寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




         さきかた
 最上川象潟以後
 

               きょう えちご   にいつ          あ が の がわ                 あいづ
 (はがき)今日越後の新津を立ち、阿賀野川の渓谷を上りて会津
       いなわしろ こはん                  ばんだいさん
を経、猪苗代湖畔の霜枯れを圧する磐梯山のすさまじき雪の姿を仰
      こおりやま
ぎつつ郡山へ。
            おう う せん
 それより奥羽線に乗り替え上野に向かう。
       にし な す の                 しおばら
 先刻西那須野を過ぎて昨年の塩原行きを想い出すままにこのはが
             そうろう
きをしたため候。
 
 まことに、旅は大正昭和の今日、汽車自動車の便あればあるまま
   う                                ふところご
に憂くつらくさびしく、五十一歳の懐子には、まことによい浮世の
 
手習いかと思えばまたおかしくもある。
 
 さるにても、山川の美しさは、春や秋のは言わばデパートメント
 
の売り出しの陳列棚にもたとえつべく、今や晩冬の雪ようやく解け
     おうしせきかつ
て、黄紫赤褐にいぶしをかけし天然の肌の美しさは、かえって王宮
 
のゴブランにまさる。
                       ふき  とう
 枯れ芝の中に花咲く蕗の薹を見いでて、何とはなしに物の哀
         はべ
れを感じ侍る。
 
   自動車のほこり浴びても蕗の薹
 
(昭和三年四月、渋柿)


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