寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




 
 純白な卓布の上に、規則正しく並べられた銀器のいろいろ、切り
 
子ガラスの花瓶に投げ込まれた紅白のカーネーション、皿の上のト
 
マトの紅とサラドの緑、頭上に回転する扇風機の羽ばたき、高い窓
 
を飾る涼しげなカーテン。
 
 そこへ、美しいウエトレスに導かれて、二人の老人がはいって来
 
る。
          ばしょうおう  うたまろ
 それは芭蕪翁と歌麿とである。
 
 芭蕉は定食でいいという、歌麿はア・ラ・カルテを主張する。
 
 前者は氷水、後者はクラレットを飲む。
 
 前者は少なく、後者は多く食う。
 
 前者はうれしそうに、あたりをながめて多くは無言であるが、後
 
者はよく談じ、よく論じながら、隣の卓の西洋婦人に、鋭い観察の
 
眼を投げる。
 
 隣室でジャズが始まると、歌麿の顔が急に活き活きして来る、葡
 
萄酒のせいもあるであろう。
 
 芭蕉は、相変わらずニコニコしながら、一片の角砂糖をコーヒー
 
の中に落として、じっと見つめている。
         あわ
 小さな泡がまん中へかたまって四方へ開いて消える。
 
 それが消えると同時に、芭蕉も、歌麿も消えてしまって、自分は
 
ただ一人、食堂のすみに取り残された自分を見いだす。
 
(昭和五年九月、渋柿)


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