寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




   なし              ふ                              そうせい
 梨の葉に黄色い斑ができて、毛のようなものが簇生する。
 
 自分は子供の時から、あれを見るとぞっと寒気がして、そして自
 
分の頬からこめかみへかけて、同じような毛が生えているような気
 
がして、思わず頼をこすらないではいられない。
                かえで
 このごろ庭の楓樹の幹に妙な寄生物がたくさん発生した。
 
 動物だか植物だかわからない。
きのこ        かさ
蕈のような笠の下に、まっ白い絹糸のようなものの幕をたれて、小
 
さなテントの恰好をしている。
 
 打っちゃっておけば、樹幹はだんだんにこのために腐蝕されそう
 
である。
 
 これを発見した日の晩に、ふと思い出すと同時に、これと同じも
 
のが、自分の腕のそこやかしこにできていそうな気がして、そして
 
それが実際できているありさまをかなりリアルに想像して、寝つか
 
れなくて困った。
 
 人の悪事を開いたり読んだりして、それが自分のした事であるよ
 
うな幻覚を起こして、恐ろしくなるのと似た作用であるかもしれな
 
い。
 
 そして、これは、われわれにとって、きわめてだいじな必要な感
 
応作用であるかもしれない。
 
(昭和三年七月、渋柿)


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