むさし の かん
新宿、武蔵野館で、「トルクシブ」というソビエト映画を見た。
こうや
中央アジアの、人煙稀薄な曠野の果てに、剣のような嶺々が、万古
の雪をいただいて連なっている。
こうばく
その荒漠たる虚無の中へ、ただ一筋の鉄道が、あたかも文明の触
手とでもいったように、徐々に、しかし確実に延びて行くのである。
この映画の中に、おびただしい綿羊の群れを見せたシーンがある。
あんな広い野を歩くのにも、羊はほとんど身動きのできないほど
に密集して歩いて行くのが妙である。
しらあわ
まるで白泡を立てた激流を見るようである。
新宿の通りへ出て見ると、おりから三越の新築開店の翌日であっ
たので、あの狭い人道は非常な混雑で、ちょうどさっき映画で見た
羊の群れと同じようである。
してみると、人間という動物にも、やはりどこか綿羊と共通な性
質があるものと見える。
たぬき むじな
そう考えると、自分などは、まず狸か狢の類かと思って、ちょっ
とさびしい心持ちがした。
そうして、再びかの荒漠たる中央アジアの砂漠の幻影が、この濃
しんきろう
まやかな人波の上に、蜃気楼のように浮かみ上がって来るのであっ
た。
(昭和五年十一月、渋柿)