公園劇場で「サーカス」という芝居を見た。
曲馬の小屋の木戸口の光景を見せる場面がある。
アウトマーテン
木戸口の横に、電気人形に扮した役者が立っていて、人形の身振
かっさい
りをするのが真に迫るので、観客の喝采を博していた。
くるりと回れ右をして、シルクハットを脱いで、またかぶって、
左を向いて、目玉を左右に動かしておいて、さて口をぱくぱくと動
かし、それからまたくるりと右へ回って同じ挙動を繰り返すのであ
る。
生きた人間の運動と機械人形の運動との相違を、かなり本質的に
つかんでいるのは、さすがに役者である。
たとえば手の運動につれて、帽子がある位置に来て、その重心が
支点の真上に来るころ、不安定不衡の位置を通るときに、ぐらぐら
と動揺したりする、すいう細かいところの急所をちゃんと心得てい
る。
もちろんこの役者は物理学者ではないし、自働人形の器械構造も
知らないであろうが、しかし彼の観察の眼は科学者の眼でなければ
ならない。
人形の運動はすべて分析的である。総合的ではない。
たいていの人間は一種のアウトマーテンである。
あらゆる尊敬すべききまじめなひからびた職業者はそうである。
そうでないものは、英雄と超人と、そうして浮気な道楽者の太平
の逸民とである。
俳語の道は、われわれをアウトマーテンの境界から救い出す一つ
の、少なくも一つの道でなければならない。
(昭和三年五月、渋柿)