寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




         うぐいすちゃ
 無地の鶯茶色のネクタイを捜して歩いたがなかなか見つからない。
 
 東京という所も存外不便な所である。
 
 このごろ石油ランプを探し歩いている。
                                かいわい
 神田や銀座はもちろん、板橋界隈も探したが、座敷用
 
のランプは見つからない。
 
 東京という所は存外不便な所である。
 
 東京市民がみんな石油ランプを要求するような時期が、いつかは
 
まためぐって来そうに思われてしかたがない。
 
(大正十二年七月、渋柿)

 (『柿の種』への追記)大正十二年七月一日発行の「渋柿」にこ
れが掲載されてから、ちょうど二か月後に関東大震災が起こって、
東京じゅうの電燈が役に立たなくなった。これも不思議な回りあわ
せであった。


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