一日忙しく東京じゅう駆け回って夜ふけて帰って来る。
いたべい
寝静まった細長い小路を通って、右へ曲がって、我が家の板塀に
おぼろ
たどりつき、闇夜の空に朧な多角形を劃するわが家の屋根を見上げ
る時に、ふと妙な事を考えることがある。
この広い日本の、この広い東京の、この片すみの、決まった位置
に、自分の家という、ちゃんときまった住み家があり、そこには、
自分と特別な関係にある人々が住んでいて、そこへ、今自分は、さ
も当然のことらしく帰って来るのである。
しかし、これはなんという偶然なことであろう。
あ
この家、この家族が、はたしていつまでここに在るのだろう。
ある日、一日留守にして、夜おそく帰って見ると、もうそこには
自分の家と家族はなくなっていて、全く見知らぬ家に、見知らぬ人
が、何十年も前からいるような様子で住んでいる、というような現
象は起こり得ないものだろうか、起こってもちっとも不思議はない
ような気がする。
そんな事を考えながら、門をくぐって内へはいると、もうわが家
の存在の必然性に関する疑いは消滅するのである。
(昭和四年七月、渋柿)