寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




  はいかい
 俳諧で「虚実」ということがしばしば論ぜられる。
 
 数学で、実数と虚数とをXとYとの軸にとって二次元の量の世界
 
を組み立てる。
 
 虚数だけでも、実数だけでも、現わされるものはただ「線」の世
 
界である。
 
 二つを結ぶ事によって、始めて無限な「面」の世界が広がる。
 
 これは単なる言葉の上のアナロジーではあるが、連句はやはり異
 
なる個性のおのおののXY、すなわちX112233……によっ
 
て組み立てられた多次元の世界であるとも言われる。
                                            し い
 それは、三次元の世界に住するわれらの思惟を超越した複雑な世
 
界である。
                         せいこう
 「独吟」というものの成効し難いゆえんはこれで理解されるよう
 
に思う。
 
 また「連句」の妙趣がわれわれの「言葉」で現わされ難いゆえん
 
もここにある。
 
(昭和二年五月、渋柿)


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