寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




                                    やす ぎ ぶし   や ぎ ぶし
 ラジオの放送のおかげで、始めて安来節や八木節などというもの
 
を聞く機会を得た。
 
 にぎやかな中に暗い絶望的な悲しみを含んだものである。
                                                   ひ  れんそう
 自分は、なんとなく、霜夜の街頭のカンテラの灯を聯想す
 
る。
 
 しかし、なんと言っても、これらの民謡は、日本の土の底から聞
 
こえて来るわれわれの祖先の声である。
  うた
 謡う人の姿を見ないで、拡声器の中から響く声だけを聞く事によ
 
って、そういう感じがかえって切実になるようである。
                                                                ほうき
 われわれは 結局やはり、ベートーヴェンやドビュッシーを抛棄
 
して、もう一度この祖先の声から出直さなければならないではない
 
かという気がするのである。
 
(昭和二年七月、渋柿)


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