寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




                          さかわがわ
 震災後の十月十五日に酒匂川の仮橋を渡った。
 
 川の岸辺にも川床にも、数限りもない流木が散らばり、引っかか
 
っていた。
                             かんぼく
 それが、大きな樹も小さな灌木も、みんなされいに樹皮をはがれ
                                         ふさよう じ
て裸になって、小枝のもぎ取られた跡は房楊枝のように、またささ
 
らのようにそそけ立っていた。
                                    のが
 それがまた、半ば泥に埋もれて、脱れ出ようともがいているよう
                                                       くもん
なのや、お互いにからみ合い、もつれ合って、最期の苦悶の姿をそ
 
のままにとどめているようなのもある。
 
 まだ、かろうじて橋杭にしばみついて、濁流に押し流されまいと
 
戦っているようなのもある。
         けいこく
 上流の谿谷の山崩れのために、生きながら埋められたおびただし
 
い樹木が、豪雨のために洗い流され、押し流されて、ここまで来る
                         がいこつ
うちに、とうとうこんな骸骨のようなものになってしまったのであ
 
る。
  ひふくしょう
 被服廠の参上を見ることを免れた私は、思わぬ所でこの恐ろしい
         かわら
「死骸の磧」を見なければならなかったのである。
 
(大正十二年十二月、渋柿)


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