かなる冬雷

 

第二章  流転

 

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 その春のことだった。

 松井が高熱を出して入院をしたという修一郎の知らせを受けて、おりょうは見舞いにいった。なぜか松井は、学校とも下宿とも離れた、町の反対側にある小さな個人病院に入院していた。

 本人は、風邪をこじらせて肺炎を起こしたのだ、と言ったが、おりょうが医者に挨拶にいくと、医者は気の毒そうな顔をしながら、御主人は実は悪性の性病なのだが、奥さんは何ともないか、と言った。

 おりょうは愕然としたが、別に何ともないようです、と答えた。しかし医者は、言いにくそうに、では御主人はどこかでもらってきたのだろうが、念のために、奥さんは、婦人科で診てもらった方がよいと思います、と言った。

 さすがに病室で言い争うわけにもいかず、その日は、おりょうは何も言わずに病院を出て、その足で医大の婦人科へまわって、診察を受けた。そして幸い今のところ大丈夫そうではあるが、潜伏期というものがあるので、二週間ほどしてもう一度来るように、と言その二週間の間、おりょうの心は泥にまみれて死んだようになり、松井を見舞いにもいかなかった。おりょうが来ないとなると、松井は岐阜の妻に来てくれるようにと電報を打った。しかし、岐阜の妻もこなかった。

 

 二週間後、おりょうは再び医大に診察を受けにいき、大丈夫そうだ、と言われた。しかし、まだまだ油断はできない、なおしばらくは気を付けて接触を持たないようにし、身体に変調を感じた時はすぐに来るように、と医大の医者はあくまで慎重であった。

 その足でおりょうは、松井を訪うた。熱も引いて、松井は動きまわっており、おりょうを見ると、見舞いにも看病にも来なかったことを、不実だと言って責めたが、おりょうは黙って松井を人のいない廊下の端に連れていって、医者はたちの悪い性病だと言っているが、どういうことなのか、と問い詰めた。

 松井はうろたえたが、すぐに居直った。そうだとすれば、それは、あんたから感染(うつ)されたのだ、と言った。この居直りにおりょうは、あっけにとられ、それから激怒した。私はそんな病気をただの一度だってしたことがない、だからこそ、三人の子を無事に生み育ててきている、それに医大の方へも行って、今日も大丈夫だと言われてきたぱかりだ、私から感染(うつ)されたとは何ごとか、あんたがどこかで遊んで感染(うつ)されたに決まっている、と思わず声が大きくなった。

 松井は、慌てて、おりょうを物陰に引っ張っていき、実は最近、あるあいまい宿の前を通りかかったら、無理やりに引きこまれて、一度だけ過ちを犯した、と白状した。そして、まるでついでのように、金がなくて入院費が払えない、と言った。

 誰がそんな病気で入院した金なんか払ってやるものか、となおもおりょうが憤って言うと、松井は、それでは、おしむに、これこれの病気をあんたから感染(うつ)されたと手紙を書いて頼むしかない、と言った。 おりょうは、こんな脅迫めいた言辞に屈したり信じたりする親ではないと思ったが、本当に騒ぎたてられれば、そういう破廉恥な男との関係を続けてきている自分の醜悪さで、心のまっすぐな母親を悲しませ、汚すことになるのが耐えられなかった。

 松井は、勿論、そういうおりょうの心の弱みを承知して利用していた。この時、おりょうが、どうとでも好きにしたらいい、と逆に居直って見せたら、松井は立ち往生したことであろう。佐々木家に対して事を荒だてて、失うものの大きいのは自分の方だったのだから。

 しかし、おりょうは、屈辱に目を曇らせながら、その夜、おしむに松井の治療費のことを頼んだ。おしむは、初めから出してやるつもりでいた。だが、それを頼んだ時の、おりょうの暗い表情に、心を痛めた。

 退院すると、松井は、結局金を出してもらった手前もあり、もともとは自分の不始末から出た恥さらしのできごとではあったので、おりょうに対しても、殊勝な、悔いているような態度をとり、水原の家へは二、三ケ月は寄り付かなかった。おりょうが、母様は何も言わずに金を出してくれた、と言えば言うほどに、その何も言わない、というところに、おしむの鋭い直感に見ぬかれている自分があるようで、心理的に、近寄りがたくなっていた。

 

 しかし、その「反省」の数ケ月の問に、松井は、なおも破廉恥極まりないことを重ねてしていた。

 おしむが、半年前に買ってやった、上等なオーバーが行方不明になっていた、おりょうが、ふと気づいて尋ねると、松井はクリーニングに出してある、と言った。しかし、いっまでたっても、それは返ってこなかった。また尋ねられると、松井は、クリーニング屋がどこかにまぎれこませてしまって、今、探しているのだ、と言った。おりょうは、買ってくれた母、おしむの気持のためにどうしてもその在りかを確認したかった。おりょうは、松井がいつも利用するクリーニング屋へ行って、オーバーのことを聞いた。クリーニング屋は、怒った。うちは、オーバーなど預かったこともなければ、まして、無くしたことなどない、と。

 おりょうの追求に、松井は、しぶしぶ、実は金がなくてオーバーを売った、と言った。何に必要な金だったのか、と問うたが、松井は、あれこれと言い訳しながら、結局、その使い道をはっきりさせなかった。

 松井は、その金を、ある女性に、口封じ料として渡していたのだった。……松井と修一郎が下宿していた、その同じ家に、おりょうの後輩にあたる、女学校の高等科の生徒も下宿していた。松井は、その得意の弁舌と、英語を教えてやるという名目とで近づき、この女生徒とすぐに性的関係を持っていた。

 この女生徒は、まもなく体調不調となり、医者の診察で、悪性の性病と診断されていた。松井が生涯で初めての男性であった彼女の衝撃は大きく、どう生きていいのかもわからぬまま、もはや松井の近くにいることも嫌悪され、下宿の女主人に、すべてを語って、出ていった。松井は、この女性に渡す金を作るために、オーバーを売ったのだった。

 下宿屋の主人たちは、とうに松井という人間を見ぬいていて、その行動を苦々しく思っていた。修一郎をかわいがっていた女主人は、余計なことかもしれないが、と言いながら、修一郎に松井とこの女生徒との一件を話し、あんたも、お母さんも、あの先生には、あまり深入りしない方がいいよ、と忠告した。

 修一郎は、母、おりょうが、松井と深い関係になっていることは、とうの昔に察知していたので、母以外の女性、しかも、母の後輩にあたる女性とも関係を持っていた、ということには、不快な衝撃を受けた。

 しかし、この頃とみに悲しげな表情を浮かべている母の顔を見ると、それ以上、母を苦しめることになるこの話はどうしてもできなかった。修一郎は、自分の胸の中にしまいこんでしまった。

 修一郎がこの時、母にすべてを告げ、もう二人とも松井とは縁を切ろう、とはっきり言ったとしたら、おりょうは、間違いなく、そうしたであろう。そして、全く違った人生を歩んだことであろう。

 しかし、修一郎は、胸にしまって、何も言わなかった。ひとつの「思いやり」めいた沈黙が、おりょうの人生の分岐点において、おりょうの歩む方向に影響を与えた。いや、与えるべき影響を与えずに終わってしまったと言うべきかもしれない。それもこれも、結局は、定めの如きものであった。……

 

 修一郎は、自分が週末に家に帰ると、それを口実に松井も佐々木の家に入り込んでくることを考えていた。女学生との関係を、女主人に聞かされてからは、修一郎は、松井に対して心を閉ざし始めた。それが、いわば人質にとられた彼の、はかない抵抗だった。

 しかし、そんなことで困惑する松井ではなかった。もはや修一郎とは関係なく水原を訪れ、今度は、修二郎や、桂子をもからめとろうとして、菓子を買ってやったり、ノートや鉛筆や何やかやと買って与えていた。

 夏休みになっても、修一郎は、すぐには帰らなかった。帰っても、追うようにして来た松井とは、距離を置いて、極力離れていた。

 この夏、松井は、佐々木家の人々の忌避や嫌悪に全く気がつかぬふりして、自分の「計画」を貫徹するために逗留を続け、……そして、遂におりょうをみごもらせた。

 おしむも、さすがにもはや隠し切れないこのことを、直蔵に告げざるをえなかった。

 

 ようやくに夏休みが終わって松井の姿が消えた日、直蔵は、おりょうを呼び、悲しそうな目をしながら言った、

 ……おりょう。よく聞くのだぞ。……私らは、お前がこれからも縁があれば、どこのどなたと再婚しても、そして嫁いでこの家から出ていきたければ、出ていってもかまわない、喜んで祝ってやりたいと思っている。
 お前の、淋しかったであろう歳月を思えば、すべての事情を承知した上で、それでもお前に添うてくれるという方が現れてくれることを祈ってもいる。……しかし、おりょう、頼む、あの、松井という男だけは、だめだ。……
誤解するでないぞ、私は、人づてに、あの男が岐阜に妻子を持つ男だということは聞いて知っていた、しかし、だからだめだと言っているのではないのだぞ。どんなに、世間さまにうしろ指をさされようとも、たったひとりの娘のお前が、真底(しんそこ)、自分から惚れた男であるのなら、たとえ日蔭者(ひかげもの)としてであろうとも、添い遂げさせてやりたいし、盾にもなってやりたい。しかし、あの男は、だめだ、やめてくれ。……
今回、私は、初めて正面からあの男と向き合って、岐阜の妻子をどう考えているのかと聞いた。あの男は、勿論別れるつもりだし、向こうへもその話はしている、ただ、女の意地で、うんと言わない、と言った。子供のことはどう思っているのか、と聞いた。すると、生まれてまもなくに置いて出たので、自分の子という実感がない、だいたいが、嫁そのものが親が勝手に決めた女だし、妻にも子にも何の未練もない、とこう言った。……
あの男としては、そう言い切ってみせることが、私らの意に適(かな)うことだとでも思ったのだろう。……しかし、おりょう、私らは、そんな心を善しとして生きできただろうか。たとえどんな縁によって一緒になったにせよ、最終的には自分の覚悟によって迎えた妻を、愛おしむ気持もなく、自分の行為によってこの世に生をなした子が、どう生きているかと思いを馳(は)せ、今、自分の欲業によってその妻子に悲しみを与えていることに、もだえ、苦しむこともない人間を、どうして信じられようか。……
 私は、お前をいつまで日蔭者にしておく気か、というようなつもりで問うたのではない。どこまでも、あの松井史郎という男の心のありようを見定めたくて問うたのだ。私ら、この佐々木の家の者たちが、大切と思う心のあり方、自明に思う徳義というものが、あの男には根本から欠けている。あの男は、人間の姿、形はしていても、人間らしい心を持っていない。あれは、今、私ら一家の前に立ち現れた、暗い、魔性の存在だ。あの男は、お前を食い滅ぼすことはあっても、決してお前を幸せにはしない。……
 いや、世間一般の意味での幸せ、不幸せという形のことを言っているのではない。どんなに貧しくても、苦労が多くても、心ひとつに生き、自ら真実と思える道、人さまには言ってまわれなくとも、自らの心の中で、これでいいのだ、と小さく喜び、小さく誇れる生き方、それができないだろうと言っているのだ。……私は一度、自分の判断をお前に押しつけて、そして結局、お前にあんなむごい、悲しい目を見させた。今、もう一度この私の目から見て、あの男はだめだと言っても、説得力はないかもしれない。……しかし、おりょう、本当に、お前自身の胸に問うてみよ。男と女、家長と娘、性の違いや立場の違いはあっても、私らはみんな、同じものを大切に思う心を持って生きてきたはずだ。その心において問うてみよ。誰よりも、お前自身が、あの男の本体を一番知っているはずだ……

 おりょうは更に、この一年、お前は本当に幸せだったと、自分自身に言えるか、と言われて、何も答えられなかった。ただひたすらに、涙が流れ、膝に落ちた。

 

 その数日後、新学期が始まったばかりの昼間だというのに、松井史郎が突然訪れた。

 その日、校長室に呼ばれた松井は、岐阜の奥さんから手紙が来て君の行状を知った、教師にあるまじきふるまいだ、今日限り、出校には及ばない、と免職になったのだった。

 松井は、くどくどと言い訳しながら、こちらとのことが無ければ、とまるで、おりょうと佐々木家によって自分の立場が無くなった、とでも言わんばかりの言い方をした。直蔵は、遂に激怒(げきど)した。おりょうは、呼びつけられ、直蔵に迫られた。

「今一度だけ聞く、この場で、この男と別れるならよし、別れぬとならば、本日ただ今限り、この場で、お前を勘当する。答えよ」
と。……おりょうには、答えられなかった。

 別れられぬ訳でもあると言うのか、と叫んだ直蔵に、おりょうは、うなだれたまま、小さくうなずいた。直蔵は、苦悶するようにうめき、そして、持っていたキセルを、おりょうの下腹めがけて投げつけ、ここが、ここがか、と泣くように言い、出ていけ、と叫んだ。

 

 おりようは、着のみ着のままで、その場から、佐々木の家を追われた。

 おしむが、近くの善照寺(ぜんしょうじ)という寺の山門まで送り、
「いいな、短気を起こすでないぞ。要るものは、あとでみんな新松に届けさせるから、まっすぐに、下(しも)の家に行くんだぞ。父様(ととさま)には、また私からも、よう詫びてやるからな。父様は、お前が憎くて怒っていなさるんではない。可愛いからこそ怒って悲しんでいなさるんだ。わかっているな。短気だけは起こすなよ」
と泣き泣き、繰り返し言った。 

 善照寺の前が、修二郎と桂子の行っている小学校だった。休み時間で、小さな運動場の中を、子供たちが走りまわっていた。おりょうは、その中に、我が子の姿を探し求めて立ち尽くしていたが、遂に見いだすことができぬまま、子供らに会うていったい何と言う気かと、おしむに叱られて、仕方なく寺の山門に入った。 

 人目を避けて、寺の墓地を裏へ抜けると、穂をつけた稲が波打っていた。峠道を、重い足取りでおりょうは、母のおしむの実家の、柄沢家へ向かって歩いた。

 松井は、後ろからついてきながら、しきりに、おりょうに対してくどいていた。おりょうのやり方が下手だから、こういうことになってしまった、おかげで自分は何もかも失った、と。

 おりょうは立ち止まり、まだ濡れている目で松井を見すえた。何もかも失った、とは何のことか、あんたは、初めから何もなかった人ではないか、岐阜に帰ろうと思うのであれば帰ってよいのだ、それともこの際、はっきり聞くが、あんたの欲しかったのは、私ではなく、佐々木の財産だったのか、と。

 松井は、ふてくされたように答えた。跡取りと一緒になれば、跡を継ぐのは当然だ、と。

 おりょうには、もうとうにわかっていた松井の心ではあったが、こうも露骨に言われると、重ねて傷ついた。

 佐々木の家には、修一郎という立派な跡取りがいる、あんたには指一本ふれさせない。すべてを失ったのは私の方だ、そして、すべてを失ったこの日から、あんたの言ってきた愛情の本質が、はっきりと見えてくることになるのだ、とおりょうは、きっぱりと言って、なおもくどくどと責め立てる松井の方へはもう振り向かずに、田の道を歩いていった。 

 この時、どこから湧いたのか、突然に、空一杯に無数の赤とんぼが舞い始め、おりょうを包み込み、運ぶように、西の空へと飛んだ。おりょうの、ほつれた髪や肩に、とまるものもあった。

 日はすでに傾きかけ、西の海の方角の空は早くも赤味を帯び、鰯雲(いわしぐも)が、おりょうの重い足取りとともに揺れながら流れていた。 

 私たちの母、おりょうが、不可知(ふかち)の力につき動かされて選んだ、果てしない「道行(みちゆき)」――心ひとつならざる者とたどらざるをえなかった「道行」の、これが始まりであった。

 

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