曙町より(十五)
僕のふきげんな顔は君にも有名である。
かわと かみそり
三越の隣の刃物屋の店先に紙製の人形が、いつ見ても皮砥で剃刀
をといでいる。いつ見ても、さもきげんがよさそうに若い血色のい
あいきょう
い顔を輝かして往来の人々に公平に愛嬌を放散している。朝から晩
まで、夏でも冬でも、雨が降っても風が吹いても、いつでもさもさ
もきげんがよさそうに、せっせと皮砥をかけている。うらやましい
ような気もする。しかし僕は人形ではない。生きているのだからし
かたがない。ゆるしてくれたまえ。
このごろは毎朝床の中で近所のラジオ体操を開く。一、二、三、
四、五、六の掛け声のうちで「ゴー」だけが特別に高く、長く飛び
ぬけて聞こえる。この「ゴー」の掛け声が妙に気になる。妙に気恥
ずかしくて背中がくすぐつたくなるような声である。「ゴッ」と短
く打ち切ってもらいたい。
僕も毎朝ラジオ体操がやれるようなほがらかな気分になれれば、
そうしたら、きっといつもきげんのいい顔をお目にかけることがで
きるかもしれない。
(昭和八年八月、渋柿)