中原中也「在りし日の歌」


   
  春宵感懐


 
 雨が、あがつて、風が吹く。
 
  雲が、流れる、月かくす。
                        よひ
 みなさん、今夜は、春の宵。
 
  なまあつたかい、風が吹く。
 

 
 なんだか、深い、溜息が、
 
  なんだかはるかな、幻想が、
                   つか
 湧くけど、それは、掴めない。
 
  誰にも、それは、語れない。
 

 
 誰にも、それは、語れない
 
  ことだけれども、それこそが、
 
 いのちだらうぢやないですか、
                      あ
  けれども、それは、示かせない……
 

 
 かくて、人間、ひとりびとり、
 
  こころで感じて、顔見合せれば
 
 につこり笑ふといふほどの
 
  ことして、一生、過ぎるんですねえ
 

 
 雨が、あがつて、風が吹く。
 
  雲が、流れる、月かくす。
 
 みなさん、今夜は、春の宵。
 
  なまあつたかい、風が吹く。