● 2007年1月1日
台所と居間のカーペットを新調して炬燵掛けも換えた。 老々介護の生活で共倒れにならないよう用心したい。
厳しい日々が続くのは止むを得ないが、国の政策も悪化するばかりで許せない。 道徳教育の無い時代に育った者たちが飽食を続けながら退廃を進めている。
初めての亥年は生まれたばかりで判らなかったが昭和大恐慌の翌年だった。二回目の亥年は敗戦後の貧困の中、六畳一間に七人の生活だった。三回目の亥年は模型屋を開業して夢は持てたが貧困の中に居た。四回目の亥年は運転免許も取れて商売も順調になった。五回目の亥年はオイルショック後の物価高騰で借金が消えた。六回目の亥年は孫に恵まれて夢うつつの日々だった。今年は六回目だと思っていたが良く考えると七回目だった。気持ちは六回目だが、体力が落ちて今のままではダメだ。心して体力増強に努めて行きたい。
母の一番下の妹を迎えに行き、本家の年賀挨拶を済ませ、母中心の正月を明るく迎えた。
● 2007年1月2日
天気にも恵まれ暖かい部屋で楽しく過ごし、娘と二人で母の介護を引き受け、叔母と妻を初買い物に行かせた。僅か三時間ほどの買い物でも二人が大喜びしたので良かった。
夕食にマグロ寿司と焼き鳥と崎陽軒のシュウマイと澄まし汁を食べたが、30分ほどで蕁麻疹が出た。手のひらの痒みから始まって全身に広がり動悸もして救急車を呼びたかったが二日は亡父の祥月命日。時間も夜八時過ぎ。目の前が霞んで来た時は駄目かも知れない気がしたが、脂汗を掻きながら我慢していた。
急激な下痢をして暫くすると一気に動悸も治まり平常に戻れた。何が原因なのか、見当も付かないから、これからは食べ物に神経質にならざるを得ない。アレルギーとは本当に怖いものだ。養殖マグロなら抗生物質を蓄積してるだろうが、外洋で獲れたマグロだと表示されていた。以前、サンマー麺で蕁麻疹が出た時には点滴を受けて治まったが、キクラゲが原因とされた。 良く眠り無理はしていないから、体力が落ちているのか、アレルギーが増えたのか? 食事に不安が有っては、外食は出来ないし行動範囲が狭くなる。後遺症も無いし完全に元気になっているから心配はしないほうが良いが、用心だけは欠かせない。
● 2007年1月3日
娘が留守番すると言うので叔母を送りながらオムツを買いに行った。運転も不安は無く変わりないが食事だけは気にしている。夜は母と歌を楽しみ、思いがけないほど母の反応が良いので素晴らしい正月だった。
● 2007年1月8日
うみかぜを覗いてみたが寒さの中で釣り人は頑張っている。見学だけしてAVIで野菜などを買い込んだ。携帯も変えなければ成らないのでコジマに行ったが料金体系が理解出来ず担当者も暗いので止めた。ダイエーで鉄コン筋クリートを鑑賞して帰ってきた。
● 2007年1月11日
決算を未だ始めていない。何十年も今頃は棚卸計算だけは済ませていたのに、今年はやる気がしない。2月16日に間に合えば良いや!と投げやりになっている。今日の写真はコレだ!
● 2007年1月20日
孫たちが来て誕生日を祝ってくれた。婿殿からお年玉を貰い順調に育っている孫たちを見て贅沢な幸せを愉しんだ。春には孫娘がボストンに行く。夏休みには社会勉強の為、文房具の問屋へ仕入れに行こうと約束した。
● 2007年1月22日
宮下クリニックで採血:血小板も減っていて取り敢えずは白血球の抑制でハイドレアを朝晩継続する。序にラゾーナへ行ってみる。確かに若い人が集まる場所だし駅から近いので吃驚した。階段を気にしない人たちには便利な所に快適な街が出来たと言うことだ。買うものは無いのでマリーアントワネットを観た。観客も若者が沢山入っていて何時もの貸し切り状態とは違う。ただ、映画は期待外れだった。ビックカメラでVISTAの様子を聞いてみた。XPと余り変らないようで、危険を冒しての乗り換えは出来ないと感じた。
● 2007年1月29日
今週も海へは行かず本牧マイカルに行った。レストラン街も消えてしまい映画館だけが残っている。バブル期には米軍接収地跡に出来た素晴らしい街だったが見る影も無い廃墟になった。ここは人が集まらないから映画を見るには最高だ。しかし、「幸せのちから」と言う映画には若者も沢山入っていて驚いた。みなとみらいや元町に客が流れて本牧は寂れた。川崎は発展しているのに最盛期のマイカルを知っているから栄枯盛衰世の習いとは言え無常を感じる。
● 2007年2月5日
風も無く暖かいので三崎港へ行って見た。渋滞があって釣り人も多いのだろうと期待したが着いて見ると水温が低いから魚影も無く数人が居ただけだった。マグロ解体のお零れを狙ってトンビの大群が舞い、白鷺とカモメと烏と鵜と雀までも嬉しそうだった。顔馴染にも逢えず、今年は真鰯が釣れる年になって欲しいと願いながら朝漁りの鯵を鈴木水産で買って来た。暖冬だからか大根なども安かった。
● 2007年02月13日
昨日は横須賀の海を見に行ったが風のため諦め、映画バブルでGO!を観て帰って来た。インフルエンザも流行していると言うし気温は高いが釣りの季節はまだ先だ。バブルが弾けて19年目、長い不況の後に老後が待っていた。バブルを作りバブルを潰した政治家や官僚たちは甘い生活を愉しんでいる。明日は春一番が吹くと言ってる。母がインフルエンザにならないよう、身体だけ元気な人がバイキンを持って来ない様に願う。
● 2007年2月19日
うみかぜ公園は月曜日なのに結構釣り人が居た。 狙える筈のカレイは良くないがアイナメが出始めている・・・ と昔馴染みの老人が教えてくれた。
ただ、必ず居る筈の松井さんたちが来ていないし、釣れている雰囲気は無かった。
帰りは例によってダイエーで「ドリームガールズ」を観て、お好み焼きを食べて帰るコースになった。
高速に入る直前になってガソリンが無くなっていることに気が付いてしまった。 警告ランプもついていないし迷わず帰路に付けば良かったのに、ガソリンスタンドを探して遠回りしてしまった。
十時過ぎると山の中にGSは無かった。有っても閉っていた。ナビのGSマークに導かれてどんどん深みに嵌まり気が付くと、真っ暗な大船、鎌倉、江ノ島など見学してしまった。遂に見つけたGS! 無人スタンドだった!
初めてで焦っているので使い方が判らず、オジサンを呼んでしまった。 ガソリン満タンで安心して帰りのコースに入ったら、119円のGSが沢山有った(ToT)/~~~
無人GSが122円。其処から1キロも行かない所にGSが安値競争していた。 直接高速に入ってもガソリンは足りていた筈なのに、帰宅するのに充分なだけのガソリンを回り道で消費した。
ドリームガールズはとても良かった。
● 2007年2月26日
腸の具合に自信が無いので再びうみかぜは見学。風は冷たく花粉症なのか、涙と鼻水が止らなかった。マスクを手放せなくなっている。映画さくらんを観て帰ってきたが、往復の運転が安全に出来る能力を落とさないために外出は絶対に怠ってはいけないと心得ている。週に一度の外出では運動量も不足だし筋肉が減るばかりだと自覚している。
● 2007年3月7日
秋葉原の変貌を見たくてヨドバシカメラに直行したが商品の豊富さに驚き、高齢者の姿が多いのにも驚いた。電気部品の街の姿は無く、知らない街になっていた。名物のおでんも食べなかったが、萌え嬢の姿は見かけた。
● 2007年3月20日
血液検査の結果に大きな変化はないがハイドレアが効いている。HDL3に異常が見られたが、まだ経過観察の段階だ。
何としても健康を維持しなければならないが、自覚症状のないままに血液は悪くなっている。
● 2007年3月23日
己代子叔母の代理で芹香院と横浜中央病院を往復して、入院手続きをして来た。まだまだ、人の世話を焼ける自分を認識して自信を得ている。
光回線の工事が四月十日に決まった。ストレスなしにネットが使えるようになる。
● 2007年3月30日
介護保険料が三倍になったので区役所へ出かけた。窓口の佐藤と言う職員が、こちらの話も聞かずに、パンフレットを持ち出して社保庁の計算が遅いから、仮の金額を通知するしかない。6月になれば本当の金額が判るから待て!と言う説明だった。去年の三倍の金額は有り得ないし、最高限度額を超えてしまう計算書を送り届けてることに苦情を言った。
けれども、書類を示して同じ説明を繰り返すので、次第に大声になって何度も読み返して理解した上で来てるんだ!と言ったが、納得の行く返答はなかった。窓口ではどうにも出来ない問題だと言うので、上層部に伝える事もしないのかと怒鳴ったら、ようやく、問題点を理解したようで小さな声で謝罪をして、必ず上に伝えると言った。25分間の大騒ぎなのに周囲は知らん顔だった。帰り際にエレベーターで乗り合わせた人が、役所は何も聞いてくれないと文句を言うので、自分の口で直接、言わなければダメだ。陰で言ってるだけでは良くならない、とお説教してやった。最大が75000円なのに、12万円の支払い予定書を送り付けられても苦情がないと言うから、良く判らない。
近所の人に見られてるだろうから、評判を落としたと思うが、本当に無茶なことをする社会になった。
● 2007年4月2日
中華街の中にあるような病院にいる叔母を見舞った後、中華街を覗いて見た。孫を連れて母と一緒に散歩した頃とは随分変わっていた。萬福で焼ソバランチを食べてから、桜満開の本牧へ行った。横浜大桟橋にはパシフィック号とあすかⅡが停泊中で、豪華な旅を愉しむ人たちが多勢居るらしい。三ヶ月で最低250万の船旅。三ヶ月1300万のコースは売り切れだと言う。栄華を誇った本牧マイカルは見る影も無いが、映画館だけは空いてるから利用しやすい。ナイトミュージアム・・内容も知らずに飛び込んで観たが、子供映画だったようだ。
● 2007年4月10日
光回線を引いたが予想より遅い。 昨日は曇りの予報だったが海へ行った。しかし、夕立に遭い釣りは無理だった。 仕方なく再びダイエーに行って「大帝の剣」を観て来た。こんな生活をして居て良いのだろうか?体力を落とさないように、真剣に努力しなければダメだ。
● 2007年4月21日
昨日は母の調子も良いようだし、自分の血液検査と呼吸器診察で宮下クリニックと徳田病院を梯子した。便利だった薬局が廃業になったので新しい薬局にしたが手順が悪くて待たされた。
午後は17度の気温に誘われてうみかぜ公園に行って見た。顔馴染みの鍛冶屋さんが色々情報を呉れたが、タナゴが面白いと言っていた。横須賀ではスーパーで売っているタナゴだが、横浜では見たことがない。肉が柔らかいので母が元気な頃には食べさせたが、胎生のタナゴは今、沢山の子供を抱えている。腹を裂くと小魚が驚くほど出てくるので知らないと気持ちが悪くなるかもしれない。だから、妊婦には嫌われると言う。
● 2007年4月27日
去年は母の入院で我を失っていたが、今年も病院が長期休みになる黄金週間だ。急場の薬は貰っているが、世間様とは違う心配週間である。
● 2007年5月1日
娘が休日で母の介護をしてくれたので、安心してうみかぜ公園に行って来た。真夏日で南風なので釣り場は混雑し駐車場も満車だったが、勝手知ったる場所なので割り込み成功。松井さんが来て「人間が多いから魚は居ない」と言って帰って行った。中沢君も来たが、投げる場所が無いとぼやいていた。
周囲でも釣れる人は居なかったが、こっぱカレイが釣れた。
今年初めての獲物だが、小さ過ぎたのでリリースした。スターフィッシュが沢山釣れたが、海が汚れているようだ。
● 2007年5月7日
嫁いだ娘が孫と遊びに来てくれた。母が良く面倒を見た孫娘がボストン留学の話を持って来て母に声を掛けてくれた。
徳田病院を受診した後、海へ行った。少しばかり運動をしただけで夜になって筋肉痛が出た。右肩と大胸筋が痛い。日頃の怠慢が原因だ。
小さなタナゴと竜宮鯊が釣れたが海面は汚れていた。
● 2007年5月8日
現況届けの提出で区役所へ行き、郵便局でハガキを受け取り、更新料支払いのため貯金を引き出した。 7月の暑さだと言うことで大汗を掻いて筋肉痛は治まった。毎日動けば、身体には良いと思うが、自分に甘くなってしまう。
● 2007年5月12日
義姉が狭心症で入院した。同年齢だけに気になるが見舞いに行ける状況じゃない。二歳年下の義兄は介護を要する身だし、甥から電話を受けたが何もしてやれない。叔母たちにも連休明けで落ち着いたので電話をしてみたが、それぞれが大変な状況のようだ。
どちらを向いても、明るい話は見えて来ない。我が家だけが充実の日々を生きている。
● 2007年5月15日
昨日は三崎港で大ヤドカリを釣ったが海に帰した。今日は自分の住まいの更新料を払って契約更新した。次回契約は93歳の時だから、ヤドカリを見習わないといけない。
● 2007年5月18日
本牧でサンマが釣れると言う情報で掛け付けてみたが、一昨日で終了したと言われた。 大物を狙ってみたが当たりもないので諦めてマイカルでゲゲゲの鬼太郎を観て帰った。
● 2007年5月21日
運動不足を防ぐため出漁。南風ながら寒くて防寒着。本牧では秋刀魚の代わりにメバルが来ているらしいが、うみかぜ公園は魚影無く、釣り人も少なかった。ヒトデ3個とキス1、メゴチ1、イイダコ1、ナマコ1
だけだった。
● 2007年5月29日
昨日はワールドポーターにある介護用品屋へスロープを見に行った。ホームページもあるし、廃業したとは思わなかったが、目的の物は買えなかった。以前見ていた便利な道具は、ネットで探しても見付からない。 移転先を探して金沢八景まで行って見たが結局見付からなかった。
● 2007年6月4日
うみかぜ公園で片口イワシが釣れて来た。鯵を釣った人もいて、やっと待望の季節だと思った。
小さいながらメバルも釣れた。60歳の鍛治屋さんは仕事を止めたと言うが、80歳の松井さんは大工仕事をしているので昼間は釣に来られないとぼやいていた。仕立て屋も仕事を続けていると言い、テレビで石立が倒れ羽根田が死んだと報じているが、釣り場に集まる人たちは元気だなあと思った。
● 2007年6月11日
再びうみかぜに行きイワシ、鯵、メバル、カサゴが釣れた。鯵が来る時間は決まっているようで午後7時頃にならないと駄目だ。カレイは姿を見せなくなり、メバルが釣れる季節だが型が小さい。
● 2007年6月12日
イワシは面倒だから煮付けにした。カサゴは唐揚げにしようと思うが、鯵は脂が乗って最高だった。
● 2007年6月18日
宮下医師の診察を受け、白血球も血小板も変化はなく、安定しているので体力を維持のため、リハビリをするよう奨められた。
天野医師の診察でも呼吸器に異常はなかった。
先週の釣果に釣られて鯵を狙いに行ったがイワシ一匹の貧果。小雨にも祟られてしまった。
19歳から80歳までの釣り場仲間に囲まれるようになって、釣れなくても退屈はしない。
● 2007年6月27日
母の見舞いをしてから海へ行った。鯵も釣れるようだが、イワシの群れは居ない。大黒では梅雨メジナが出ているらしい。
● 2007年7月6日
横須賀には大型店舗が増えている。台所の整理をしたくてダイソーで買い物をした。
うみかぜ公園では常に地元老人の指定席になっている場所が空いていたので不思議に思い陣取ってみた。
ハオコゼばかりが釣れて落胆していると、フグが釣れた。やがてサバの群れが来てイワシも釣れ始めた。
良型のメバルが釣れて気を良くしていると、カサゴも釣れた。
久し振りに釣りをした満足感に浸れた。帰りには新装開店したお好み焼きで仕上げをした。
● 2007年7月9日
母の退院が17日に決まって一安心。昨日は浅草橋の仕入れに行き、今日は横須賀までアジ釣りに行って来た。 ガソリンが142円まで値上がりしてるが、連日運転をして心身ともに若さを感じている。
釣り場では若者を相手にして老け込まないように心掛ける。
気を良くすることが健康法だと思っている。
● 2007年7月16日
うみかぜ公園は連休最終日ながら満員状態だった。朝のニュースでは台風の影響が有るから海岸には近寄らないようにと呼びかけているのに・・・
アジが釣れると言うので期待したが、片口イワシが釣れただけだった。おまけに、終了間際になってにわか雨に遭ってびしょ濡れになってしまった。
● 2007年7月25日
うみかぜ公園で鯵1、片口イワシ30、ウルメイワシ8。毎年アジを期待しながら釣れなかったが、今年はアジの当たり年のようだ。
大黒でも久し振りにメジナが出ているらしい。
● 2007年8月3日
徳田病院の健診で血圧、気管音などに異常は無く、久し振りに気持ちも落ち着いている。
1日に母を送って行った帰りにララポートに立ち寄ったが、静子さんに逢った。シン子叔母も労災病院に入院中だとのこと。
● 2007年8月6日
本格的な暑さの中うみかぜ公園で釣りをした。日中は日陰でも熱風を感じて、涼しくは無かった。 日が沈んで涼しくなるとアジの時間だ。
常連の釣師は6時半から8時までしか釣れないと知っているのに、朝から竿を出して日陰で待ち構えている。
毎日海で暮らしている松井さんは魚の匂いが大嫌いだと言い、釣った魚は調理だけして女房に食わせると言う。
片口イワシ50、潤目イワシ3、メゴチ1、アジ6 の釣果だった。
● 2007年8月13日
母の往診が済んで安心した後、うみかぜへ行きアジを狙ったが、ヒイラギ1、サバ2、ハオコゼ3、の貧果だった。
夏休みで親子連れで賑わい、調子に乗っていたら、彼らは夜通しの釣りだったので、気がついて帰宅したら、夜中の12時だった。
暢気で元気な自分に敬意を表したい。
● 2007年8月20日
うみかぜでサバ4、ウルメイワシ1、ハオコゼ1、タナゴ3の貧果。
松井さんは入れ食い状態でアジを釣ったので、少しはこちらに回せと言ったら、場所のせいではない。 毎日来てるからアジも顔見知りに釣ってもらいたいんだよと言われてしまった。
週一の釣では、アジも顔を覚えてくれないんだ!とのことだ。
80歳の彼は、帰り際に「明日も来いよ」と魚たちに呼びかけている。
生臭いのが嫌いで魚は調理してかみさんに食わせるだけと言い、手や道具を水道で懸命に洗って、匂いを消そうとしている。
たまに、人手が無いと大工仕事を頼まれるそうで、日当を貰うと直ぐに高級な竿を買うのが生甲斐だと言う。
● 2007年8月27日
うみかぜ専門釣師になった。しかし、目指すアジは難しい。沢山居るのは間違いないが、アジは棚を釣れと言うが、棚が難しい。
しかも、群れが通る時間は僅か30分。
カサゴなど根魚と違い、時間との勝負なので、頑張ってもだめだった。
● 2007年8月31日
久し振りにガックリしてしまった。白血球が33400に増え、好中球も増えた。ハイドレアを毎日2錠に増やして様子を見るが、再度、骨髄穿刺の必要があるかもしれない。
● 2007年9月3日
このところ、うみかぜのアジ専門だったが、テレビで三崎港のウルメイワシ情報を見て、久し振りに行って来た。
餌屋の話では午後六時まで釣れると言う。6時半からのアジとは違う。
2−300は簡単だと言われたが、暑い日ざしを浴びながら三時間で、ウルメと真いわしで21匹だった。
ウルメばかりと思っていたが、調理してみると大きいと思っていたのはマイワシだった。 紛れも無くナナホシイワシだ。
母が元気な頃は、夜中に帰ってくる息子を待っていて、300匹のマイワシをすぐに捌いてくれたことがある。
今回は自分で調理して、母に栄養をつけてやる。
● 2007年9月10日
大黒のメジナが連日大漁の情報でいたたまれずに、雨雲を気にしながら出漁決断。
しかし、途中で豪雨に遭い断念。本牧マイカルの釣りバカ日記を観に行ってしまった。
久し振りの釣りバカで、三国連太郎も谷啓も凄く老けたのでビックリ。
スーさんが痴呆に成ったような話なので、寂しくもショックだった。
● 2007年9月14日
母がショートステイで留守なので久し振りに家を空けた。
ザ・ファイブ・ブラウンズ・・・五人兄妹のピアニストによる演奏会。
22歳から28歳までの兄弟が仲良く演奏するだけでも、心温まるが、両親も素晴らしい人だった。
我が家の娘も、親思いだとは思っているが、五人の兄弟が仲良くしている姿には心打たれ、ご両親の話を伺って嬉しかった。
何時までも、今日のような日を続けて欲しいとお願いした。
● 2007年9月17日
うみかぜ公園は長い岩壁に釣り人が並んで、割り込む場所も無かった。 早上がりの人は居ないか探していると遠くから松井さんが手招きで呼んでくれた。
毎日通って20年と言う彼は、今日は七時にならないとアジは釣れないからと言う。
場所を譲ってくれて、バカ話をしながら待っていると、型の良いメゴチが釣れた。幸先が良いと喜んだが、その後はゴンズイ・・・
六時半頃になって本当にアジの群れが来た。サバの大群が居るようで子イワシの群れがナブラを立てて逃げ回る。海面を立ち泳ぎの形で逃げ回る小魚の群れは圧巻だった。
脂が乗った肥ったアジを七匹釣って、満足の一日だった。
● 2007年9月19日
メジナ情報に我慢出来ず、大黒町へ向かった。
着いて見ると多勢の人が釣竿を出しているが、釣れてる様子が無い。
腕が違うからと意気込んで始めてみたが、さっぱりだ。
結局メジナは休みの日で、僅かに子メジナ一匹。子カサゴが一匹。
アジは二匹、サッパばかりが100匹ほど釣れた。
ママカリに成るサッパだが、母が捌いてくれた頃は持ちかえったが、今は総てリリース。
● 2007年9月21日
徳田病院で呼吸器の健診を受けたが、大丈夫だった。
午後からは、車の点検を受けたが、ファンベルトに傷が付いていたので交換と言うことになった。
身体の方は部品交換できないから、車の方で良かった。
残暑が厳しくて、大汗を掻いてしまった。水分補給が大事だ。
● 2007年9月24日
うみかぜ公園のアジが待ってる筈と張り切って行ったら、北東の風で波飛沫を浴びながら多勢の釣り人で賑わっていた。
何時ものように松井さんが呼んでくれて、今日は昼間から釣れてると教えてくれた。一日で一センチも育つから大きくなってるとも言われた。
しかし、風でゴミが漂着して離れず釣りにならない。潮が止ってしまい、最後までアジは来なかった。
昼のうちに釣れたので、夜は来ない。 季節が変わった感じだ。
先週は暑くてシャツでも汗を掻いたのに、ジャンパーを着て、冬支度になってしまった。
● 2007年10月1日
曇りの天気予報ながら、大黒メジナ爆釣情報で行って見たが、午前中がメジナの時間。
霧雨の中、頑張ったがマメカサゴ2、ハゼ1・・・で退散した。雨も止んだのでワールドポーターで映画を観て帰って来たが、再び雨で、ずぶ濡れになってしまった。
母の為に入れた電動ベッドで寝てみたが、暖かくて寝たままテレビも見えるので、買って良かった・・・。
● 2007年10月7日
連休中日で混雑は覚悟で出掛けたが、想像以上だった。
松井さんが来ていたので場所を詰めて貰い竿を出したが、アジは先週で終了したと言う。 大きくなって沖へ行ってしまったのだ。
ハオコゼが一匹と小さなウニが釣れただけだったが、海の空気は良い。 特に痛い所も無く、自由が出来る身分に感謝だ。
● 2007年10月12日
黒川紀章が死んだ。心不全だと言うが同世代の身としては他人事ではない。 3月と7月の選挙で、あれだけの元気を見せていたのに・・
15-16日に、金婚式の意味を込めて熱海へ一泊で出かける予定だ。
義兄夫婦を招待してあるが、無事に済ませたい。
5年目の車のタイヤが磨耗したので、新しいタイヤに付け替えた。
念には念を入れて・・・安全を心掛けている。
● 2007年10月16日
熱海まで9号台風で崩れた西湘バイパスを通って行って来た。
下り線が工事中で、上り線だけの対面通行だから心配だったが、影響は無かった。
片道二時間の運転だから、何の心配も無かったが、無事に帰宅してホッとしている。 義兄の元気な姿を見て、たくさんの話が出来て良かった。
● 2007年10月19日
内科検診を受けたが異常は無かった。
帰りに小安商店で仕入れを済ませて、夜は雨の天気予報なので、帰宅した。
もう、安心して釣が出来る季節は終わってしまったのだろうか。
大黒のメジナも居なくなったようだし、うみかぜのアジも釣れない。
目が疲れるから読書はしたくないし、単純に食欲の秋になってしまった。 メタボリックは怖いと思いながらも、食べてばかりいる。
● 2007年10月19日
隣人は以前から異常だったが、最近は夜中に大声を上げたり一人で荒れていた。 今週になって攻撃的になって、通行する子供を怒鳴りつけていたが、遂に我が家に向かって来た。
今日は朝から何度も怒鳴り込んで来て、盗んだものを返せ!と大声で叫ぶ。
一年中、雨戸を開けず、正面から顔を見せることのない人だったが、母親も来なくなったし、二人の子供も出て行ってしまった。 欝病だと言うけれど、家族が寄り付かなく成り、野放しで治療も出来ない。
町会長にも、所属している教会の人にも、警察にも届けたが、寝たきりの母が寝ているベッドが近くで、放火でもされたら堪らない。
人権の問題があるから、何も起きないうちは手が出せないと言うが、それでは、我が家は救われない。
自殺するなら構わないが、放火などされては敵わない。
当分の間、母の風邪を恐れながら、隣のうつ病にも怯えなければ成らない。
● 2007年10月22日
悪い事ばかりはない。横須賀つり公園で思わぬ釣果!
宗田カツオの情報で出かけたが、平日なのに釣り場は超満員。
松井さんの居ない場所だから良い場所は取れず、カツオはダメだったが、まさかのカワハギが釣れた!
思わぬエモノに気を良くしてると、なんと! こんどは真鯛だ!
寒くなってしまったが、今年は魚の世界に異変が起きて居るようだ。
天然の真鯛は色も鮮やかで綺麗な姿をして居る。
● 2007年10月29日
カワハギ狙いに浅利持参で超満員の釣公園に再挑戦。
残念ながらカワハギは姿を見せず小さなメバルが釣れて来た。
宗田カツオも姿を見せなくなり、鯖とイナダだけが活発だった。
水温22度と言うことで、明日からは寒くなり今週一杯だろうとのことだった。 風が強く、既に冬支度での釣だから、風邪用心で気を遣いながらの釣りになってしまう。
三崎港の真鰯とカワハギが気になりながら、行かれないのが心残りだ。
藤波元長官が74歳で死んだ。寒くなっても釣りに行ける健康に感謝しながら、大切に暮らして行きたいと改めて思う。
ワカシ→イナダ→ワラサ→ブリ(鰤)と出世する縁起の良い魚のイナダを手にご機嫌だ!
● 2007年11月10日
昨日は宮下クリニックで採血があったが白血球も赤血球も血小板も増えてはいなかった。朝晩のハイドレアが効いているので良かった。
来週には東部病院でのリハビリ申込みに行けるよう、紹介状ももらった。 寒くなってきたが、体力増強のため闘う人になる。
● 2007年11月2日
徳田で呼吸器の診察受けて来たが、風邪が流行っている。
絶対に引いてはならないので気持ちを引き締める。
座っている時間が長いので、縟創に悩んでいる。
● 2007年11月3日
刈谷から母のベッドカバーと私の釣用防寒着と大量の米が届いた。
世間では風邪引きが多いが、我が家は食欲旺盛で米の消費量は多いが、病気が逃げて行く。
暖かくして、日差しも浴びて、元気に冬を乗り越えようと思う。
● 2007年11月12日
寒くなって来たので完全防寒で釣りに出掛けたが、イナダが釣れる釣り公園は月曜なのに超満員で割り込む隙もなかった。
止む無く、松井さんがいるうみかぜに行ったが、こちらもサバが釣れているので満員だった。
寒い平日なのに、仕事も勉強もしない人たちで混み合ってる、株価は大暴落して世界経済は混乱しているのに、何とも平和な場所があるものだ。年初にダウ2万円を予想してた人たちは影を消して、ダウ1万5千円を守れるかどうかを心配している。金と原油が高くなり、食品も値上げが続く。老舗の偽装や官僚の不正、政治家のドタバタ劇など・・
暢気に釣りなんかしていて良いのだろうか?
イイダコが釣れただけだった・・・今夜はイイダコで おでんにしよう!
● 2007年11月14日
リハビリ申込みのため東部病院へ行って来た。
医師が困ったような顔をしたので、無駄だと言われるのかと思い、意欲は十分にあるので・・・と先手を打った。
すると、今、小児麻痺後遺症が問題になっていて、リハビリが逆効果になることが判って来た と説明された。
運動して悪化するとは信じられない話なので、根性では負けないからと言ったが、それが困るのだ・・・と言う。
このまま衰弱するのを待っている訳には行かないのだと訴えて、一応検査リハビリを受け付けてもらえたが、帰り際に「一生懸命頑張ります」と礼を言ったつもりなのに、診察室を出る私の背中に向かって「頑張るのは止めてください」と声を掛けられてしまった。
何度も、苦しそうな顔をする先生に、申し訳ない気さへしてしまう。
● 2007年11月16日
徳田病院で血圧・呼吸器も異常ないので、先生が付き添いでインフルエンザの予防注射をしてくれた。アレルギー不安で今までしたことがなかったが、大丈夫だった。
公安委員会から免許更新の講習を受けるよう通知が来た。講習と実地テストを教習所で受けた後、更新手続きに行くことになる。
パソコンを教わりに来る人も居るので、年末になって気忙しい日が続きそうだ。
● 2007年11月22日
己代子、安子叔母を誘ってナビオスで食事会をした。
二人の喜ぶ顔を見て、母も喜んでくれると思った。
自分のことで精一杯の人が多いのに、行動できる自分に自信を持てるので、リハビリも上手く行くだろう。意欲こそ命の元だ!
● 2007年11月26日
珍しく温かい月曜なので うみかぜに行ったが松井さんも居ないしカレイ以外は釣れないらしい。年中イカ狙いの人が居たがイイダコだけだと言っていた。
● 2007年11月27日
東部病院のリハビリに行って来たが、40分では殆ど何も出来ない。
● 2007年11月29日
誤嚥と思っていたが、風邪を引いているらしい。
発熱がなくて咳と涙が出るだけだが、喉が痛くなってしまった。
明日は徳田病院の日なので診て貰えるが、珍しく食欲も落ちた。
免許更新のための講習は来年1月28日の予約しかなく、更新は2月になってしまう。かなり憂鬱だ。
自分のリハビリも思うようにして貰えないし、病院の検査で母を送迎するのも思うように行かない。
ストレスが招いた風邪だと思うので、柔な自分を見つけてしまった思いがする。
● 2007年11月30日
インフルエンザワクチンを接種して安心したわけではないが、久しぶりに風邪をひいてしまった。初めは咽喉の痒みが酷くて、二日目には咳が出て喉が痛くなり、今日は37度8分の熱が出ている。
副作用が怖いので薬は出して貰えず、ウガイ薬だけだ。
点滴をしたいと言ったが水分補給をすれば必要ないと言われた。
咳と鼻水と涙が酷く咽喉の痛みで気力も衰えているが、食欲はあるので大丈夫だ。
● 2007年12月4日
咳は残るが風邪は治っている。体力に不安はない。
● 2007年12月5日
朝九時から理学療法士の検査を受けた。綿密な筋肉検査などで一時間を取ってくれた。
その後、リハビリについての二回目の診察を受けたが、やはり運動は逆効果であって医師としての治療法はないとの結論だった。今まで頑張り過ぎて来られたから得心出来ないだろうが、頑張って良くなる病気とは違い、頑張ることが良くないのだと説明された。
午後から海へ行くつもりだったが中止して本牧へ映画てれすこを観に行った。
● 2007年12月11日
昨日はクインズスクウェアとベイクオーターを見て回り、本牧マイカルで椿三十郎を観て来た。
今日は朝九時から80分間のリハビリ説明と筋肉検査を受けて来た。
医師の説明と同様、理学療法士としては運転免許の返納も勧めたいと言われた。
信じ難いことだが、脊髄損傷と同じ状態であり神経が痛んでいるから筋肉も衰えると言うことらしい。
進行を止めることが出来ないとの説明には納得出来ないが、覚悟は決めて欲しいとのことだった。
● 2007年12月14日
宮下クリニックで採血、白血球は24500だが、他は特に問題なし。呼吸器にも異常はなく安定している。
リハビリについて神経内科の紹介状を書いてくれた。
● 2007年12月17日
久しぶりに浅草へ行って来た。リハビリの医師や療法士に運転は不安だと言われたので、海を離れて大都会の運転をしてみたかった。
車の運手には何の不安もなく、能力が落ちているとは思えなかった。
しかし、車椅子になってみて、浅草と言うところがバリアフリーでないことを思い知らされた。
76年の歴史だという浅草松屋は車椅子では行かない方が良いデパートだ。
浅草の繁華街は車椅子で食事するにも障害が多過ぎる。歩いている時には気がつかなかったことが沢山あることを発見してしまった。
浅草演芸ホールは入れたが、もちろんトイレなどは完備していない。
● 2007年12月18日
東部病院のリハビリを受けて来た。
背骨の湾曲で全身の筋肉に無理が掛かっていると言われたが、療法士には意欲が伝わったようで、良く面倒を見てくれている。
● 2007年12月25日
東部病院年内最終のリハビリを受けて、来年一月の予約をくれた。
自然と楽な姿勢をして、使わない筋肉が硬くなってしまうようだ。改めてリハビリの重要性を認識した。
● 2007年12月26日
東京日本橋の高島屋へ行って見た。
年末の大渋滞に巻き込まれたが、高島屋は空いていた。
途中、虎屋が正月の準備で凧を吊るす作業を見た。
様変わりした秋葉原へも行って見た。
皇居では記帳台が作られていて年賀の大混雑を想像させた。
帰路、日比谷公園の大電飾を見たが、多勢の見物人と地方からの車が混じって渋滞を起こしていた。
都内を巡ってみて、運転に支障は無いし自信を得て帰って来た。
● 2007年12月28日
徳田病院で呼吸器の検診を受けて異常が無かったので二子玉川の高島屋へ行って来た。
海への道路と違って久し振りに都心の運転をしてみて、反射神経は衰えてないと自信を得ている。
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