寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




 
  曙町より(十七)

                たばこ
 せんだって「煙草に関する展覧会」というのが、三越の四階に開
 
催された。いろいろおもしろいものが陳列されている中に、伊藤博
 
文公夫人が公の愛用のシガーのバンドをたくさん集めて、それを六
                びょうぶ
枚折り(?)の屏風に貼り込んだのがある。古切手を貼った面とこ
 
のバンドを張った面とが交互になっている。
 
 こういうたんねんな仕事に興味をもつ夫人のもっていたというこ
 
とが、あの伊藤公の生涯にやはりそれだけの影響を及ばしたのかも
 
しれないと思った。
                あさかのみや        こうきょ
 明治節の朝、朝香宮妃殿下の薨去が報ぜられた。風が寒かったの
                                                   やましたちょう
が日は暖かであった。上野から省線で横浜へ行って山下町の海岸の
 
プロムナードで「汽船のいる風景」をながめた。このへんのいろい
 
ろなビルディングにいろいろな外国の国旗が上がっている。その中
 
で、とある建物に上がっている米国の国旗だけが半旗として掲げら
 
れている。これが他の国旗ならなんとも思わないであろうが、米国
 
旗であるだけにそれが妙にいろいろ複雑な意味のあるように思われ
 
てしかたがなかった。
 
(昭和八年十二月、渋柿)


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