寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




 
 数年前の早春に、神田の花屋で、ヒアシンスの球根を一つと、チ
 
ューリップのを五つ六つと買って来て、中庭の小さな花壇に植え付
 
けた。
 
 いずれもみごとな花が咲いた。
 
 ことにチューリップは勢いよく生長して、色さまざまの大きな花
 
を着けた。
 
 ヒアシンスは、そのそばにむしろさびしくひとり咲いていた。
 
 その後別に手入れもせず、冬が来ても掘り上げるだけの世話もせ
 
ずに、打ち棄ててあるが、それでも春が来ると、忘れずに芽を出し
 
て、まだ雑草も生え出ぬ黒い土の上にあざやかな緑色の焔を燃え立
 
たせる。
                                                   いしゅく
 始めに勢いのよかったチューリップは、年々に萎縮してしまって、
 
今年はもうほんの申し訳のような葉を出している。
 
 つぼみのあるのもすくないらしい。
 
 これに反して、始めにただ一本であったヒアシンスは、次第に数
 
を増し、それがみんな元気よく生い立って、サファヤで造ったよう
 
な花を鈴なりに咲かせている。
 
 そうして小さな花壇をわが物のように占領している。
 
 この二つの花の盛衰はわれわれにいろいろな事を考えさせる。
 
(大正十二年五月、渋柿)


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