば
 
えのする派手な役割とは思われない。
 
 何事にも光栄の冠を望む若い人にやらせるには、少し気の毒なよ
 
うな役である。
 
 しかし、あれは実際はやはり非常にだいじな役目であるに相違な
 
い。
 
 そう思うと太鼓の人に対するある好感をいだかせられる。
 
 ロシニのスタバト・マーテルを聞きながら、こんなことも考えた。
                                            ほろ                    かす
 ほんとうのキリスト教はもうとうの昔に亡びてしまって、ただ幽
 
かな余響のようなものが、わずかに、こういう音楽の中に生き残っ
 
ているのではないか。
 
(大正十二年一月、渋柿)


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