寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




 
 芸術は模倣であるというプラトーンの説がすたれてから、芸術の
 
定義が戸惑いをした。
 
 ある学者の説によると、芸術的制作は作者の熱望するものを表現
 
するだけでなく、それを実行することだそうである。
 
 その説によって、試みに俳句を取り扱ってみると、どういうこと
 
になるであろうか。
                                            のぐそ
 恋の句を作るのは恋をすることであり、野糞の句を作るのは野糞
 
をたれる事である。
 
 叙景の句はどういう事になるのか。
 
 それは十七字の中に自分の欲する景色を再現するだけではいけな
 
くて、その景色の中に自分が飛び込んで、その中でダンスを踊らな
 
くては、この定義に添わないことになる。
 
 これも一説である。
 
 少なくも古来の名句と、浅薄な写生句などとの間に存在する人の
 
重要な差別の一面を暗示するもののようである。
                                  かな
   客観のコーヒー主観の新酒哉
 
(昭和三年十一月、渋柿)


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