曙町より(八)
二女の女学校卒業記念写真帳と、三女のそれとを較べて見ている
と、甲の女学較の生徒の顔には、おのずから共通なあるものがあり、
乙の女学杖には、また乙の女学校特有のあるものがあるような気が
して来る。
不思議なようでもあり、また当然だという気もする。
日本人と朝鮮人との顔の特徴にしてもやはり同様にして発達した
ものであろう。
ただ、女学校では、わずか五年の問の環境の影響で、すでにこれ
だけの効果が現われる。
恐ろしいものである。
のぼ
レストーランで昼食をしていると、隣の食卓へお上りさんらしい
七、八人の一行が陣取った。
いずれも同年輩で、同じようないがぐりあたまが、これはまた申
し合わせたように同じ程度にはげているのである。
とくとう
ある学科関係の学者の集合では、かなり年寄りも多いのに一人も禿頭
がいない また別の学会へ行くと若い人まで禿頭が多い。
これも不思議である。
(昭和七年五月、渋柿)