寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




         りょうごく
 始めて両国の川開きというものを見た。
   か し            さじき
 河岸に急造した桟敷の一隅に席を求め、まずい弁当を食い、気の
                   の
抜けたサイダーを呑み、そうしてガソリン臭い川風に吹かれながら、
 
日の暮れるのを待った。
 
 全く何もしないで、何も考えないで、一時間余りもポカンとして、
 
花火のはじまるのを待っているあほうの自分を見いだすことができ
 
たのは愉快であった。
                                    はんじょう
 附近ではビールと枝豆がしきりに繁昌していた。
 
 日が暮れて、花火がはじまった。
 
 打ち上げ花火はたしかに芸術である。
 
 しかし、仕掛け花火というものは、なんというつまらないもので
 
あろう。
 
 特に往生ぎわの悪さ、みにくさはどうであろう。
 
 「ざまあみろ。」
 
 江戸ッ子でない自分でもこう言いたくなる。
 
 一つ驚いた事を発見した。
                                                       ひろしげ
 それはマクネイル・ホイッスラーという西洋人が、廣重よりも、
                                  すみだがわ
いかなる日本人よりも、よりよく隅田川の夏の夜の夢を知っていた
 
ということである。
 
(昭和三年九月、渋柿)


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