女の顔
夏目先生が洋行から帰ったときに、あちらの画廊の有名な絵の写
真を見せられた。
そうして、この中で二、三枚好きなのを取れ、と言われた。
その中に、ギドー・レニの「マグダレナのマリア」があった。
先生の好きな美女の顔のタイプ、といったようなものが、おぼろ
げに感ぜられるような気がしたのである。
じんだいすぎ
そのマグダレナのマリアをもらって。神代杉の安額縁に収めて、
びかん
下宿の楣間に掲げてあったら、美人の写真なんてかけてけしか
らん、と言った友人があった。
せんだぎ
千駄木時代に、よくターナーの水彩などを見せられたころ、ロゼ
せんびょうしつ
チの描く腺病質の美女の絵も示された記憶がある。
ああいうタイプもきらいではなかったように思う。
われがね
それからまたグリューズの「破瓶」の娘の顔も好きらしかった。
ヴォラプチュアスだと許しておられた。
ぐ びじん そう
先生の「虞美人草」の中に出て来るヴォラプチュアスな顔のモ
デルがすなわちこれであるかと思われる。
いつか、上野の音楽会へ、先生と二人で出かけた時に、われわれ
のすぐ前の席に、二十三、四の婦人がいた。
そく
きわめて地味な服装で、頭髪も油気のない、なんの技巧もない束
はつ
髪であった。
めがね
色も少し浅黒いくらいで、おまけに眼鏡をかけていた。
しかし後ろから斜めに見た横顔が実に美しいと思った。
インテリジェントで、しかも優雅で温良な人柄が、全身から放散
しているような気がした。
音楽会が果てて帰路に、先生にその婦人のことを話すと、先生も
注意して見ていたとみえて、あれはいい、君あれをぜひ細君にもら
え、と言われた。
もちろんどこのだれだかわかるはずもないのである。
その後しばらくたつてのはがきに、このあいだの人にどこかで会
ったという報告をよこされた。全集にある「水底の感」という変わ
った詩はそのころのものであったような気がする。
「趣味の遺伝」もなんだかこれに聯関したところがあるような気
がするが、これも覚えちがいかもしれない。
それはとにかく、この問題の婦人の顔がどこかレニのマリアにも、
レーノルズの天使や童女にも、ロゼチの細君や殊にも少しずつ似て
いたような気がするのである。
しかし、一方ではまた、先生が好きであったと称せらるる某女史
の顔は、これらとは全くタイプのちがった純日本式の顔であった。
かつおぶしや
また「鰹節屋のおかみさん」というのも、下町式のタイプだったそ
うである。
先生はある時、西洋のある作者のかいたものの話をして「往来で
会う女の七十プロセントに恋するというやつがいるぜ」と言って笑
われた。
しかし、今日になって考えてみると、先生自身もやはりその男の
中に、一つのプロトタイプを認められたのではなかったかという気
もするのである。
(昭和六年一月、渋柿)