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●平成17年(乙酉)2005年01月01日

 明けましてお目出とう御座います。今年は23日に古希を迎える。還暦までは知らなかった病院通いは増えたが、気力も体力も高齢の自覚はない。記憶力も衰えた筈だが、意欲がある限り年寄りにはならない。魚も水温が上るまで釣れないが、今年も500匹を目標にする。

●2005年01月03日

昨日は母の実家を年賀訪問し母の一番下の妹を連れて帰った。帰宅して優子も一緒に母を中心の歓談をしたが、己代子が範代さんの衣装選びが上手だから姉さんは何時も綺麗だねと言ったので、「モデルが良いからだよ」と合いの手をいれたら「そんな事を言ったら恥ずかしいよ」と大きな笑い声と身振りをした。一同驚きの表情と反応であり、明るい良い正月を楽しんだ。今日は午後から己代子を連れて久子宅訪問を予定したが電話で断られた。ニトリとコジマを回ってホットカーペットを買い、己代子を送って来た。留守に精一夫婦が来た。夜、真理子一家が来て正月を飾ってくれた。

●2005年01月04日

次男が写真を撮りに来た。全く悪びれる事もなく、昨年は10月から豪州に行っていたと言う。母の妹たちには年賀状も出しているから、我が家に寄こさないのは意識的だと思うが、暖かい豪から帰って来て寒いので参ったと言う。親父に対しては真面目な態度で接したことが無い自分だから、仕方が無いかと諦めているが、2歳下の人間からでは辟易だ。

●2005年01月06日

明日から病院通いが始まる。雪が降りそうな寒さだから道路の凍結がないようにと祈っている。裏で物音がしたら、母が「誰か居る」と言う。廻って見ると水道の検針だ。食べ物も認識出来ないのに「異常な物音」を識別して教えてくれた。何時、事切れても不思議でないと言われているのに、最期まで頑張り続けている姿に頭が下がる。

●2005年01月07日

思いがけない結果が出た。白血球が13200に減り、赤血球と血小板は正常値になり、抗がん剤は減らして良い事になった。心臓不安も殆ど無くなり、去年のパニックが嘘のように消えている。東芝病院閉鎖で血液科が無くなるので心配していたが、担当医が四月四日、近くに開院すると聞いて安心した。

●2005年01月09日

寒いけれど三崎港の冷蔵庫前に行くことにした。ところが、夏は警戒している渋滞に嵌まってしまった。衣笠を降りた途端に行列で冷蔵庫前まで渋滞は解消されなかった。ガラガラの空席を予想していたのに釣り場も多くの先客で賑わっていた。城ヶ島への渋滞かと思っていたが三崎全体が賑わっていた。袋小路に入り込んだ様なもので帰路も衣笠インターまで渋滞は解消されず、釣果ゼロなのに遅い帰宅になった。トウゴロウとボラの赤ちゃんしか釣れていない。人間だけが連休で集まったようだ。

●2005年01月18日

土日が雨で引き篭もり生活をしてしまい、今日は母がショートステイしている老健へ行った。ノロウイルスの影響で老人たちの手に消毒薬をスプレーしているが、介護者のビニール手袋も車椅子などに触れているので難しいことだと感じた。食事中であろうと何であろうと痴呆の老人は大騒ぎして便所を要求するし、歩き廻る老人は汚染された手で湯呑みを弄ったりする。食事が早い老人で残った食事を盗み食いする者もいる。「盗食(とうしょく)」と言われ見付かる事も有るが、介護人が少ないから見逃されている状況だ。40人以上の患者に対して、現実に面倒を見ているのは三人位だから手は廻らない。事務手続きに多くの時間を割かれているようだ。

●2005年01月22日

念願の寺内たけしコンサートを南公会堂へ聴きに行った。寒い日だったが天気に恵まれ、若返りの演奏に元気付けられた。CDを買ってサインをして貰ったし、良い古希を迎えられた。TERRYのファンが高齢者だったのは驚きだったが、自分の年を忘れていると言う事なのだ。本当に70歳なのか?戸籍は間違って無いのか?そんな気がする程、調子が良い。

●2005年01月29日

夜は雨との予報なので海は止めて、久し振りに有楽町へ出掛け、元そごうのビックカメラを見学した。駐車場が不備で東京ラフォーレに停めたが、バリアフリーではないと思った。商品の豊富さと新型パソコンに目を奪われた。ハードデイスク型の携帯プレーヤーは凄い。店内が盛り上がっているとは見えなかったが、携帯プレーヤーの場所だけは凄かった。高島屋にも立ち寄ったが、こちらは店員の数が目立ち、客数は少ない感じだった。

●2005年02月03日

用心はしていたが風邪を引いたようだ。29日に人混みに行ったので感染したらしい。海は寒いがバイキンは居ない。暖かい都会は危険な場所なのだろう。体力に自信があった頃は、風邪なんぞと思っていたが、今では風邪が命取りになると思っている。嗽をして、睡眠をとって、楽をする以外方法が無い。そのせいだとは言えないが、確定申告の準備が出来ていない。数年前に内出血をした際、入院前に苦痛を堪えて申告書を書いた記憶が蘇る。今日は頑張って申告書を作成している。

1     2005年02月05日

昨日病院で担当医から風邪ではなく花粉症だろうと言われたので、今年初めての三崎港に行って来た。何故か衣笠を降りてから上下線とも夏休みシーズンを思わせる渋滞が続いた。数年前の黄金週間に三崎に閉じ込められて、自宅まで五時間も掛かった記憶が蘇り引き返そうとも思ったが、海が呼んでいるので頑張った。着いてみると竿を出す人が居て、寒風のなか頑張る人が自分だけでないのが嬉しかった。餌もコマセも買わずに、サビキの針だけを海中に落として、車の中で竿先を見ていたら大きなイサキが釣れてしまった。海が呉れた幸は僅か一匹だけだったが、海は良い。その三崎で6人が集団自殺をしたと言うニュースがあった。なんて事をするんだよ!

●2005年02月08日

廃院となる東芝病院で最後の採血をした。白血球と血小板は多いが、他に異常なく血圧も136−86、脈拍は81だった。機嫌良く帰ろうとした所で雨に濡れた出口で転倒してしまった。尻餅を搗いたのだが背骨にショックを受けて息が止まった。病院関係者の前だったので大騒ぎになり、レントゲン室に運ばれ、CT検査もされた。幸い骨折は無く、背骨に化骨化が見付かったが、転ばなければ発見出来なかったのだから良かった。病変が見付かって良かったとは言えないが早期発見だろうと思う。高校同窓生から電話があり集まろうと言う。聞くと昨年7人だった参加者が今年は6人だと言う。ここ数年で激減し、増えることは無い。「もう止めよう」と言ったら最後の3人になるまでやろうと言う。真面目な生徒だった彼は責任感が強いのか?横井庄一さんみたいだなと思った。

●2005年02月09日

心配した後遺症だが起きることが出来た。痛みが残って不安はあるが普通に動けた。12ヶ月点検が迫っているので元気を出してトヨタへ車を持っていった。背骨ではなくて脇腹が痛むので、昨日は気付かなかった打ち身があったのだと思う。赤血球が多いままだったら内出血で大事になっていた筈だから、骨髄穿刺をして良かったとつくづく反省する。昨日は万一の為に入院セットを自分で用意して帰ったが、外科入院から3年目、内科入院から半年が過ぎた。80歳まで生きるのは結構大変だなあ・・・

●2005年02月10日

朝、担当医から電話で化骨の件は心配要らないと言われ、脾臓も腫れているが血液の病気だから許容範囲だと言われた。しかし、S字結腸に異常が見つかったので、大腸検査をするようにと言われた。麻酔を使えない身体だから病院を選ぶ必要があり、紹介状を書いてくれるそうだ。転ばなければ発見出来なかったのだから、喜ぶべきかも知れないが、古希とは大きな壁なんだと思う。滅入っている場合ではないが気力だけしかない。

●2005年02月11日

連休初日で混雑が予想される本牧マイカルに行って見た。駐車場には車が入っていたが、5号館の店舗は殆ど廃業してしまった。全館暖房と照明は普通なのに、空き家ばかりで廃墟のようだった。コナミのスポーツセンターは健在で映画館も営業している。スーパーも営業しているが、開業時は流石本牧と思われた店舗が全滅間近で驚いた。

●2005年02月12日

母の定期健診で担当医の説明を受けた。心音も良く、体重も37.5キロに増えている。家族の介護以外に効く薬はないと褒められた。

2    2005年02月13日

気温9度、水温16度の三崎港でイサキを狙ってみた。親子連れが三組程いたが、メバルとタナゴが釣れている。コマセを撒き竿を出していたが、夜になっても当たりはなかった。昨日は釣れていたというから運が無かった。港内でボートに乗って釣りをしている地元の顔馴染みは大きな真鯛を7ー8匹も釣って上がって来た。35センチほどの一匹を貰って帰って来た。

●2005年02月19日

昨日母を老健に見舞いに行って帰宅すると、留守中に婿殿から電話があり、25日に大腸検査をするとの知らせだった。昨夜からいきなり粥食を命ぜられ検査日まで続く。自分で決断は付かないが、決めて貰えれば気は楽だ。確定申告も済ませたし、釣の季節でもないし、まあ良かったかな?と言う心境になった。

●2005年02月21日

25日の検査に向け、24日退所予定の母のショートステイを二日間延長して貰うべく老健に行った。18日から粥食を続けていて腰痛も酷くなってしまった。明日からはボンコロンと言う専用食だけに成る。簡単だと言われるが検査の結果が悪ければ入院となる。一応の身辺整理は済ませたが、これからは食事も年齢相応に減量した方が良いと反省している。

●2005年02月25日

三日間の特別食を続けた為に四-五回予定の浣腸も一回で済んだ。内視鏡検査もドルミマムを注射して貰ったので、眠っている間に済んでしまった。一切の苦痛は無く、ポリープも見付からなかった。心配は大きかったが、本当に良かった。血液の病気だから脾臓は普通の三倍もあるが、心配ないと言われている。転んでレントゲン、それで異常らしいとCT検査。思わぬ場所でS字結腸に異常発見、直接確認の為に内視鏡検査。数人の医師と各検査で手術を予想されたのに結果は健康と出た。母を介護する身なので天は不思議な力を与えてくれている。天網恢快疎にして洩らさず。母が好きな言葉だった。

●2005年03月05日

先週は木曜日が雪で金曜日の内視鏡検査を心配したが、今日は昨日の雪で外出を諦めていた。さすが三月、一晩で雪は消滅したので、閉店セールの家電店に炬燵を買いに行った。昨日の大雪の中でも物色の人が集まり手頃な物は売り切れたと言う。禿げ鷹根性剥き出して店内ウロウロしたが、他人の不幸は蜜の味なのか?我が家も閉店したいが閉められない追い詰められた店なので、感慨深い。池袋の東武デパートに行って目的のものを探したが見付からず尋ねると、在庫していなかった。以前見た食器類は無くて、洋風のものが圧倒的だったので時代は変化している事を感じた。  

●2005年03月12日

4月の陽気で海の予定だったが、ナビに頼りすぎて道を間違え東名に乗ってしまった。しかも名古屋方面の標識を見て思わず避けてしまった。駄目だ!東京に向かった!物凄い渋滞に嵌まった挙句、渋谷方面の表示に驚き日本橋に目的を変更。高島屋へ行ったら駐車場の待ち時間が一時間だと言う・・諦めて上野松坂屋へ行った。先週東武に無かった箱膳が訳有り品ながら七割引の三千円だったので買って来た。三崎の仲間からは死んだと思われてるかも知れない。

●2005年03月20日 

陽気は良いが耳鳴りが酷くて気分が優れない。一昨日は老健の母を見舞い、調子が良くて耳鳴りも無かったが、昨夜から気になっていて時折動悸も気になる。水分補給で気を鎮めているが身体に自信を持てなくなっている。

母に土産のプリンを食べさせ「美味いか?」と聞いたら「お前も食べな!」と言いながら自分の耳にスプーンを押し付けた。嬉しくも哀しい状況だ。

●2005年03月25日

92歳になる母が始めて花粉症になってしまった。マスクを拒否はしないけれど目を真っ赤にして掻くので網膜剥離を心配している。早く花粉の季節が過ぎるようにと祈るばかりだ。

新聞部時代の後輩達からお呼びが掛かっている。場所と日時の希望をと言われているし、今回行かないと永遠の別れになってしまうだろう。妻と一緒に出掛けようかと思うが、突然のことが起きないと言う自信を持てないから悩ましい。

●2005年03月30日

忘れようとしていた心臓が気になって心電図を撮って貰ったが、昨年7月と変化はなく心配は要らないと言われた。心筋梗塞・脳梗塞の恐怖で少しの事でも気にしてしまう。他人には「病は気から・・」などと説教するが自分には異常な神経を逆立てて不安を掻き立てている。

●2005年04月02日

年度末のバックアップを取る前にパソコンを異常終了してHDDが破損した。一月末に取ったのは一部分だけ、二か月分が一瞬で紛失した。修理が利かない故障で新しく買ったが環境を整備するのに膨大な時間が掛かった。スピードは上がり使い易いのだが、便利なソフトが一度に失われたので暫くは使うたびにインストールしなければならない。横須賀釣公園は人が多いが風が強く、堤防の影で見物をした。

●2005年04月06日

昨日は新しい病院で診察を受け、血圧174−96−109で高いが、朝の血圧を測るよう指示された。今朝は123−72−74で低く、夜は105−55−69で理想的だ。

3   2005年04月09日

久し振りの横須賀うみかぜ公園に行き顔馴染み数人に会った。重病だったのかと心配されていたらしい。高齢者が健康の為に毎日通っていると言った。横須賀に引っ越して来れば病気は治る等と平和な会話だった。松井、高橋、中沢、鍛冶屋、仕立て屋等など寒くても竿を出していたらしい。水温が9度以下で魚の活性は悪くて釣れないし今年はメバルもカレイも小さい上にカサゴも少ないらしい。5月になれば釣れる・・と希望に満ち溢れている彼等である。ウミタナゴを三匹釣って帰って来た。

4   2005年04月17日

連休で渋滞が来る前に三崎港へ出漁した。気温は高くて絶好日の筈が向かい風が強くて寒かったから、顔馴染みは一人も居なかった。道路は混雑していたが釣り場は閑散、それでも寒さ堪えて竿を出すとカレイが釣れた。縁起が良いと車の中で竿の監視をしながら暗くなるまで頑張った。何時もなら夜は街灯が点灯する筈なのに暗いままで釣り人も皆帰ってしまった。良い釣り場だったのに街灯が点かなくなるとイサキも駄目になる。住人にも逢えなかったしカレイ一匹の淋しい日になった。

●2005年04月21日

まさか?と思われる行動をした。昨朝、20代の若者を伴って刈谷へ行って来た。パソコンの具合が悪いと電話で相談が続いたが直接見ないと修復出来ないので新幹線での出張となった。思い切った言動で自身に喝を入れ、車椅子を運んで貰えば行動範囲が広がる事も証明出来た。

5     2005年04月23日

横須賀釣公園に行って来た。混雑を覚悟して行ったのだが何時もの場所には人が居ない。家族連れが多くて釣れない予感がした。やがて通称「タナゴおばさん」が来たが釣り方を変えてしまい、爆弾釣でメバルを狙うと言う。4月上旬に片口イワシが釣れたが、この所、不漁だそうだ。一時間ほどでタナゴおばさんが諦めて帰った後は寒くなるばかりで、家族連れも帰ってしまった。この日は空いてて良かった・・けれども魚も活性が悪く水温も低いようだった。当たりもなくて釣道具を並べただけの日になった。 

6     2005年04月29日

渋滞を恐れながら横須賀釣公園に出漁した。風は強いが日差しは強く暑かったが水温はまだ低かった。小さなキスや鯊を釣っている子供連れは居たが割合空いていた。常連が寄って来て今日は駄目だよと余計な事を言う。暫くして鍛冶屋が来て情報を呉れたがカサゴもメバルも小さいと言う。相変わらずクロちゃんと一緒に釣っているがアイナメは一匹しか釣れなかったと言う。38センチのカレイを釣った法螺さんが見せに来たが厚みが無かった。夜になって小さなメバルがサビキに2匹掛かったが、数は無理だった。アオイソで少し大きいメバルが釣れたが後が続かず終了。カサゴ狙いの青年は良型のカサゴを連続で吊り上げていた。

7     2005年05月03日

渋滞覚悟で横須賀釣公園に行った。一般道を通ったら、馬車路付近で渋滞に当たった。しまったと思ったら目の前を大行列が行く。テレビを付けて見たら山下公園では祭りの真っ最中。とんでもない日にとんでもない場所を通ってしまった。他の道路は思った程でなかったが、釣り場は超満員で空きを待つ状態だった。片口イワシが釣れているので子供連れで賑やかだ。狭い所に強引に割り込んで竿を出すと先ずタナゴが掛かった。次に不明の魚が釣れ、歯オコゼも釣ってしまった。ところが青イソメでの釣は其処まで。片口イワシが70匹ほど釣れたがカサゴにもメバルにも会えなかった。上州屋は餌が売り切れだった。昨日はXジャパン・ヒデの記念日だったようで凄い混雑だったと言う。9月25日でヒデ記念館を閉鎖するそうで、暫くは油断できない。去年はヒデの記念日に凄い光景を見せても貰った。

8  2005年05月08日

横須賀うみかぜ公園に出動。着いて見ると強風で寒く、釣り人も少ない。くろちゃんが「昨日は暖かくて風もなかったし釣場所が無い盛況だったが小さいながらメバルが良く釣れた」と言った。おさるはキスとカレイを持っていたが、小さかった。結局ハオコゼ3匹、メバル1匹。まだまだ完全防寒で無いと海は寒くて午後8時には誰も居なくなった。簡単に釣れる筈の片口イワシでさえ姿を見せなかった。

9  2005年05月15日

鶴見は雨だったがワゴンの後ろを上げて座っていれば小雨は我慢出来るから三浦港に向かった。しかし、強風で静かな湾内でも波立っていた。この場所で波飛沫を浴びる事は無いのだが、寒くて我慢出来ずに竿を出すのも止めた。

10 2005年05月21日

日差しが強く暑かったので横須賀釣公園に行って見た。イワシが釣れていて満員状態だが割り込みをした。しかし、割り込めるのはイワシが来ない場所、良く釣れる場所は押し合い圧し合い状態だ。頑張って50匹ほど釣ったが、夜になって22センチのカサゴが釣れた。ハリス1.5号で上ったが凄く重かった。待ちに待ったシーズンがやっと来た。去年は7月に入院してしまったが、今年は水分補給を怠らずに無事に夏を乗り切るよう用心する。母も意外なほど元気に頑張ってくれている。感謝!感謝!の日々である。

●2005年05月24日

午後7時、今頃は新聞会の仲間たちは20代に戻って愉しんでいるだろうか? 全員が健康で居て欲しいと願う昨今だ。三崎通いをしているので、名塚氏の近くを通る度に若き日を思い出す。卒業後横浜駅西口に出来た三越が、今月閉店になった。その頃、西口駅近くで上杉氏と居た折、名塚氏に会ったことが有る。学問の事はすっかり忘れてしまったが、そんな事を憶えているのは変だろうか? 今日も痴呆の母を看ながら、土曜日に釣ったイワシのフライを喰らう我が家である。

11  2005年06月01日

平日なので東扇島西公園へ行ってみた。途中で弁当と餌を買う心算だったが、コンビニさえ見付からないままに着いてしまった。距離は近いが大型トラックが行列する道路を選んでしまったので一時間以上も掛かったのに、空腹と餌無しで試し釣も出来なかった。餌屋は遠いと言うので、横須賀へ直行した。いきなりカサゴが釣れて期待は膨らんだが、後は続かずイワシが5匹、タナゴが3匹、カサゴが2匹で終了とした。

12  2005年06月05日

東扇島西公園再挑戦だったが人が多くて場所が取れない。水深も無く、水も汚いので直ぐに退散。横須賀うみかぜ公園に行った。ハオコゼ1、ナマコ1、カニ1、イワシ12匹で調子は悪かった。「どらえもん」と「はなしのおじさん」に会ったが今日はメバルも姿を見せないと言って居た。子供連れが多くて、これから何処の釣り場も静かに釣を楽しめる場所ではなくなる。

●2005年06月11日

昨日梅雨入りしてしまった。少しくらいの雨なら出掛けていた去年より、出漁は減るだろう。転倒恐怖症で外出が怖ろしい。家の中でも緊張しているが、信じられない転び方をするので全く自信を失っている。庭もないし農業もしていないから、早く梅雨明けするようにと願っている。でも、毎日2リットル以上水分補給しないと駄目だから、水不足は困る。

13  2005年06月18日

梅雨の合間の好天で、うみかぜ公園に期待は大きかったが一面の赤潮で釣にはならない。アジの切り身でカサゴを狙ったが当たりはゼロ。ヤドカリが喰い付いて来たが、タナゴは海面から僅かに上がった所で落ちてしまった。近所に住んでいて毎日見回りをしているギャラリーが集って来て、明日で無いと釣れないと宣告してくれた。この所、小さい魚しか釣れないと言う話から、40センチのカサゴを釣ったと言う釣師が皆の餌食になった。ここのカサゴは25センチが限度で40センチは絶対居ないと言われても手を広げてこの位あったと彼は主張した。カサゴとソイは似ているが値段が大違いだとも言う。40センチ近いのは黒カサゴで「不味い」と貶して一件落着。私はメジャーを持っているので皆の寸法を測った。掌を広げて大人の親指から小指までが20−23センチ位だと判った。高橋、加藤、小ちゃん、ホラ竿、センセイ、松井などなど朝晩見に来ないと死んでしまうと言う彼らは竿を出さない時は饒舌で愉快だ。全員20センチは40センチと報告するとの事で一致した。釣り上げた20センチの魚の前でさえも25センチと言い張り、現場を見ないと30センチだと主張し、翌日には40センチに育つ。魚は釣れなかったが楽しく過ごせた。10センチのヤドカリを紹介します。

14  2005年06月26日

三崎港で不思議な魚を釣ったが図鑑でも判らず見当も付かない。豆アジ13、小鯖2、念仏1、錆鯊2、不明3。鶴見では猛烈な暑さだったが強風で寒かった。ブログ仲間から、不明な魚がイザリウオであると教えられた。海底を歩き、大きな口で餌を吸い込む魚で熱帯魚屋で人気があるらしい。

15  2005年07月02日

うみかぜ公園で小鯵2、片口イワシ7、ハオコゼ3、ウミタナゴ2。先週の三崎港より鯵は大きく育っていた。釣り人多いが、日中は殆ど釣れず。豆蟹でクロダイを狙う人が、3年目で漸く 41センチを上げたと嬉しそうに話していた。場所と腕でクロダイは釣れるらしいが、必ず釣る若者が居る反面、15年間狙っても釣れない人も居るそうだ。41センチを上げて直ぐに上州屋へ報告に行ったら54センチを釣った先客がいて悔しかったと言う。カッチャン、クロチャン、カトウ、マツイ等が寄って来てバカ話で盛り上がり、皆見た目より若くて、自分が最高齢者である事を知って驚いた。

●2005年07月05日

血液検査の日。「白血球を採らないように採血して」とお願いしてみたら、結果は良く17300だった。今日からハイドレアを夜は隔日に減らす事になった。明日はリハビリセンターへ行って、筋力を少しでも鍛えて来ようと楽しみにしている。歩けないのは兎に角不便だ。

●2005年07月06日

横浜リハビリセンターで始めての訓練かと思ったら、現状の聴取と方針説明で45分間は終了だ。楽しみにしていた特訓は期待出来ず、週一回、二ヶ月では6−7回しか無いではないか。折角の施設があっても、自由に使えないのは残念だ。

16  2005年07月09日

梅雨の合間の貴重な晴れ間なので雨を気にしながらも三崎港へ行って見た。様相が変わって顔馴染は一人しか居ない。メジナは姿を消し鯔の大群も見えない。今年はキスの当たり年だそうだが、この場所では小さな鯵が釣れるだけだと言う。釣専用のキャンピングカーで泊り込みの彼は、鯵がポツポツと言っていたが、結果は鯵一匹だけだった。念仏鯛2、北枕1、豆鯵1、ハオコゼ1  の貧果だが、途中から雨に祟られ車内で竿の監視だった。帰途は土砂降り、駐車場へ着いても雨は止まず、車椅子での帰宅となった。 

●2005年07月13日

横浜リハビリセンターで理学士の指導を受けて特訓。自然に衰える体力は指導が無ければ止められなかった。身体は上手く出来ていて弱った部分を自然に補完してしまうから、気が付いた時には手遅れになってしまう。自分では気が付かない部分で身体に楽をさせていた。もっと早く気が付けば良かった。

●2005年07月15日

甘くて美味い大きな梅干だった。夏ばて防止に効果期待して、運動に励みます。写真で見ると、吊るされてる様だが、筋肉モリモリになる為のメニューです。医師は無駄だと言うけれど、秋には吃驚する身体を作る意気込みです。

ラポールでフィットネス・・50分間のメニューで可也の汗を掻いた。日ごろ使わない筋肉を使い、日常生活で衰える部分を鍛えられる気がした。家庭で自分では知らなかった事をインストラクターが個別指導してくれた。

17   2005年07月16日

横須賀釣公園に行ったが日中は暑さが酷くて、ガラガラでハオコゼ3匹釣れただけ。6時過ぎて夜風が心地良くなると片口イワシが大行列。爆釣となった。倒れると困るので水分補給しながらの健闘だが、暑い盛りは魚も釣れない。しかし、夜は遅くまで釣っていると帰宅が午前様になってしまう。朝の目覚めが早くなって困っているが、これは「老化」か? 

●2005年07月20日

リハビリ45分とフィットネス30分、汗を流してから老健の母を見舞いに行った。暑い中の運動で去年の目眩が気になっているが、水分補給を心掛けているから息切れも少なくなっているように感じる。歩行には多少の自信が着いているが転倒の恐怖感は強い。

18   2005年07月23日

岸壁のコンクリートが壊れるのではないかと言う位の揺れで怖かったが身動きも出来なかった。津波が来たら何処まで逃げても高台までは間に合わない。やがて市役所の放送が流れ海から離れるように指示があったが、一斉に車が殺到したら地獄は間違いない。諦めて周囲に何もない公園で自宅に電話を入れようとしたが、繋がらない。何度試しても駄目で、緊急時はこんな事になるのかと改めて心細くなった。地元の人が20階のビルが揺れて大騒ぎだったと言った。高齢の人だが初めての体験だと言っていた。横須賀では震度4、鶴見では震度5だと教えてくれたが、自宅では物が落ちて大騒ぎだろうと思った。随分時間が過ぎてから電話が繋がり家族が無事だった事、物損も無かった事を知り一安心、名古屋からも見舞いの電話あったと聞いた。電話しようとしたが再び繋がる事はなく、釣に熱中してしまった。何時ものように夜中に帰宅した。

うみかぜ公園でイワシ一匹、ハオコゼ3、カサゴ1、トラハゼ1、イイダコ1。曇天で暑くないので気持ちは良かったが、釣れない日となっていた。朝晩見回りをしている加藤さんが、イルカが2頭入って来て食っちゃうから、この2-3日はアジもイワシも姿を消したと教えてくれた。アジ、イワシ、サバなど回遊魚はイルカを怖がって逃げてしまうから、根魚しか釣れない。

●2005年07月27日

台風を心配でリハビリ予約をキャンセルしてしまったのでラポールへフィットネスに行って来た。急に暑くなって日差しは焦げるほどの熱さ・・去年倒れた事が気になって水分補給だけは忘れずにしているが、それでも不安はあって50分がやっとだった。自覚出来る程の効果は出ていない。少しは動く事に慣れて来たが気を抜くと怠けている自分が居る。

19   2005年07月30日

うみかぜ公園に期待して出漁。結果はカサゴ1、鰯1、メバル1、奇妙なカニ1。カサゴを掴んだ右親指に鰭が触れただけで二時間ほど痛みと痺れで苦しんだ。鯵が釣れていると言うが今日は駄目だと聞かされた。鍛冶屋が「そんなリールじゃ釣れないよ」と行って良いリールを呉れた。松井さんもそうだが釣り道具部屋を持っているような連中は暇さえあれば道具の手入れをしているそうだ。餌専用の冷蔵庫まで部屋に置いて居ると言うから敵わない。

●2005年08月01日

リハビリセンターへ行き初回のデータと比較して貰った。歩行に不安は付き纏うし結果は出ないだろうと思いながら自分では満足の数値が出た。

20   2005年08月06日

久し振りの三崎港。鯵とイワシが来ているとの情報だったが、片口イワシ10、ウルメイワシ20、ゴンズイ2、念仏1、ハオコゼ2、ネギサマ1。待望の鯵は来なかった。新顔ばかりで馴染は居なくなった。工事が多くて潮の流れが変わり、魚は大変に減っている。生簀があり解体所が直接排水を流すなども影響しているとも言われる。

21   2005年08月13日

花火大会も決行との予報で安心して横須賀まで行った。太陽の出ていない暑くもない うみかぜ公園で竿を出した。今回もいきなり当りがあって小さいけれどもカサゴが釣れた。暫くすると軽い当りで、今度はメゴチが上がって来た。近くでは大きなふぐを上げて、餌取が凄くて駄目だ!と言う声もした。しかし、その後は4センチほどのイワシの大群が通るだけ・・・暗くなってアジが来たが、雨も降り始めて撤退となった。今日は凄い天気だ。今日にすれば良かった・・・

22   2005年08月20日

うみかぜ公園に行く。丸々したサバが釣れている様なので暑さも忘れて当りを待ったが、青イソメには食いつかない。ウルメ鰯がサビキで5匹、タナゴが2匹、イソメではハオコゼが2匹、ゴンズイが1匹だった。そのウルメを餌に挑戦したら、凄い引きで竿を引きずられたが魚影は見られず取り逃がした。ウルメだけを食いちぎられて針掛りしなかった。逃がした魚は大きいと言うが、竿を引き摺った力は今まで経験した事の無い、凄いものだった。針掛りしていても魚網が無ければ、上がらなかったろう。

23   2005年08月22日

横須賀釣公園にアジを求めて出漁。肥ったサバが釣れているがハオコゼの餌取に悩まされた。ウルメ鰯が釣れ始めると型の良いアジが釣れた。持参の餌が無くなり、鰯餌でカサゴを狙ったが、僅か一匹。今年は太刀魚もアナゴも望み薄のようだ。次々に永年の顔馴染が見えなくなるのは寂しい。カサゴ1、ウルメ6、アジ7、ハオコゼ3、タナゴ3。

24   2005年08月27日

うみかぜ公園はヒデ記念館のスピーカーの大音量でアジは来なかった。ハオコゼ3、ゴンズイ2、タナゴ8匹で終了。9月に閉館となる記念館だから仕方ないが、異様な風体のファンが居て、鼓膜を劈く音楽・・暗くなると500円の整理券でライブが行われ、チャリテイ・オークションの大音声が響き渡った。地元の人は早退してしまう状況だった。鍛治屋さんのボクサー犬、小次郎の写真しか撮れなかった。

25   2005年09月03日

横須賀釣公園でハオコゼ5、ゴンズイ1、ウルメイワシ20、カタクチイワシ10。サバもアジも姿を見せず釣れる気がしない一日だった。今年は日焼けをしたかったが、シャツを脱ぐ勇気が無くて腕だけが焼けた。

●2005年09月07日

台風の雨で中止したかったが、リハビリ最終回だし、明日診察を受けるので頑張った。2ヶ月で11回の訓練で得たものは自信だ。筋肉は付いた気がしないし、そんなに簡単に筋肉モリモリになる筈が無い。

●2005年09月08日

リハビリの医師は問診だけで判決を呉れた。身体に触れる事も無く、動きをチェックする事も無く、リハビリは自宅でするのが基本と言った。お願いして月に一回、後3回の機会を貰ったが、レントゲン・MRI・注射・薬などは自己申告でも出してくれるのに、何とかしたい訓練には冷たい気がした。

26   2005年09月10日

ほぼ満員のうみかぜ公園にアジを求めたが、ウルメの大群の下にアジは少なくて期待外れ。アジ狙いなのでウルメを避けて棚を下げたから結局ウルメも25匹に終わった。肥ったアジが一匹、マイワシが一匹、カサゴが一匹、ゴンズイ2、ハオコゼ5を釣ったが、ウルメを狙えば百匹も可能だった。マイワシはこのところ全く姿を見せなかっただけに、次回の期待が大きくなった。味ではウルメが最高、マイワシも最近は外国産がスーパーに出ているけれど、本物のナナホシは美味い。カタクチは出汁用だから最低だが、今年は少ないのかも知れない。

●2005年09月13日

今月も母が老健にショートステイだ。神奈川病院に入院してから、もう、三年になる。一昨年の8月から現在の老健に入ったが、入所して3ヶ月で歩けなくなった。座って居る事も出来ず居眠りだけするようになった。思い当たったのは精神安定剤だった。直ぐに薬の停止を求めたが、何故か減らしただけで投薬は続いていた。減らしただけでも座っていられるようにはなった。悩んだが入所していれば、管理上、投薬は義務のようなものだった。そこで、7ヶ月目の3月で退所を申し入れ自宅介護を始めた。総ての薬を止めて見ると手を引けば歩けるようになった。あれから一年半、こんなに生きているとは思わなかった。主治医は質の良い介護が最高の薬・・と言ってくれるが、あの薬さへ飲まなければ、今でも一人で歩けた筈と思うと、可哀想な事をしたと反省する。ショートステイでは薬を禁じているから大丈夫だが、家族の介護がない同室者は殆ど入所して直ぐに歩けなくなる。歩き回るのは施設の管理上、危険だから安定剤を飲ませて無気力にしてしまうからだろう。

27   2005年09月17日

うみかぜはヒデ記念館の閉鎖前の行事で駐車場から長い行列。25日が過ぎるまでは近寄れない。止む無く混雑を我慢して横須賀釣公園です。相変わらずウルメが釣れている様で釣り人が一杯、意欲が衰えてしまいました。結局ウルメは6匹、タナゴが一匹で万事休す。連休が終わるまでは混むだろうし、イワシが終わるまでは駄目だ。昨日は心臓不安で心電図を撮って貰う程、気分は不安定だが、寒くなる前に釣を楽しみたい。

28   2005年09月19日

連休の横須賀は満員なので三崎港へ行ってみた。道路は渋滞気味だったが着いてみると、ここもウルメ狙いの釣り人ばかり、顔馴染は誰も居なくなり、鯔の子が泳ぐだけでメジナの姿は見えない。ハオコゼが8、ゴンズイが1。ウルメが18匹の期待外れの一日だった。

29   2005年09月23日

ヒデ記念館の終了が近いので、うみかぜ公園は駐車待ちの車が行列。横目で睨みながら釣公園に行った。こちらは、鯖が来ているので釣り場所が無いほどの盛況。爆弾仕掛けで次々と鯖を上げる人を見ながら、真面目にアジ狙いのサビキを降ろしていたが、ウルメが一匹。暗くなってカサゴが一匹釣れたが、ハオコゼ1、タナゴ1と寂しい釣果だった。夜になるとビール瓶のような太さの黒アナゴの襲撃に遭った事があるが、今年はお目に掛かれない。

●2005年09月27日

母の診断書を汐田病院に頼みに行った。本人が行かなければ駄目だろうが、連れて行くのは至難の業だ。一度で済むなら良いのに、定期的に診断書は必要だし今年はもう、三度目の要求だ。役所の仕事は手間ばかり掛かって非情だと思う。

30   2005年10月02日

ヒデが終わったのでうみかぜに直行した。カレイの季節が来たとの事で岸壁は投げ竿の行列で場所が無い。困っていると松井さんが30分前に空いたと言う場所を教えてくれた。40センチのカレイを釣って帰った人の跡だからもう一匹の片割れが居る筈だと言う。残念ながらカレイは釣れず25センチのキスが一匹、小さなタナゴが一匹で終わりだった。アジもイワシもサバも来ていない。ソーダカツオがイワシを追い回す場面は見たが、岸壁から100メートルも先なので釣れなかった。

●2005年10月10日

毎日、雨で腐り気味、病院と介護の付き添いで日が過ぎる。連休の合間で渋滞かと思っていたが、高速道路には要人の為の警護で警察官とパトカーが沢山居た。驚いたのは、高速道路沿いのビルの屋上に警官の姿が見えてケネデイ暗殺のシーンを思い出してしまった。トロトロ走ると後ろの車にエアガンで撃たれそうだしスピード出すのは心配だし、途中で一般道路に出た。大失敗!其処から1時間半ほどの大渋滞で釣の気分は失った。竿を持って二時間も平気なのに渋滞での時間は英気を殺ぐ。横須賀ダイエーに入って食事をして、日常食品を買い、映画を観た。観月ありさと哀川翔の「鳶がくるり」だった。若い人で混雑するダイエーだし休日だし、大混雑を予想したが、広い場内に私を含めて6人だけ・・・係員に「どうしたの?」と聞いてしまった。「毎日こんなです」と笑っていた・・凄い映画に違いないと覚悟して、でも千円だから仕方ないと諦めたが結構楽しめた。ストレス解消には丁度良かった。なぜ観客が少ないのか?私には判らない。ストレスになるような映画には殺到しているのに・・みんなの好みと完全にズレて居るんだと認識した日だった。

31   2005年10月16日

再びうみかぜに向かったがダイエー入り口で渋滞があった。天気は良くないし風もあるので釣り場は空いていたが波が高くて潮風を被ってしまった。ゴンズイ1、ハオコゼ1、タナゴ1だけで早仕舞い。寒くなってしまった。

●2005年10月22日

母の診察に立ち会ってインフルエンザの予防注射をお願いした。朝晩は手足が冷えて炬燵が欲しい季節が来た。低温火傷の心配もしながら来春まで頑張らなければいけない。風邪は万病の元、高齢者の体力では風邪が怖い。流行する風邪を持って来るのは何処へでも移動する元気な人達だ。老健などへも気軽に遊びに来るのは止めて欲しいが自分の勝手で出入りするから困ったものだ。介護する気も無いのに暇潰しで遊びに来るのはヤメロ!と叫びたい。

32   2005年10月23日

久し振りの天気に恵まれたので三崎港へ向かった。横横道路を降りると、まさかまさかの大渋滞。荒崎方面への渋滞が終わると流れたが、再び三崎への渋滞。三崎マグロ祭りで駐車場所もない程の混雑だった。帰りたくても渋滞に並ぶのも悔しいし、やっとの思いで空きを見つけたが岸壁も釣り人で一杯だった。イサキが来る季節だからと思ったがトウゴローイワシだけで釣れない日のようだった。強い向かい風にに悩まされながら挑戦したが、結果はウルメ一匹、ハオコゼ三匹、念仏鯛四匹、サビハゼ四匹、ゴンズイ十三匹だけだった。三日間泊り掛けの人に聞いたら一昨日はイサキが釣れたが、昨日、今日は駄目だと言った。近くの女性がイサキを一匹釣って帰ったが、夜になってもゴンズイばかりで寒さが身に凍みた。

●2005年10月30日

母が喉を詰まらせて死ぬかと思った。ゼイゼイしながら吐きそうで吐けず気管に入ったらと不安になり救急車を呼んだ。一刻も早く早く病院に搬送して欲しかったが日曜だし夜だし、受け入れ病院が見付からず30分以上も家の前で経過した。呼吸困難だったら死んでしまったろう。幸い救急車内で吐いたので、助かったが近くの病院は駄目だった。菊名病院が受け入れてくれて妻が同乗して行ったが、車内で二人とも吐いてしまったと言う。救急隊員が運転手にユックリ走ってやれって言ってくれたそうだ。病院の先生も二人を看て、救急車は酔うんだよねえと言って呉れたと言う。大事にはならず入院もしないで済んだから、帰りは救急車と言う訳に行かずマイカーでの帰宅となった。三人も免許を持っているのに私しか運転出来ないから、帰宅の時、車に母を乗せてくれた看護婦さんも驚いた事だろう。お大事にと言ってくれた言葉がうれしかった。高齢だから覚悟はしていても息を詰まらせる状態になると慌てるだけで上手くいかない。気管支炎の抗生物質(セフゾン)を貰って来て服んだからもう大丈夫だが、心臓はかなり大きくなっている。妻も娘もショックで早寝をした。

●2005年10月31日

昨夜の救急が嘘のように今朝は元気に目覚めお粥をお替りした。デイサービスも普通にこなして昼食も全部平らげたと言う。10年以上も前、高熱を出した時、点滴を受けた翌日に刈谷まで出かけた事があるが丈夫に出来ていると感心する。里芋、薩摩芋、じゃが芋を続けているのも良いのだと思う。

33   2005年11月03日

寒いから空いていると思い、うみかぜ公園に行ったら大きな鯖が入れ食い状態で釣り人の行列、まるでパチンコ屋の状態だ。強引に割り込んで鯖二匹、メバル一匹を釣った所で雨が降り出して断念。鯖なんか大漁だって困るだけだと負け惜しみを言いながら帰って来た。

34   2005年11月05日

天気良く暖かいので三崎港へ行った。ハオコゼ8、ゴンズイ17、念仏鯛6、クロイシモチ1の釣果で狙いのイサキは駄目だった。ボラやイサキの子であるウリンボが群れを成して泳いでいたが、サバもイワシも来なかった。両斉藤が元気だったが高橋は死んでしまったと言う。多くの馴染が死んでしまい、本田美奈子の死も身に凍みる。

●2005年11月09日

血液科の検査で瀉血を覚悟で出掛けたが結果は先生も驚く数値が出た。看護婦さんに赤血球と白血球は採らないでと頼み込んで採血したら白血球は何と正常値に成っていた。瀉血の心算が抗がん剤不要となったのだから嬉しい。治った訳ではないから良い状態を長続きさせたい。背骨の化骨は治療法も無いと言われたが、暫くは健康が保てるぞ!一ヶ月ぶりのリハビリで進歩はなかったが、ジムに行き自転車漕ぎと上腕でロープを引く運動をして来た。運動前と運動後では確実に血圧が下がる事を確認した。

●2005年11月11日

朝の寒さは厳しくなっているが母は今日もデイサービスに出かける。明日はインフルエンザの予防注射をする日で体調を整えておかなければならない。店には風邪を持ち込む客も来るし、可哀想だが注射は必要だ。店を潰して居室にした時には直ぐに不要になる心算でいたが、二度目の冬を迎えるので暖かくて周囲も見回せて退屈しない部屋を作った事が良かったと思う。作った時には「金持ちだから良いよな」と言われたり不愉快な事も有ったが昼間は外の様子が見えて夜は暖かい部屋に居るからこそ長生きしてると思う。初めて年間7万円の年金が取れるようになったので意地でも長生きさせてやるぞ!

35   2005年11月12日

再び三崎港。風もなく静かな港内に厳密には立ち入り禁止だが釣り人が行列していた。イワシが来ているそうで大型船が入港していなかったので期待された。しかし釣れたのはゴンズイだけで諦め、何時もの冷蔵庫前に移動した。ここでもゴンズイの猛攻に遭い、ゴンズイ22、ウルメイワシ1、ハオコゼ4、サビハゼ1の寂しい結果に終わった。イサキは不漁の年になりそうだ。

●2005年11月23日

億劫にしていた床屋へ行って、散髪前後の写真を撮って貰った。後頭部の禿げ具合が見事で落ち込んでしまったが、床屋はまだまだ大丈夫とお世辞を言ってくれた。後二ヶ月で71歳だ。免許更新には適性検査が必要らしいから、元気を取り戻さないとならない。

●2005年11月30日

今年は魚が少なかった、12月になると寒いから、釣りで風邪を引くのはみっとも無いし、来年春までは魚に逢えないかも知れない。足腰の鍛錬には外出が必要だし海を眺めに行くだけでも良いのだが、近頃、外出が億劫になってしまった。母の元気を見ていると頑張ろうと言う気は起きるが身体が付いて行けない。

●2005年12月02日

遠方の友より電話あり、古希の症状があるらしい。若き頃バイトで全国を走り回っていた姿を思い出し侘しさ募る。気力無ければ老いに狙われる。最期まで未練がましくても困るが、身体を動かし外の空気を吸って若さを維持したいものだ。

36      2005年12月03日

三崎港マグロ加工所前に行って来た。縞イサキが釣れている筈だったが、寒いだけで当たりはなかった。ルンペンの斉藤さんも居なくなり、養老院の斉藤さんは冬篭りだろう。小森さんに久し振りに逢ったら、土産を取って来てやると言って何処かへ消えた。40分ほどすると、今日は思わしくないと言いながら伊勢海老を持って帰って来た。

●2005年12月07日

リハビリの最終日だった。継続の難しさを改めて思い知った。継続努力の不足で総ての検査値で落ち込んでしまった。歩行能力は確実に落ちてしまい屋外では五メートルも怖い。今日は百メートルを歩き10メートルを15秒で歩けた。

●2005年12月08日

最悪の日になってしまった。高齢で長期間放置された後遺症は回復の見込みが無いなどと言う意見を聞きに行ってしまった。落胆して帰途フィットネスに寄り50分間運動して気を沈めたが落とし穴に嵌った。初めての機具に、安全と思って摑まったらハンドルが落ちてきて右額を直撃、皮下出血をした。20分間、氷で冷やして安静にして病院へ直行だ。宮下医師の診察で湿布と軟膏を貰い、脳内出血はなさそうだけど、日にちを掛けての出血が心配なので2週間後にCTを予約してくれた。年の瀬に伊勢海老と虹を見たのに愚かな自分を見てしまった。

37    2005年12月10日

母の健診をして貰うために出かけたが駐車場が無いので離れた道路に駐車して車椅子で立ち会った。もう一日、デイサービスを増やして欲しいとの訴えが通らないが、他人から見ると大変だとの印象は無いのだろう。内緒で施設へ様子を見に行く人間があるから我が家の実情が誤解されている。

風が強いが暖かいのでイサキを求めて三崎港へ行ったが、強風で寒く釣り人は4人だった。一応竿を出して車中から監視していたが、隣の人がイサキを釣ったが自分の所へは来なかった。

●2005年12月19日

明日はCT検査の日だ。心配された内出血で顔面真っ黒の事態にはならず痛みも殆ど無い。明後日は母が老健に行く日だが横浜でも雪の心配をしている。それも、杞憂になるのだろう。後10日、大晦日から正月には母を中心に楽しく過ごす予定だ。風邪も引かずに過ごしたい。

●2005年12月24日

やっと念願の液晶テレビを予約出来た。高齢の母の為に年末年始を盛り上げようと考えていたが、財布の奴が気持ち良く返事をしないから遅くなってしまった。二十九日に来る事になり、三十日に母を老健へ迎えに行く。不愉快な棚卸し作業と決算作業が待っているが、個人は大晦日棚卸しが原則だが、税務署員は28日からボーナス貰って遊んでる。40年間もこの時期、役人に腹が立つ、チキショウメ!

今年は年末年始、新しいテレビで92歳の母と水入らずで楽しむぞ!来年は無いかも知れない新年を私たちはたのしみにしてるんだから・・・医師も言う母の状態、「静かだったら息をしているかどうか時々観察してください。」私自身も白血球が少しも減らない、妻も高血圧だ。三人の輝きは絶頂期なのだから、災いを持ち込むのだけは許さないぞ!

●2005年12月31日

気忙しい一年が終わった。母の元気には医師も舌を巻くほどのものがある。自分自身もCT結果で梗塞も見付からず脳味噌の詰り具合も良かったので安心した。年初の大腸検査から年末の脳味噌検査まで合格したので、我ながら凄いと思う。来年も体力を落とさないように、気を緩めずに頑張ろう。