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  2004年(平成16)甲申 おぎも

2005

    ●平成16年(甲申)2004年01月01日

 明けましてお目出とう御座います。午後、母親を老健から連れ帰りました。昼食後に車に乗せ二時間の遠回りをした為、戻してしまいました。無茶をしたと反省中です。

     ●2004年01月03日

 元日は母の実家へご挨拶、二日は母の妹と姪が来て、賑やかな正月を味わった。三日は三男が娘連れで顔を見に来た。四日には真理子一家が来て、歌を唄いカルタをして、自由に歩くことは出来ないが、姉として母として祖母として曽祖母としての正月を過ごしたと思う。

     ●2004年01月07日

 老健に戻った母を見に行った。テーブル配置が変わっていたが、人手不足で介護は不足している。満足は無理でも納得はしたいのだが・・・・・

     ●2004年01月12日

 母の見舞いに行った。妻と娘が七福神巡りをしてから老健で合流し、施設内を歩行練習させた。良く歩き良く笑い楽しそうだった。良い年にしなければ・・・

     ●2004年01月16日

 人手不足で済まされては困るが爪切りもしていないし入浴もしていない。リハビリどころではない対応に不満を抱きながらも、退所を言われると困るので母には申し訳ないが目を瞑っている。

1    2004年01月18日

新しい釣り場を発見した。横須賀のリサイクルセンター・アイクル内に釣り施設があった。しかも車椅子対応でメジナが釣れていた。

               ●2004年01月21日

爪切りでは無く電動鑢で爪を研ぐ事が出来る。爪切りをさせない母に最適な道具を発見して試してみたが、久し振りに巻き爪も短く出来た。

2    2004年01月25

横須賀の堤防には人が多くサバが釣れていた。場所が無いのでアイクルを見に行ったが、こちらは寒いだけだった。

3    2004年02月01日

餌を買い忘れたまま高速に入ってしまったのでアイクル行きを中止して、三崎港へ行ってみた。花暮岸壁は釣り人の行列があり釣れる予感もしたが、近所の餌屋の話で魚は釣れていないし餌も良いものが入荷していないとのことでイサキの名所である加工所前に決めた。結果は錆ハゼ二匹の寒い釣りとなったが隣の人は潤目イワシを三匹釣った。群れが見えるのに食いは極端に悪い。夜はイサキが釣れているが、日が延びて暗くなるのが遅くなったので釣れる時間も七時頃からと遅くなり、寒いので待てずに引き上げた。

4    2004年02月07日

晴海埠頭の展示会には昔から通ったが、初めて幕張メッセの釣り博覧会に行って来た。駐車場からの距離が遠くて車椅子では無理だ。会場は満員で釣りが普及している事を認識した。52万円の鮎竿を触ったり上州屋に無いツールを見たり、珍しいものを見る事が出来たが幕張は二度と行かない。 

    ●2004年02月10日

朝起きると急に心臓がドキドキしたので血圧を測ると92−163で脈拍が120もある。

以前とは違う不整脈が出ていて原因が判らない。慌てて降圧剤を服み、お茶を飲んで徳田病院に行き心電図を撮ったが、その頃には正常に戻っていて脈は速すぎるが正常値内だから大丈夫と言われた。

金曜日に血液内科へ行くので、その結果を見てからホルター検査をしようと言うことになった。

不安が大きいので、病院の周りを歩き回って三角ロータリーでタクシーを拾って帰宅したが大丈夫だった。寒くて血管が細くなって居るのかも知れない。

    ●2004年02月13日

東芝病院で採血の結果、白血球は20200に下がっていた。血小板は増えてしまったが、概ね安定していると思う。待合室で不整脈が起きたので心電図を診て貰い、ホルターを装着して来た。母の見舞いに行ったりして良く動き不整脈が起きるか試している。 

      ●2004年02月14日

ホルターを付けている間に不整脈は出なかった。不意に顕れて、待っていると出て来ない。痛くない病気は実に性質が悪い。 

     ●2004年02月15日

心臓に自信も無いし寒くて風も強いので釣りを止めて、にぎわい座に行ってみた。駐車場難で行けないと思っていたが、財団法人なので設備はあった。利用しにくいが手段はあると言うのが役所仕事らしくて感心した。

5    2004年02月21日

昨日は喘息の前兆で点滴を受けたが、18度の陽気になるとの予報で三崎港へ出掛けた。着いて見ると強風で厳冬の釣りになってしまい、カレイどころか錆ハゼ一匹という期待外れの一日であった。堤防の上や、台風情報の時に波が荒れ狂う画像をテレビで流す場所にも、多くの釣り人が終日頑張っていた。 

6    2004年02月28日

暖かいのでアイクルに行ってみた。大勢が竿を並べ黒メバルが釣れているので期待したが、ギンポとフグが各一匹で納竿した。底冷えして涙が出た。魚の活性が出る頃にはこの場所は満員になるだろうと思った。

          ●2004年03月04日

節分天井彼岸底なんて言葉は死語か。ダウが11500円を狙っている。銀行株も強い。景気が良いと言う話は身の回りでは聞こえないし店の売り上げは下降を続けている。円は105円から110円になった。彼岸に向けて急変があるのだろうか? 年金でアパート独居老人の決算書を代書したが、年金額は昨年(270万)より減って(260万)で控除額も減り赤字額が減った。来年は税金を払うことになる計算? 来年は代書を断りたいと思う。 

        ●2004年03月07日

風冷たく底冷えする日で釣りは無理。5月に同窓会を開くナビオス横浜を下見してから店舗廃業が続くマイカル本牧に行ったが、ワールドポーターズのマイカルとは天と地の違いだ。横浜博が開催された場所である「みなとみらい」の発展振りと比べて取り残された場所の凄さを見た。

7   2004年03月13日

三月下旬の陽気と言うことでアイクルに行ってみた。風強く寒さ堪えての釣りとなったが、メバルは姿を見せず手の平半分のカレイ一匹だった。意外にカレイの名所かも知れないと感じて久し振りの釣果に満足した。

     ●2004年03月21日

三月になってからの方が寒い日々が続いて釣りの意欲を失っている。PHSが陳腐化したので携帯に替えた。マイカルとワールドポーターズに行って来た。

8   2004年03月27日

最高気温15度と言うことで三崎港へ行ってみた。桜が咲き花見客が多いが釣り人は意外なほど少ない。花暮岸壁は暖かく昼寝の人が目立ったが、アタリがないので冷蔵庫前に移動したら強風が冷たく落胆した。結局ハオコゼ一匹で退散。

    ●2004年03月31日

昨年2月から病院と老健で過ごしていた母を自宅に迎えた。13ヶ月の間に痴呆は進んだが、歩けない他は見た目に変化がない。風邪と転倒が怖いが自宅介護の日が始まった。 

9    2004年04月11日

5月の陽気と言うことで三崎港へ行った。暑いくらいで風も無く釣れそうだったが水温は低くハオコゼ一匹に終わった。夜になるとイサキが釣れるというが、流石に夜は風も出て寒くなる。以前見られたボラやトーゴローの大群も今では昔語り、念仏鯛さえ姿を見せなくなってしまった。潮が変わったと言うのが、地元の話だった。

10   2004年04月18日

暑い位なので横須賀釣公園に行った。駐車場も一杯で釣り場も賑わっていたが、水温は低くて日中はヒトデとナマコだけだった。午後5時頃になると片口イワシが入れ食い状態になり50匹釣れた。暗くなるとカサゴが2匹釣れて、久し振りの満足だった。去年は少なかった片口が、今日釣れた事で今後の期待が膨らんだ。

11   2004年04月24日

降らない予報に騙されて三崎まで遠征したが、直ぐに大雨になった。住人の斉藤さんがメジナを狙って居て、久し振りに口太メジナの三角の尾鰭を目撃した。折角のチャンスなのに大粒の雨が容赦なく落ちて来て車に避難、天気が良ければ場所取りで次回は駄目かも知れない。

12   2004年05月02日

GWは渋滞があるので三崎は絶対に駄目と諦め、大黒に行ったが、こちらも入場制限。横須賀も渋滞は覚悟したが場所は何とかなると思い出掛けた。しかし生憎ヒデの7回忌で異様な姿のファンが花束などを持って大行列、一万人が参列したと言う。釣り公園に入ったが満員状態。最高気温16度で風強く、寒さも厳しかったが、片口イワシ8匹、カサゴ2匹を釣って早めに引き上げた。

13   2004年05月08日

横須賀釣公園で片口イワシが爆釣中、カサゴは釣れずイワシが100、メバルが2匹だった。免許証を紛失したので不携帯の為落ち着かない日だった。09日現在見付からず再発行の羽目になる。ETCカードの紛失届けなど気の重い手続きが待っている。ネットには慣れたが、電話での対応は苦手だ。

●    2004年05月12日

油断大敵火がぼうぼう・・初めて免許証を紛失した。ETCカードも一緒に見付からない。免許不携帯で20km先の試験場に出掛けた。手続きは簡単だが時間が掛かる。大きな施設に更新の人達だろうか沢山待っている。再発行組も結構居る。新免許と違って交付されても嬉しくないし、不携帯で出掛けている後ろめたさもある。献血の案内に、採血される筈も無いのに「採ってくれる?」と声を掛けてみた。でも、直ぐに64歳までだと言われて断られた。5年もオーバーでは不要なんだ。帰りは免許を持っているから、飛ばして帰ってきた。  

14   2004年05月15日

紫外線の強い日、横須賀釣公園に行き極端に小さい片口イワシが七匹、豆サバ四匹、特大カサゴが一匹だった。

豆アジも期待出来るようで近くでは片口500匹を釣った人が居た。メバルは駄目のようだったが、カサゴやソイは大きくなっている。 

●    2004年05月18日

母をショートステイで老健に連れて行き、その足で半年間入院中の義兄の見舞いに由比まで出掛けた。フィルダーで初めて東名高速を走ったが、アコードと違いスピードは出ないし安全運転そのものだった。アルコール依存症で糖尿病を持っていると退院を控えても家族の悩みは尽きない。父がアル中だったことで子供の頃から苦しめられた私は、酒を憎んでいる。酒を飲むのは文化だと言うが、習慣や睡眠薬代わりに飲んでいる人も多い。家族が嫌がる飲み方だけは止めて欲しいが、友達に誘われると断れない優しい人には、退院の喜びよりも不安の方が大きい。

15   2004年05月22日

昨日より10度低く寒い小雨の三崎港へ行き、豆アジ7、タナゴ1、ハオコゼ2、ネギサマ1。イワシやメジナは居なかった。住人の話では夜のアオリイカが面白いが、トーゴローも居ないメジナは居るけれど食わないと言う。

16   2004年05月29日

風は強いが蒸し暑い日。横須賀釣公園へアジ狙いだったが、イワシ一匹釣れず、イカ切り身の餌でカサゴが四匹釣れた。アジは居るが小さくて数も少ない。絶不調の日であった。

17   2004年06月02日

入梅が延びたので大黒釣り公園に行ってみた。開港記念日で、子供の入場が無料だったから子供連ればかり。去年のメジナは異常だったようで今年は殆ど釣れていない。紫外線を浴びて良く焼けたが、当たりも無いまま終了した。

18   2004年06月05日

祭りで賑わう三崎港へ行ったが、ハオコゼ3、念仏鯛2、豆アジ17。ボラの子が群れていたがボラに糸を切られただけで釣果には成らず。マグロ解体所のマグロを貰って帰って来た。 

19   2004年06月10日

梅雨の合間の曇天ながら、大黒釣り公園に行った。前回は子供無料で満員だったが、今日は10人程しか居ない。メジナもカサゴも殆ど釣れないそうで、釣れない公園になって人気も無いようだ。半日粘って当たりも無く、落胆の日だった。

20   2004年06月23日

大黒釣り公園へ行ったが、大きな当たりが一度だけで、釣れたのはアジ一匹。サッパとイワシは良く釣れているが、全体に釣果は悪いとの事だ。 

21   2004年06月26日

長尾経由で横須賀釣り公園に行った。タナゴは群れていたが日中は当たりも無く、7時過ぎになって漸くアジが釣れ始めた。アジ10、イワシ6、タナゴ2、カサゴ2、メバル2、ハオコゼ3。雨を心配しながらだったが、久し振りの賑わいだった。  

22   2004年07月01日

歩行訓練を兼ねて大黒釣公園に行って見た。台風接近で波が荒く、強風でも30人程が竿を並べていた。夕方アジがサビキに掛かっていたが、ボラが多かった。メジナを狙えば良かったが、カサゴを狙ったので失敗だった。 

24   2004年07月04日

横須賀釣公園にアジ狙いで行ったが、釣堀状態の混雑なのにアジもイワシも来なかった。カサゴ1、メバル1、ハオコゼ3。魚釣り人口は増えるばかりで、女性の姿が増えている。釣り場が減る一方で釣り人が増えるから、魚にとっては生き難い世の中だ。 

25   2004年07月08日

暑くて我慢出来ないから、大黒釣公園へ修行に行った。渡り蟹1、アジ1、カワハギの赤ちゃん1。熱中症で死ぬ老人があるので、小まめに水分補給しながら、7-8人の同病者と強風の中で魚に餌を食わせようと必死だった。海面にはボラの子供達が、楽しそうに泳ぎ回っていて、大人の魚たちは昼寝中のように思えた。 

●   2004年07月23日

9日に不整脈が気になり病院へ行ったが、許容範囲だと言うことで、久し振りに炎天下を30分も汗だくで歩いてみた。異常も起きず気持ち良い汗だと感じていたが、翌日の朝、起きようとして酷い眩暈に襲われた。何とか病院まで行き、診察を受けると不整脈も多く、即心電図となる。検査中に眩暈が更に酷くなり、入院となる。頭のCTを撮り、胸と腹のレントゲン、頸のエコー、沢山の血液検査をして、メイロンとトラベルミンの注射を受け、点滴を受けながらイソメニールとセファドールも服んだ。またまた土曜日の入院だ。ブドウ糖液にメイロンやトリノシン、ソルコテフを入れた点滴と注射の日が続く入院生活だ。長くは掛からない心算が、結局2週間の入院となった。しかも未だ眩暈は軽くなっただけで治まらないし、原因も不明のままだ。耳の傍を通る血管に梗塞が起きていることが判ったが、治療に至らない。ホルターで心臓を調べたが、結果は未だ出ない。退院したが、不安を抱えたままである。 

26   2004年08月01日

心臓科の医師から11万回の内4千回の欠落は心配要らないと言われたので、久し振りの横須賀釣公園に挑戦した。片口イワシ20、アジ3。の釣果だったが、生憎、花火大会の日で、驚く程の見物客が入って来て、釣どころでは無くなり、早く引き上げた心算だったが、渋滞に巻き込まれ酷い目に遭った。普段は人通りも無い道路に凄い数の屋台が並び、岸壁はどこも見物客がゾロゾロ。去年も三崎で花火大会に追い出されたが、調べてから出掛けないと大変な目に遭う。 

●   2004年08月06日

東芝病院の血液科で白血球が24800と安定的だからハイドレアの継続と決まった。徳田病院の循環器科も一過性の眩暈だったとされた。特に薬を増やす必要も無く、水分補給を心掛けて過ごすようにとの事だった。母の褥瘡も治って来た。 

27   2004年08月07日

母のシャワーが褥瘡治癒に効果があったので、危険防止の為に風呂用の椅子購入をすることにした。

午後になって先週心残りだった横須賀釣公園に再挑戦で、イカを買って出掛けた。心地良い風が吹いて気持ち良かったが、片口イワシ10、メバル1、ゴンズイ3でアジの姿は無かった。バクダンでサバを入れ食いの人が居たが、サバは要らないから挑戦しなかった。地元の漁師くずれが、スーパーのイワシは人間が食うけど猫は食わない、此所のイワシは猫が食う・・と自慢していた。更に、6匹程度では猫が優先で俺の分はスーパーで買って帰ると冗談?を言っていた。アジは本当に美味いし、蛸やタチウオは絶品だ。10月頃までを大切に過ごしたい。 

28   2004年08月15日

久し振りに三崎港へ行った。馴染みは少なくて新顔ばかり、釣を知らないような人ばかりだった。投げて釣れる場所ではないのに盛んに投げている。だから釣れるのはハオコゼと錆ハゼだけ。夜になれば大型も投げで釣れるが、日中はダメだ。ヘチの方に分がある。とは言えジャリメを使ったがハオコゼ3と北枕1とゴンズイが10匹。夜になってから、ガッカリして餌を付くだけ付けて落として見たら強い引きがあった。初めての感触なので根に潜られないように、静かに糸を巻き上げてくると益々強く抵抗した。やっとの思いで引き上げて見ると29センチの真鯛。こんな場所でジャリメで真鯛、一生うちにあるかないかの経験をして、釣りの罠に深く落ち込んでしまった。

29   2004年08月21日

二匹目の鯛を狙わず、横須賀釣公園へアジ狙いで行った。大混雑で入り込む場所がないので2時間近くも、近くで空き待ちの情けない状況だった。これはイワシかアジが回って来ている時の光景だ。ところが、やっと場所取りが出来て竿を出してもハオコゼ4匹、カサゴ2匹と小さな片口イワシが一匹釣れただけ。アジもサバも来なかった。毎日見回りをしている仕立て屋さんが、もうじき来る・・を繰り返していたが最後までアジを見ることは無かった。昨日はイルカが泳いでいたと言うから、小魚たちは待避して居たのかも知れない。 

●   2004年08月28日

母の診察日で病院付き添いで二時間の待合室待機。褥瘡は軽くアズノール処置、食欲もあるので特別な対応は不要だが、次回に血液検査とレントゲンで健康検査をする。起き掛けに腰や膝が痛む事があるが、内臓の検査は不要だと思う。弟達は遂に母を見捨てたのか、夏休み中も見に来ないし、病状についての関心を全く持っていない。

30   2004年09月04日

雨の予報だったが三崎港へ行った。暫く見掛けなかった顔馴染み達が現れたので「生きてたのか?」と言ったら、入院してたと応えた。一ヶ月顔を見せないと「死んだ事にされちゃう」と笑った。昨日から泊まっている仲間が「3時半になると〔うるめイワシ〕が来る」と言ったが、夜になっても来なかった。ゴンズイ四匹、ハオコゼ一匹、カワハギ一匹で終了。浅蜊餌を持って行けばカワハギは釣れそうだ。近くで鯛を釣った人が居たが、今日は駄目だった。帰りは雷と大雨に降られてしまった。

31   2004年09月11日

カワハギ狙いで浅蜊を持って三崎港へ・・餌取り名人のカワハギは確実に浅蜊は食うが針には掛からない。忙しく餌を付けて落としてみるが、神経を研ぎ澄ませて見ても全く当たりを感じさせてくれない。餌だけ綺麗に食べられて今日は完敗だった。釣れたのはサバ一匹、ハオコゼ一匹、ゴンズイ三十二匹だった。ウルメイワシも真鯛も幻に終わり、この時期にしては不本意な日であった。 

32   2004年09月13日 

7月以来の大黒釣り公園に行って見たが6時頃になってやっとアジが来たが七時閉園だから一匹で終わった。サバと浅蜊を持って行ったが、当たりは全く無かった。絶好のシーズンなのに思うようにならず残念な釣りが続いている。

33   2004年09月15日 

横須賀釣公園に行った。波が高く潮を被りながらの厳しい釣りになったが型の良いサバが入れ食い状態だった。持ち帰りはサバ一匹とアジ二匹の寂しいものだが、活き締めしたサバは味噌煮にして食べた。サバは怖いとの先入観で逃がしているが、25センチ程で丸々と肥ったサバは塩焼きでも美味いらしい。しかし、20匹も釣れると血抜きも間に合わないし、毎日サバかと思うと捨ててしまう。青魚はあまり好きでないから・・・

34   2004年09月18日 

三崎港へカワハギ狙いに行ったが風強く、波も高くて餌だけ取られた。念仏鯛の後ハオコゼが釣れて針を外す時、一瞬の油断で右手中指と薬指を刺されてしまった。以前にズボンの上に落としただけで刺され痛い目に遭っていたから警戒していたが、二時間程、痛みと痺れで戦意喪失した。七時になればウルメが来るとの情報を信じて待ったが、風も収まらず寒くなったので撤収した。

35   2004年09月25日

横須賀釣公園に行ったが流出重油が凄くて人も疎ら、止む無く「うみかぜ公園」に移動したが大勢で賑わっていた。久し振りに鍛冶屋と松井さんの元気な姿を見て安心したが、夕方には此所も油が流れて来て糸がベトベトになってしまった。ゴンズイと豆イサキが各一匹で終了した。横須賀港が近いから米軍が流したものなのか漁船が流したものなのか判らないが、中和剤を撒いて誤魔化しても船からの流出で魚類の受ける被害は大きいだろう。

36   2004年10月02日

米軍が横須賀港で汚物を流したとの新聞記事を読んだので、三崎港まで足を延ばしてみた。寒い位の強風でも釣り人の列があり、ウルメイワシが期待されたがゴンズイとハオコゼが各一匹でカワハギの餌取りも無かった。夜になって鯖の大群が来て30匹ほど釣ったので、一部は頭と内臓を取り持ち帰ったが大半は海に帰って貰った。釣ったばかりの鯖は身が堅いが、死ぬと直ぐに身が柔らかくなってしまい持ち帰る気にはなれない。釣れたら直ぐに捌いて氷漬けにしないと安心出来ない気がする。病院では鯖の味噌煮が出て平気で食べたが・・・・・ 

●   2004年10月05日

毎日雨が降り続き寒いくらいだが、椅子生活の母は炬燵に入れない。今朝は起きがけに足腰が痛いから「もう生きていても仕様がないから飛び降りて死んじゃおうか」と言った。起きてしまえば痛くは無いし食欲も有って機嫌もよいのだが、起きるまでに考えていたらしい。痴呆が進んで判断力が無いのかと思っていたので、意外な発言に驚いた。 

37   2004年10月10日

台風一過晴天を期待して三崎港へ行ったが、小雨降る寒い釣りとなった。岸壁は釣り人で一杯だからイワシかアジでも来ているのかと期待したが、ゴンズイばかりで夜になってからサバと縞イサキが来た。サバ8、縞イサキ3、ゴンズイ4、ハオコゼ1。鯛とカワハギには逢えなかった。帰途は大雨でスピードを控えるほどだったが、家の駐車場に着くと嘘の様に雨は止み、天が助けてくれたと感謝の日だった。 

38   2004年10月16日

イサキ狙いで三崎港へ行ったが大型船が入っていて場所がない。空いている場所に陣取り大きなフグが釣れたので期待は膨らんだが、結果はゴンズイ6、ハオコゼ2、イサキ2とタナゴに似た魚が釣れた。はじめて見る魚で図鑑を調べたが判らない。フグもはじめての大きさ、で釣り上げるまでは胸が躍った。 

39   2004年10月17日

出入りの大工さんと子供を連れて大黒釣り公園にイワシを釣りに行った。期待通り片口イワシが入れ食いで、子供の期待に添えた。直ぐに飽きてしまうかと思われたが、釣った後、頭と内臓を取り除く作業も喜んでやったので半日を費やした。 

●   2004年10月19日

母が昨日デイサービスで足に怪我をして来た。歩けないのだから、自分で怪我をする訳は無い。気が付かないうちに傷が出来たと説明されたが、本人に記憶が残らないのだから怖ろしい。故意で怪我をさせられても判らないのだから、生爪を剥がした看護士の事件を思い出し、気分が悪くなった。今日から大雨の中、ショートステイに行っているが、悪い人に逢わない事を祈るだけだ。 

●   2004年10月27日

23日17時56分に起きた小千谷・中越大地震は鶴見でも震度4に近かったが、余震が続いて死者は少ないが被災者は10万人でショック死が問題になっている。脳梗塞や心筋梗塞を誘発すると言うから怖ろしい。台風がやっと終わったら急に冷え込み、秋晴れが無いまま厳しい冬が来そうで憂鬱だ。 

●   2004年10月31日 

昨日は母の健康診断があったが、採血は出来ず心電図も正確には取れなかった。身長133.8cm、体重36.5kgで血圧は正常だった。敢えてインフルエンザの予防接種も断り、生命力に頼ることにした。 

●   2004年11月03日

汗をかくほどの暖かさにつられて本牧釣り公園に行って見た。駐車場までの大行列に並んで見たが、11月からは五時閉鎖なのに、出かけたのが遅くて釣りの時間も少ないので中止した。外へ出るのが億劫になっているので、少しでも外出の機会を作らなければと思っている。肩の筋肉が落ちているので、努めて動くようにしたいのだが、怠け心が先に立ってしまう。 

●   2004年11月07日

今日も暖かいので大黒釣り公園を目指したが、入場制限で入れなかった。不快な腰痛があるので三崎は無理。車内の釣り用品を汗だくで整理して帰宅した。 

40  2000年11月13日

久し振りに三崎港冷蔵庫前で当たりを楽しめた。念仏26と北枕6、トーゴロー5、ゴンズイ4 の爆釣で困ったが、イサキが3、マサバが6で満足した。花暮岸壁も満員状態で大黒や本牧に入れない理由が判った。魚たちも冬を控えて食欲旺盛で寒いけれども楽しかった。松輪サバは美味いと言われているが、サバにアレルギーを感じているので不味いと言われるイサキの方が好きだ。 

41  2004年11月20日

暖かかったので、イサキを求めて三崎港へ行ったが、釣り人の行列ばかりで、トーゴローの大群は見えるがイサキは釣れなかった。サバ1、ゴンズイ3、トーゴロー18、片口4、念仏3、北枕1だった。ホームの斉藤さんが居なくなってしまった。高齢者は合わなくなると死んだと思われるから・・・と言っていたが、出られなくなってしまったのだろう。 

●  2004年11月26日

十日間のショートステイから母が帰って来たが、気分は上々ながら、褥瘡が出来ていた。明日はうしおだヘルスクリニックで診察があるから相談するが、ショートで行っている間に出来てしまうので困る。また、自分が通う血液科の病院が来年三月で閉鎖してしまうと言う噂を聞いた。血液専門の宮下医師が居なくなると寿命が縮まる気がする。 

42  2004年11月27日

三崎港へイサキ狙い。昨夜の暴風で海流が変わってイサキもサバも居なくなっていた。此所では珍しい片口イワシが34匹釣れたが、トウゴローも見えなかった。ゴンズイ4、念仏2と寂しい日だった。海の工事があると潮の流れが変わり魚種が替わると言う。何処の海も工事が多くて魚の棲み処は無くなっているらしい。 

●  2004年12月03日

採血結果は良かった。3月閉鎖の東芝病院だが、血液専門の医師が近くに開業するらしいので一先ず安心だ。普通の内科は沢山あるが血液科は大学病院にしかないので閉鎖は気が重かった。 

●  2004年12月04日

夜は豪雨と言う事で早めに出掛けたが、竿を出しても集中出来ないので釣りを止め「にぎわい座」でおぼんこぼんの漫才を見てきた。寄席は満席ながら高齢者ばかりで「明日もこのメンバーで集まれば欠員が出る」とギャグにされて場内は力の無い笑いで盛り上がった。 

43  2004年12月11日

最高気温17度の予報で三崎港へイワシを求めて出漁した。岸壁は竿の行列で、名人もメジナが釣れていると言っていた。此所では準住人のようなものだから、狭い所でも割り込みして場所を取った。トウゴローやボラの遊泳が多く見られて期待は膨らんだ。サビキを投げ込むんだ途端に3cmほどのトウゴローに針が刺さってしまった。それほど小魚の群れが密集して泳いでいる。ところが、目的の魚は餌取りだけで針掛かりしない。暗くなってから縞イサキの来襲で13匹を釣り上げた。他にゴンズイ1、念仏6、トウゴロー7の釣果であった。 

44  2004年12月18日

再び三崎港加工所前の定位置です。釣り人も疎らで師走なのかと思いながら竿を出すと、餌取りが激しくてカワハギでも居るのかと期待が膨らみました。安物の竿では当たりが取れず、少しの反応も無く餌だけが綺麗に針から取られてしまいます。針を小さくしてみると大きな北マクラが釣れました。日が暮れると岸壁は竿の行列になり、イサキ狙いと判る集団が集まりました。中潮でしたがイサキ5、ゴンズイ1、北枕2の釣果でした。イサキはその場で頭と内臓を取り除いて持ち帰りました。塩焼きにしても案外身が柔らかくて、母も喜んで食べます。楽しみながら殺生をしても親孝行も出来るのです。 

●   2004年12月19日

友あり、名物の銀杏が届いた。老母の為にと思われるウイロウが同梱されていた。そして、見た事も無い真っ黒な米も入っていた。女房が「健康が気になる状況が起きているのか?」と心配気に言ったので、そう言えば奥方の声を聞いていないと思った。大丈夫だろうかと気になってしまう。 

●   2004年12月23日

天皇が71歳、10年程前には死んでる筈と予想していた年齢だ。来月23日には自分も70歳、20年前までは想像も付かなかった高齢だ。若い時は将来よりも、その日限りの生活をしていたが、近頃になってからは、有る筈のない将来を考えている。母の見舞いに行ったら、新入り患者が居て、娘の見舞いを受けていた。聞いたら70歳だと言う。元気な娘の見舞いを受けている患者と同年齢の自分が、91歳の母を見舞っている。見舞う存在と見舞われる存在と・・・まだまだ将来がないと困る。今日は寒過ぎで、海を諦め本牧で映画を見た。映画は60歳以上、千円だし、音量が大きいので年寄り向きなのに若者が多い。天皇が公務を続ける限り、介護される身にならないで居よう。

●   2004年12月24日

今年最後の病院。血圧165−90、脈拍105で、耳鳴りがして良くないが呼吸器は大丈夫と言われた。26日に納竿して27日は孫を訪ね、28日に棚卸しをして30日に母を連れ帰り、31日は浅草橋の大出庫市を見て来ようと予定している。正月は母を囲んで娘と4人での温かい数日を迎える心算である。 

●   2004年12月29日

大きな牡丹雪が舞っている。昨日は母を見舞い機嫌の良い笑顔を見て来た。明日は迎えに行く。長いようで短い一年だったが、三月に母を自宅介護に切り替えてからも、息子たちが見舞いに来ることは無かった。けれども、確実に衰えていく母を見ながら、辛い思いをしながらも穏やかに暮らせたと思う。来年は更に平穏を期待している。 

●   2004年12月31日

右親指に軽い痛みが出てしまった。不安の無い身体で新年を迎えたかったが、医師の言うとおり加齢の為なら諦めが肝心。一年間、不平不満ばかり並べてしまったが、来年は悟りの心を持ちたいと思う。