寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




 
  曙町より(二十)

 
 有名なエノケンをはじめて映画で見た。これまで写真を見ただけ
 
で、どうしても実物の芝居を見る気がしなかったが、映画で見ると
 
予想したほどに不愉快ではなく、やはりときどきは笑わされてしま
 
った。
 
 彼にはやはりどこかに「強い」ところがあると見える。それが少
 
なくも彼としての「成効」の原因であろう。とにかく見物が大丈夫
 
笑ってくれるという自信をもっているらしい。
 
 自信のないことを自覚している演芸ほど見ていて苦しいものはな
 
い。しかし、そうかと言って、自信するだけの客観的内容のないた
 
だ主観的なだけの自信をふり回す芸も困ることはもちろんである。
 
 至芸となると、演技者の自信が演技者を抜け出して観客の中へ乗
 
り移ってしまう。
 
 エノケンもそれまでにはだいぶ距離がある。
ふたむら
二村は両立する存在ではなくて従属し補充するだけの役割をしてい
 
るようである。
 
(昭和九年六月、渋柿)


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