● 平成23年1月1日
明けましておめでとうございます。
今年こそ体力増強に努めなければならない。
横浜霊園に墓参してから、己代子叔母を見舞ったが元気に赤ワインを飲んで酔っていた。 曙町にも寄って年始挨拶をしてから中華街の一楽で食事をして、首都高を通って羽田空港へ行って来た。 駐車場へ入るまでの渋滞行列はあったが入ってみると思っていたほどの混雑はなかった。 思わぬ範囲の行動が出来て楽しい正月だった。
● 平成23年1月2日
朝九時に出て横須賀の戦艦三笠を見に行った。 始めて免許を取った時に行ったことはあるのだが今回は館内には入れなかったし、外観を見ても思い出せる部分は少なかった。50年の時間は殆ど記憶を薄れさせてしまうものだ。 三笠の写真をたくさん撮ってから、うみかぜ公園を視察したら
テントを張って沢山の竿を並べてカレイを狙う釣り人で賑わっていた。 運動のために端から端まで往復してみたが釣れてる人は居なかった。 観音崎方面までドライブして帰って来た。
夜は弟たちと姪甥が子連れで来たので17人の賑やかな新年会となった。 今年はおでんを止めて優子の創作料理で喜ばれた。 ● 平成23年1月3日
妹たちは11時ごろ刈谷へ向けて出発したが鞄を忘れて途中から引き返してきた。下り線の東名も渋滞が予想されるから早目に出たのに、大分時間をロスしてしまった。長距離の運転で渋滞は辛いが無事に早く帰れると良いのだが・・・
・・・七時過ぎに到着したと電話があった。思ったより早く着けて良かった。
今年も平和で健康な正月を過ごせた。一年でも多くの年を重ねて行きたい。 ● 平成23年1月5日
昨日は思ったより疲れていて年を感じてしまった。食い過ぎに気を付けていたので体調は良い。車の乗降が大変になったり運転が出来なくなったら困るから、無駄でも良いから外出する努力をして頑張ろうと思っている。
● 平成23年1月7日
今年の初運転だが全く不安はなかった。車椅子トイレ以外が使えなくなったので行動範囲が狭くなり夏は釣り、冬は映画観賞のパターンになりそうだ。武士の家計簿を観て来たが、もっと運動になる場所へ行かないと駄目だ。免許更新の時の為
ららの眼鏡屋で視力検査をして両目の視力が0.7ギリギリなので乱視矯正のメガネを注文してきた。 ● 平成23年1月13日
やっと棚卸計算をする気になった。追い詰められないと出来ない性格なのだが今年は特に遅くなってる。申告書の用紙も送られてこないし世の中は電子化の時代に入った。
● 平成23年1月14日
川崎鈴木町のヤマダ電機二階にブックオフが出来たので行ってみた。大正家具のあった場所だが広い店内に膨大な中古品が陳列してあった。何でも買取ると言っていたが本当に、何でも置いてあった。持ち込まれた品はその場で査定して現金化されるので繁盛するのだろう。3.6メートルの釣竿が1600円だったので買ってきた。驚いたのはギターが調音して並べられていて特別に安かったことだ。楽器店ではありえない陳列だから買うならブックオフだと思った。
ららへ行ってアンストッパブルを観てきたが、CGだと気がつかずに緊張して観てしまった。文房具屋を始めてから半世紀、世の中は劇的に変化してしまった。生き残るのは大変だ。
● 平成23年1月17日
寒い日が続いていて、朝の血圧測定で範代が測定不能になったので慌てて徳田病院へ診察を受けに行った。結果は血圧計の故障でエラーになっていたのだが、念のために降圧剤デイオバンを処方されたが、大事では無いとのこと。
病院でみかど屋の奥さんに会ったら低血圧で腰が抜けた状態になっていた。糖尿の他に心臓も良くないと言うから大変だ。血圧は高過ぎても低過ぎても自覚が無いので怖い。 暖かくなるまでは、用心に用心を重ねて暮らさなければいけない。
● 平成23年1月20日
川崎のヨドバシカメラへ行って血圧計と石油ストーブを買ってきた。娘がくれたエコポイントとヨドバシのポイントで買えた。 壊れたビデオレコーダーも修理に出してきたが三週間くらい掛かるらしい。車が運転出来るからこそ行動出来るのであって免許が無いと重い荷物を修理に出すことも大変になる。何時までも免許を失くさないように気を付けて運転し、体のケアも怠らないようにする。
● 平成23年1月21日
今日もららぽーとへ出掛けて映画を観た。ソーシャルネットワークと言うものは日本でも普及しているが、MIXIが上場してるだけで日本人同士で意味の薄いことをしてると思った。地球上の人口が67億人いてフェイスブックが5億人を集めていると言う。テキサスのポールたちとやり取りしているが、名前も住所地も明らかにしての交流だから落書きなどは少ない。見聞を広めるためにもLang-8とfacebookには注目して行きたい。
頼んでおいた遠近両用めがねが出来上がったので受け取って来た。勅使河原さんが調整してくれたので写真を撮って来た。ビジョンメガネは親しめる眼鏡屋だ。
店に来る悪ガキの女の子の一人が母親に連れられて謝りに来た。苛められるのが怖くて悪の言いなりで悪態をついたりしたと言う。謝罪に来た母親は偉いと思うが、告げ口をした先生は知らん顔だから悲しい。
● 平成23年1月23日
76歳の朝を迎えた。想像出来なかったし、あり得ないと思って生きてきたが、来てみると何も変わりはない。体力の衰えは運動不足と努力不足が原因だとわかっている。国中が高齢者問題を騒ぎ立てるから肩身の狭い思いはするが、歳を取って悪いか!と言う思いだ! 嬉しくもあり嬉しくもなしの誕生日だがアリセプトを飲んでアルツから立ち直った酉年の叔母から丁寧な絵手紙が届いた。親類に年長者が元気でいる限りは弱音を吐かない。今年は全く雨が降らず乾燥して寒い冬なので風邪が怖いし、肺炎は怖い。改めて用心しながら頑張ろうと決意する。 真理子から電話があり夕食後に優子の料理で誕生日を祝った。
● 平成23年1月28日
便所の排水が流れず、下水が詰まっているかもしれない。業者を頼まなければならないが出費は嵩むばかりで嫌になる。
映画AKB48を観てきたが時代の波に乗れず居眠りしてしまった。銀行を回って、野菜を買って、快適に運転したが、帰りにエンジンが息を吐いた。
寒いので、ライトを付け、エアコンをフル回転したのでバッテリーが弱ったような気がする。信号待ちで停車してるときに一瞬止まったような息継ぎだったので、エンジンを吹かすような運転で真っすぐに帰宅した。丁度、六カ月点検の時期なので良かった。
● 平成23年1月30日
トイレの水が流れずに困ったので、飛高君に相談したら下水管の詰まりが見つかり、高圧洗浄機で清掃してみたらマンホールの底に深さ1メートルにもなる穴が開いていた。思っていたより大事だったのでガッカリした。ネッツから電話があり、ドアロックの解錠が上手く行かないのはモーターの故障だと言われた。次から次へと不具合が見つかるが、身体の方は自覚症状が無い。
明日は徳田へ行ってから、宮下クリニックへ行き、ネッツへ行く予定で忙しい日になる。
● 平成23年1月31日
呼吸器科は異常なく、血液科では白血球と赤血球が増えていたが次回に薬を増やすことになった。車はエンジンに異常は無く、左ドアのロックが外れにくいのは機械的な不具合だが手動では動くから車検まで様子を見ることにした。
10時に出かけて、終わって帰ってきたら4時半だった。疲れた。 ● 平成23年2月1日
ヨドバシからレコーダーが帰ってきたと連絡があったが、明日は水道屋がマンホールの修理に来るので取りに行けない。余計な仕事が起こって棚卸しの計算は終わったが決算書はまだ出来ない。身の回りも整理出来ていないし作業場も何とかしなければならないのだが・・・・
● 平成23年2月2日
マンホールの底に開いた穴には20`入りの砂利12袋が入ってしまった。相当の土砂が流れて空洞になっていたわけで地盤は悪くなっている。セメントで固めて修理は終わったが、道路の本管への配管は古いものなので鶴見土木が交換に来ることになった。思っていたより大掛かりな工事で気が重くなっている。工事の間はトイレを使えないので尻手の島忠へ行って時間を潰してきた。
● 平成23年2月4日
三月下旬の気温になったが北東の風が吹く海へは行かず映画を観てきた。カーク・ダグラスの大ファンだったから息子のマイケル・ダグラスの渋さが良かった。ウオール街のある場所が、日本では見られない規模だったので驚いた。アメリカの大きさに圧倒されて一生懸命に見てしまった。大事な話が満載の映画なのに、観客はそれほど多くなかったのは残念だった。
● 平成23年2月5日
一日中何も出来ないで終わってしまったが、夕飯後に優子から珍しいシュークリームがプレゼントされた。
● 平成23年2月9日
昨日はコクヨのシャープセットを仕入れたので組み立て陳列をして値札も付けた。ららぽーとの東急ハンズではまだ売っていない商品だ。
昼前まで雨が降っていたが、上がったので出掛けて来た。先週とは違い冷たい風が吹いて寒かった。ららへ行って欲しかったバッグを探したが買えなかった。映画はザ・タウンだったがアメリカの大きさを改めて痛感している。 ● 平成23年2月11日
末吉も牡丹雪が降る寒さだが、優子は朝6時に京都へ向かった。ニュースで雪の金閣寺を放送してた。天皇陛下が心虚血で造影剤検査をした。慎太郎の元気さに比べれば弱り方が早いが、年号が変わると心細くなるので元気でいてほしい。 ● 平成23年2月12日
昼前は晴れたが夕方から冷たい雨だ。優子は京都、範代は熱海へ行っている。留守番中に決算書を完成させる予定だったが、やっぱり気が乗らなかった。やらなければならないことが山積しているのに駄目だ。 ● 平成23年2月14日
徳田の診察では異常が無かったが、消化器の衰弱があるように思う。毎年、心臓不安が起きるが今年は大丈夫のようだ。つくの商店街を一回りしただけだが、運動は絶対的に不足している。 ● 平成23年2月21日
不用品をブックオフへ売りながら、鈴木町のヤマダ電機で携帯を買うつもりで行って来た。時間がかかったので腹が減ってヨーカ堂でカレーを食ったら、売却代金1550円が消えた。
今日は下水管掘り起こしのために溝を切りに来たが、本工事は25日金曜日に決まった。朝9時から午後5時までの予定なので、その間トイレを使えないから何処かへ行ってなければならない。 ● 平成23年2月25日
店の入り口にある下水管が老朽化のため鶴見土木から交換工事に来た。ガードマン二人、作業員が三人で重機を持ってきて朝9時から5時までの大作業になった。トイレを使えないので遊びに出かけ、GANTZを観てきた。
範代に携帯を買って来た。帰りにハザードを付けたまま右ウインカーを付けたら、ウインカーが消えなくなった。一度エンジンを切ってから試したら異常は無かった。いろいろなことが起きて気ぜわしい一日だった。 ● 平成23年2月27日
決算書をパソコン上で作成済みだが清書はまだやらない。書き写すだけの作業なのに気が乗らないと言い聞かせて実行しないだけだ。本当はもっと動いて、やる気を起こさなければならないのに・・・ ● 平成23年3月2日
電話の子機が壊れたので修理に出したら1万5千円も掛かると言われた。新品でもFAX、子機がついて1万円で買えるのに、エコを叫ぶメーカーの嘘に呆れてしまう。壊れやすいものを作って修理に法外な値段を付けて新品を売ろうと言う魂胆でエコなんて大ウソだ。今年はビデオレコーダーも壊れたが修理代が3万5千円・・新品が4万円で買えるから修理を諦めた。壊れものばかりで嫌になる。
今日は英国王のスピーチと言う映画を観てきたが、チャーチル役が似てないので不満だった。超高齢者になってるエリザベス女王が少女の時代の話だった。 ● 平成23年3月3日
鶴見土木から店前の工事は仮舗装だったそうで、本舗装をするという知らせがあった。何故?仮舗装だったのか? 埋めたり掘ったり・・・意味が分からない。
明るい話は「女の子だからピンクが良いのに黒を着ろってとママが言う」と泣いて吃音りながら電話してきた奈々美が受験校すべてに合格したことだ。 ● 平成23年3月7日
雪が降って寒い日になったので徳田へ行けないから薬だけ貰って来た。1600円だった灯油が1800円になったし、前原外務大臣が外国人から献金を受けて辞任したから総理の座にしがみついて離れない菅内閣もお先真っ暗だ。政治家はどうでもよいが、暮らしの先行きが暗くてやりきれない。 ● 平成23年3月8日
朝九時に家を出て、鈴木の絵を見に横浜市民ギャラリーに行って、同窓生と会って来た。会場で散々騒いでしまったが満足せず、近くのジョナサンで昼食をしながら二時半まで話が弾んで楽しんできたが、肝心の鈴木は会場の受付だから仲間外れだった。帰りに宮下クリニックで採血をしたら白血球も赤血球も血小板も増えていた。
● 平成23年3月10日
昨日はきままさんが来ていたが地震があった。怖がってるようだが木造は揺れるけど倒れないからと言ってやったが、確定申告書を完成しなければと決意した。そして今日は確定申告書が完成した。やる気になれば簡単なのに、その気になれない病気なのかもしれない。部屋で転んで療養中だった76歳の坂上二郎が脳梗塞で死んだ。室内で転んでという高齢者が多い。怪我が原因でと言うのは良くない。寿命を全うするのは大変だが、用心して生きよう!
● 平成23年3月11日
ようやく確定申告を済ませてから、ららぽーとへ行ったがアジフライを食い終わって、のり巻を半分食ったところで地震に遭った。建物が大きく揺れて客たちが逃げ惑う中で店員がカゴを渡してくれたので被っていた。観測史上初のマグニチュード8.8だが20キロの浅いところで起きたので全国的に揺れが続いた。
2時46分の本震の後も大きな余震が起きて、機械的に「潰れない」と叫ぶ放送の中、社員が外の広場へ移動するように誘導した。不気味にサイレンを鳴らし情報が全くない場所で、道路の渋滞を心配しながら、鶴見は停電で真っ暗だし道路は信号が点かないからと言うのでイライラする時間を過ごしていた。
横の道路を見ると車が流れているので、駐車場を出てみたら帰りの道は交通整理の警官が一人で手信号をやっていた。慣れないことだから手際も悪くて交差点内に車が溢れていた。それでも、トレッサ付近までは走れたが、鶴見に近づくと殆ど動かない状態になってしまった。鶴見川は1.5メートルほど水位が下がって津波の心配があり、国道はマヒ状態との情報を聞いて、二国に出たらダメだと思った。
考えてみれば平日の退社時間まで駐車場で待っていたのが間違いだった。
8時過ぎに駐車場に着いたが電気が消えて真っ暗な中を範代がウロウロと出てきた。全ての電車が止まっているから優子も帰ってこないし部屋に居られなかったらしい。店には被害も無くて二階の焼き物が倒れた程度だったが余震が続いて四時間かけて歩いて帰って来た優子が死ぬ時は一緒に死のうと言うので、久し振りの川の字で寝た。 ● 平成23年3月12日
一晩中余震が続いて怖い思いをしたが宮城から始まって新潟、長野、福島、茨城と近づいてくるので油断はできない。都内でも倒壊家屋が出ているし、真理子の家も壁にひびが入ったらしい。土日なので優子が二階を片づけたりしてくれるし運が良かった。鶴見川も大丈夫だったし津波の被害をテレビで見ていて、横浜は良い場所で良かったと思っていたが夕方になって東京湾で地震が起き始めた。
大災害で日本経済は大打撃を受けるが菅総理が英断で経済復興の大チャンスに変えられれば不幸中の幸いになるのだが・・・ ●平成23年3月13日
余震が続くから昨日も川の字で寝た。東京で死者が出たり、東京タワーが曲がったり信じられない事態になっている。M8.8だって恐怖だったのに気象庁がM9.0だったと修正した。原発事故で電力不足となり明日から停電もあるらしいから、範代が食料を買い出しに行ったが既に手遅れで必要量を買えずに帰って来た。ガソリンスタンドには給油待ちの車が繋がっていたと言うし食料が無くなったら敗戦後と同じだ。楽をすることに慣れ切った生活を切り詰めることはできないだろう。
● 平成23年3月14日
地震は収まった感じだが計画停電と言う名の無謀なことが行われる。優子は出勤して行ったが南武線は走って居ない。タクシー乗り場は長い行列だ。四時間かけて帰ってきた会社へ歩いて行ったのでは仕事にならないだろう。鉄道も病院も無差別に停電させることで被害が広がることはあっても復興はできない。
ここでも優先順位を判断出来ない政府が国の将来を暗くしている。車のガソリンも入れておかなかったから無駄に走れないし買い物にも行けない。
愛媛の友達から見舞いの電話があって「必要なものは無いか?」と聞かれたので、米を欲しいと答えたら配送地域に制限があるようだけど交渉してくれるとのことだが、ガソリンはどうにもならない。オイルショックの時と同じで買い占めが行われて米が無くなるとは思っても居なかった。電池は無いけれど太いローソクは店で売ってしまった。優子は地下鉄で早退してきた。 ● 平成23年3月16日
米不足は深刻だ。愛媛からも来ないし、由比に頼んだが手遅れだったかもしれない。更に由比でも震度6強の地震が起きた。東京横浜へ送るために全国で買い占めが起きているらしい。ガソリンは買えないし、停電があるから冷凍食品は買っておけない。原子力発電所の事故が解決されない限り、静岡まで地震が広がっている状態では買い占めが続いてパニックは避けられない。備蓄のガソリンや古米を早く放出して不安を解消する政府の判断が必要だ。 ● 平成23年3月17日
余震は収まらず毎日続いて震源地も近くなってる気がするので心配でならない。原発事故処理の対応が悪くて不安が募り、日本の評価が下がってしまう。戦後初の一ドル七十六円の円高で輸出は出来なくなり株価も下がって経済は破綻してしまう。政府が大変なことになると叫んでばかりで明確な対策を説明しないからパニックが続いてしまう。 ● 平成23年3月18日
停電はなかったが毎日余震で落ち着けず自宅で避難所のような暮らしが続く。隆司が牛丼持って見舞いに来たり、大工さんがパンを持って見舞いに来たりして気は紛れるが、テレビを見てると政府が本気でやろうとしてると思えない。原子炉事故を心配した米国が11日の時点で救援隊を申し入れたら菅総理が即座に断ったと言う。自力で出来ると信じているのか?
既に一週間が過ぎても更に事態は悪くなっている。我慢と協力をお願いすると言うコメントばかり出す政府は信用できない。
有難いことに遠方から沢山の米と おかずが届いた。これで当分の間は食料の心配はなくなった。贅沢は言えないが電話線が不安定なのか時々ネットも電話も通じなくなる。弟妹知人に助けられて頑張っているが早く余震が収まって欲しい。 ● 平成23年3月19日
精一が見舞いに来て、隆司が彼岸で牡丹餅を持って来て仏壇に上げた。大きな余震が続いていて落ち着かないが母が居なくてよかった。関東大震災のトラウマで小さな地震でも怖がった母が生きていたら心臓麻痺で死んでしまっただろう。原発事故が酷くなるばかりで解決出来ないで、厚生大臣が牛乳やホウレンソウに基準値以上の放射能が含まれているから飲食しないようにと指導しながら官房長官は直ぐに人体に影響はないと説明している。 ● 平成23年3月21日
冷たい雨が降り軽い余震が続いている。地震より津波より原発事故の被害が恐怖になっている。牛乳や野菜を出荷禁止にしながら、直接健康に害はないと言う政府の見解は何だ?原子炉を保持する能力はないと思う。現今のマスコミ報道に異議あり!御用新聞ではいけないと叫んで新聞部の独立を目指した青春時代を思い出し、名塚君に電話してみたが思ったより元気だった。 ● 平成23年3月22日
昨夜は飛高君がガソリンを入れに行ってくれたので軽い余震が続くほかは不安が無くなった。原発事故の解決が進まず野菜にも不安が拡大している。計画停電も区域を変更すると発表するので再び生活が不安定になりそうだ。 ● 平成23年3月23日
朝早くから余震が続いたので早起きしてしまった。政府が放射性物質の拡散を報じて野菜を食べないようにと発表した。海水も汚染されて魚にも影響が出るかもしれない。久保山愛吉さんが亡くなったビキニ環礁のマグロ事件を覚えている人も少なくなっている。死者が出ないと原発反対の声も大きくならないが日本人よ目を覚ませと思う。 ● 平成23年3月24日
遠くの地震でもM5だと我が家はギシギシ音をたてる。震度3が何度も起きるから不安は続く。地震も津波も過去のことになり放射能の危険が迫って来た。
昔、父が原爆マグロでも良いから食うと言った時、野蛮な父だとバカにしたが、その父よりも高齢になっているのに放射能が怖い。大丈夫
大丈夫と言いながら日ごとに状況が悪くなって行くので政府も東電も信用出来ない。月末の支払で銀行に用があり久しぶりに出掛けるのが不安だ。
道路が空いていて無事に運転出来た。小安商店へ行きBB弾やAKBの下敷きなどを仕入れてきた。 ● 平成23年3月26日
夜、真理子が奈々美と大貴を連れて遊びに来た。自分が年を取ったことを忘れているが奈々美が大学生なのだから驚きだ。月日は本当にどんどん流れて行く。筋肉が落ちて体力を失っていく身体を何とかしないと大変なことになる。 ● 平成23年3月28日
徳田へ行ったら何故か混んでいた。道路が渋滞して駐車場所も一杯で宮下クリニックも補助椅子まで満席だった。薬局でも大分待たされ家に帰ってきたら二時になってしまった。血液の採血結果は良かったので今まで通りの薬だった。 ● 平成23年3月30日
運転能力維持のためドライブに行って来た。久し振りに納豆が入手出来て、トレペなどを買ってきた。快調に運転しているが能力が落ちるのが怖い。用が無くても出掛けて行きたい。 ● 平成23年3月31日
今年も三カ月が過ぎる。気持ちは焦れど実際には運動不足で筋肉は衰え皮膚も弛んできた。心を入れ替えて明日から三ツ池を散歩してみようと決意した。
続けなければ寝たきりになるのだと追詰められた気持ちになっている。 ● 平成23年4月1日
花見客で混雑してるかも知れないと心配だったが、桜はまだだった。駐車場は満車だったから土日は駄目だろう。来週は交通渋滞も起きて散歩にも行かれないと思う。折角決意したのに中断だ。 ● 平成23年4月4日
気になっていた散瞳検査のため佐々木病院眼科の伊藤先生の診察を受けた。飛蚊症は悪質ではなく、白内障も中程度で年齢相応だから問題ないとのことだ。気を良くして運動のために
つくの商店街を一回りして帰ってきた。汗を掻くほどの運動にはならず続ければ良いのかもしれないが・・・ ●
平成23年4月5日
自覚はなかったが昨日の運動が過剰だったのか、朝起きて身体を捻った途端に右脇腹に激痛が起きた。息を吸うと痛いほどで湿布を貼って寝ていたが油断は禁物だ。夜にはずいぶん楽になったが筋肉痛になるとは思わなかった。情けない話だが、静養するしかない。 ●
平成23年4月6日
震災地へ文房具を送ることになった客が、おぎもに注文してくれた。空室に被災児を引き受けたい気持ちもあったので、趣旨に賛同して代金から七万円ほどを値引きして協力した。他人を救けられる身分じゃないけれど、安い店がいくらでもあるのに
おぎも を選んでくれた客への感謝を忘れない。 ●
平成23年4月7日
痛みは随分軽くなって日常生活に不便はなくなった。気持ちは元気でも身体は鈍ってしまった。これからは用心しながら少しずつ鍛えたい。
●
平成23年4月8日
強風だったが花見が出来るかとドライブに出掛けた。途中スーパーで水や食材を仕込んできたが、筋肉痛は治まって普通に動けるようになっている。
宝泉寺から甘茶をいただいて飲んだから更に元気になってます。長い間毎年忘れずに声をかけてくれる辻さんにも感謝です。 ●
平成23年4月10日
選挙には行かずテレビを見ながら不満ばかり言ってる。精一がポカリを持って遊びに来た。明日は運動しようかどうか迷っている。 ●
平成23年4月11日
筋肉痛を恐れず徳田病院往復を車椅子で決行した。途中で市議に合ったので声を掛けて、いろいろと注文をつけてみた。夕方からは早稲田の学生と楽しい話に盛り上がり幸せな一日だった。
●
平成23年4月13日
大きな余震が続いているので落ち着けない。テレビでは見られなかった横浜ダイエー前の大きな地割れも放送するようになった。桜田門が壊れ、上野の聚楽も壊れたという。皇居に被害があったとは知らなかったので我が家に被害のなかったことを奇跡だと思う。 ●
平成23年4月15日
暖かくて釣り日和だが風が強いし道具を整理してないからドライブしながら駐車場で荷物を整頓した。早く大黒の修理が終わって釣りが出来るようになって欲しい。来週は思い切って本牧に行ってみたい。 ● 平成23年4月17日
大黒釣り公園の被害状況が発表された。土台は大丈夫のようだが鉄骨の桟橋は大きく破損されている。修理には相当な時間が必要だろうし、当分は駄目だと思う。何故本牧の桟橋は壊れなかったのだろうか?
● 平成23年4月18日
膝と腹に酷い痒みがあってリンデロンもラミシールも効果ないので佐々木病院の皮膚科へ行って来た。萩谷医師の診断では真菌性ではなく老人性掻痒症らしい。膝の網目は低温火傷で一生消えないが障害はないと言われた。ヒルドイドとアンテベートの混合剤を処方された。
● 平成23年4月20日
出掛けるのが億劫だが、千円床屋でさっぱりしてから、久し振りに食料の買い出しだ。真面目に運動すれば筋肉を落とさないで済むのに落ちてしまってからでは間に合わない。完全に手遅れなのだが諦めないぞ!
● 平成23年4月22日
本牧で釣りの予定だったが風が冷たいから止めて溝口方面をドライブしてきた。車の調子が身について気持ちよく運転できている。腕の筋肉は鍛えなければならないと思っている。
● 平成23年4月25日
徳田で呼吸器の検査を受けた後、議員さんのところへ寄ってから、宮下クリニックで採血して帰って来た。真面目に話を聞いてくれる若い議員に巡り合えて良かった。無気力に流されるだけの議員にはならないでいてほしいと思う。
● 平成23年4月27日
初釣りは風速15メートルの本牧へ行った。イシモチとキスが狙いだったが豆カサゴ1とタナゴ1と渡り蟹1だけだった。気温24度で暑かったが風が強かったので気持ち良かった。
● 平成23年5月1日
予定より早く妹たちが到着したので川崎の古民家園を見に行ったが途中雨に降られたし、園内はバリヤフリーでなかったので無駄足になってしまった。
● 平成23年5月2日
横浜霊園へ墓参りに行って正月に壊れた花立てを注文してきた。プラスチック製のものは製造中止で高価なステンレス製しかなかったが、山さんから寄贈してもらった。マリンタワーには登れず山下公園を散策してから中華街で食事をして帰って来た。 ● 平成23年5月3日
東京タワーは駐車場難だったので諦め、皇居二重橋を目指したが駐車場が遠くて不便な場所だった。松の廊下跡や大奥の跡などを回って皇居の広さに驚いた。機動隊が大出動していて道路は物凄い渋滞だったが、江戸博物館で閉館近くまで見学して帰って来た。 ● 平成23年5月4日
隆司を誘って大黒釣り公園へ行ったが行列が出来て入場を待つ人たちで賑やかだった。入場券を払って桟橋まで見に行ったら、ケーソンが移動したり沈んだりして地震の凄さを想像させた。手すりなどが壊れたのでなく巨大なケーソンが移動したり、沈んだりしていて自然の猛威を物語っていた。亡母が散歩した横溝屋敷を見物してからトレッサの和幸で食事をして、隆司を送り届けて下末吉に戻り、妹たちは午後2時ごろ刈谷へ向かって出発した。三泊四日の忙しいスケジュールだったが大きな余震が無かったから良かった。横浜へ来る時は4時間だったのに、帰りは刈谷まで6時間以上かかったようだ。御苦労さまでした。 ● 平成23年5月7日
大黒も本牧も混んでいるようなので、うみかぜ公園まで遠出した。予想が外れてイワシとサバが来てると言うので場所が無いほどの賑わいだった。いきなり70センチのボラが釣れたが、後は片口イワシが50匹と12センチのカサゴが二匹だけだった。鍛冶屋さんも元気で横須賀の海は今年も賑わいそうだ。夜の高速道路は街路灯が消えて真っ暗な場所多くて車も少ない感じだった。
● 平成23年5月9日
甲イカが釣れてる大黒か?イシモチが釣れてる本牧か? 墨で汚れるのを嫌って本牧へ行って来た。昨日は沢山釣れたのに・・イシモチもキスも姿を見せずイワシ一匹釣れなかった。最後に小さなカサゴと大きなヒトデが上がったが絶不調の日だった。
● 平成23年5月16日
老人性皮膚掻痒症だと言われて、一カ月の経過を見ても治らないから佐々木病院の皮膚科へ行ったが、即効薬は無いので軟膏を続けるだけ。
痒み止めの飲み薬は危険なので断った。
● 平成23年5月20日
大黒でメジナと甲烏賊を釣るつもりで、夕まずめには大物の為の餌に豆アジも用意して出掛けたが、結果は穴子一匹だけだった。
豆アジの餌を齧る大物は釣れなかったが、置き竿にしておいたルアー用の竿は大きな音を立てて海中に引きずり込まれてしまった。釣り場の管理人は多分70センチくらいのスズキだろうとのことだった。
来週は竿を取られないように用心して大物を釣りたい! ● 平成23年5月23日
車椅子で運動したいから徳田まで往復する予定だったが、雨が降り始めたので車で行ってしまった。早いし楽だけれど体力を落としてしまうことなのだ。肌の痒みは治らずアンテベート軟膏に頼っている。
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平成23年5月25日
烏賊を釣る気はないが大黒へ行った。豆アジと烏賊と青イソメを使ったが当りがない時間が過ぎた。海鼠1、キス1だけで、豆アジは齧られただけだった。豆アジの頭に針を掛けると尻尾のほうを齧られ、尻尾に針を掛けると頭から齧られて尾ビレだけ残された。次回はうみかぜまで行って大物を仕留めたい。
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平成23年5月30日
以前は右肩が痛くて上がらなかったが、今回は左肩に起きた。無理はしてないし原因は不明。不注意で捻ったかも知れないが筋肉痛だと思う。
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平成23年6月3日
横須賀うみかぜ公園に出漁したが平日なのに釣り場は満員状態だった。片口イワシの入れ食い状態で250匹ほど釣れたが、カサゴが1、豆鯖が2、ハオコゼが2匹だけだった。アジ、イカ、イワシの餌に手応えはなかった。
小幡さんに米軍将校の帽子を買って貰った。
●
平成23年6月6日
徳田病院で呼吸器を診てもらってから、宮下クリニックで採血検査をしてもらった。どちらも大きな変化がなくて何時も通りの薬を処方された。
ノルバスク、ムコソルバン、ビオフェルミン、ネリプロクト、サンコバ、ザイロリック、ユベラ、ハイドレアカプセル、モーラステープ。 ●
平成23年6月8日
天気予報を気にしながら大黒へ行った。雨で釣り人が少ないのか?釣れないから少ないのか?気になったが、釣れない日だった。6時過ぎてから大きなカサゴが釣れたと思ったら、すぐにアナゴも釣れた。いずれもアジの切り身に掛かった。メジナ狙いのジャリメには全く当りがなくて餌が余ってしまった。大きなサメも掛かったが重すぎて糸が切れてしまった。アナゴは暴れるし暗くなってから釣れるので写真を撮れなかった。 ●
平成23年6月15日
大潮なのでアジとサンマと青イソメとコマセを用意して、うみかぜへの出漁だったが期待はずれだった。大きなメジナが一匹と小型のカサゴが二匹、良型のタナゴが一匹、ハオコゼが一匹だけだった。当然釣れる筈の鰯は姿を見せなかった。 ●
平成23年6月20日
昨夜は風呂掃除をしていた範代が転倒して左頬を強打した。物凄い音をして倒れたので優子も心配して二階から降りてきてくれたが、濡れた場所は思わぬ勢いで転ぶから余程用心しなければいけない。
今日は壊れたガスレンジをケーズ電気まで買いに行ってきた。これも優子がくれた商品券で買えた。 ●
平成23年6月21日
痒みが治まらないので佐々木病院皮膚科萩谷医師の診察受けてアンテベート軟膏を追加処方された。一日あたり10gが限度の0.05アンテベート軟膏を三週間で25g使用なので安全だと言われた。
ステロイド恐怖症は無用なのだろうか。 ●
平成23年6月22日
鯵、秋刀魚、青イソメで大黒挑戦したが、カサゴ1、アナゴ1、ヒイラギ1、エイ1
だけだった。イソメの食いが悪くてメジナはダメだった。
凄い暑さの日だったが海上は風が吹いて心地良かった。
熱中症が怖いのでアクエリアスの補給を心がけた。 ●
平成23年6月27日
トレッサに行って月末の処理をしてノジマを見物した。車検前点検を受けて洗車ワックスをしたら帰りは土砂降りの雨だった。天気予報も梅雨時には当てにならない。折角綺麗になった車が・・・(T_T)
範代が徳田で採血検査を受けたがγ-GTPが高い他は異常なしだった。食事に気を付けていても血圧は高くなってしまう。水分を摂るように天野先生から指導を受けたという。 ●
平成23年6月29日
物凄い暑さだったが、うみかぜに行った。上洲屋店長が「暑すぎて魚もいないし釣り人もいない」と言ったが幼児連れの親子が頑張っていた。アジ、サンマ、青イソメ、コマセのご馳走を持って行ったのに小カサゴ2、小タナゴ6、フグ1、メゴチ1、ハオコゼ2、15センチのアジ一匹だけだった。今年は熱中症での死亡者が大勢出ているらしいから、水分を補給しながら冷え冷えタオルで頭を冷やしながらの釣りだが、家にいるより海上は風があるから楽だ。
倒れないように十分すぎる用心をしている。
誰も釣れない鯵が釣れたのはコマセにパン粉を混ぜたからかも知れない。 ●
平成23年7月1日
眼に見えない様な小さな虫がいて刺されると幾日も痒い。ダニではないと言われたが正体がわからないから困っている。
水分を失った肌が老化して抵抗力をなくしているのだろう。 ●
平成23年7月4日
朝から暑くて熱中症に用心だが、徳田で呼吸器の診察を受けた後、宮下クリニックで血液検査を受けた。白血球も赤血球も大きな変動がなく安定しているので良かった。ハイドレアが良く効いているので心配ないと言ってくれた。 ●
平成23年7月5日
鶴工同窓の川崎が七時半に戸塚の家を出て十時半頃、大きな麺類セットを担いで遊びに来た。三時頃まで話して行ったが八月には米国へ行くそうだ。エクアドルに残してきた落とし子家族に暖かく迎えられると言って嬉しそうだったが、いろいろな人生があるものだ。 ●
平成23年7月6日
アジとサンマとイソメで大物狙いに大黒へ行ったが潮が悪くて六時過ぎまでは当りがなかった。帰り際に大きな当たりが続いたが仕掛けを切って逃げられた。
大黒沖で漁船が衝突転覆して船長が死んだらしい。影響はない程度らしいが、梅雨なのにメジナが一匹釣れただけだった。
七夕の日の夕飯でメジナの塩焼きを食べたが、格別に美味だった。 ●
平成23年7月10日
盆を迎えるので範代が一人で横浜霊園に行き、新しい花立てに綺麗な花を挿し、雑草取りもして墓掃除をしてきた。
母が居なくなってからは墓参も出来なくなったが、若い時には気がつかない障害が増えてしまうものだ。
被災地の老婆が「お墓へ避難に行く」と言って自殺したらしい。政治家や官僚だけでなく、一般庶民はこの遺言をどう受け止められるのだろうか? ●
平成23年7月13日
アジ、サンマ、エビを持って灼熱の大黒へ出掛けたが、釣り人も少なく魚も少ない日だった。東寺尾から来た人が朝6時半から午後6時半終了までに渡り蟹を釣っただけだった。前日に末吉橋でハゼを釣ってマゴチを狙いに来たが当りがないと言っていた。
アジの餌に終了間際に40センチの穴子が掛かったが、小さな蟹が釣れた以外は全くダメだった。
彼は
まだコウイカが釣れているので、魚を食ってしまったのだろうと言っていた。 ●
平成23年7月14日
車椅子になってからは行かれなくなった由比から姉夫婦が来てくれた。闘病中で無理だろうと思っていたが息子に連れられてきてくれた。
七時間ほど、話が尽きることなく楽しい時を過ごしたが、リハビリで頑張っている義兄に感謝だ。
前日釣った穴子を味富に持ち込んだら、天丼にしてくれた。玉枝と範代にも食べさせて鼻高々だ。
ウナギよりも美味かった。
●
平成23年7月15日
盆の迎え火などは焚かないが隆司が線香を上げに来た。ジムに通って健康に気をつけていると言っていた。石塚くんも線香をあげに来てくれたが、母親がメニエル病に罹り歩行困難だという。熱中症だけでなく色々な病魔が待っている年齢だから、用心が必要だ。 ●
平成23年7月18日
精一夫婦が線香をあげに来た。心配していたが仕事も順調で滋も雅子も元気で孫たちも順調に成長しているという。精一は殆ど歩かないと言い、階段は苦手だと言うから、歩くように説教してみた。 ●
平成23年7月19日
大型台風が接近中で由比では通行止めになっているらしい。横浜は小雨が降ってるだけだがノロノロ台風なので明日も明後日も重苦しい日が続きそうだ。金曜日には釣りに行けるのだろうか? ●
平成23年7月22日
朝の気温22度で寒いくらいだったが、太陽輝く大黒も日が沈むと上着なしではいられないほど寒かった。アナゴは姿を見せず餌のアジを齧っただけだった。小型のカサゴが四匹と渡り蟹の赤ちゃんが一匹で終了。
乳児を抱えたヤンママが最後まで頑張っていたが、きっと丈夫な子どもが育つだろう。半ズボンの若者が寒くて釣にならないとぼやいていた。 ●
平成23年7月25日
範代が古代ギリシャ展バスツアーに出掛けた。昼食は椿山荘だそうで張り切っていた。
人は何時までも向上心がなければいけない。楽をしていては堕落するのみだ。 ●
平成23年7月27日
太陽が照りつける大黒から富士山が見えたがメジナは居なかった。サメが釣れて期待は膨らんだがサッパが10匹の他は渡り蟹が一匹で終了時のアナゴが一匹だけだった。海は毎年変化していて釣れる魚は減っている。マイワシやカワハギが釣れた海は消えてしまった。 ●
平成23年8月1日
徳田で呼吸器の診察を受けてからトレッサへ行ってきた。節電のため何処へ行っても蒸し暑くて快適という訳には行かない。少しでも運動になればということで運転と外出を心がける。 ●
平成23年8月3日
曇りの予報だったが大黒は一時大粒の雨が降った。アナゴ狙いで行ったがヒイラギが釣れたでけで、サッパが30、六時過ぎになってからやっと小アジが10匹釣れた。
帰宅後直ぐに範代が鯵を捌いて冷蔵した。 ●
平成23年8月4日
11時半頃家を出てネッツへ車を預けて車検を受けた。不具合は殆ど無くて合計13万円だった。
4時までの間トレッサで暇潰しをしたが結構退屈した。有隣堂でPC雑誌を買って読んだが、PCの世界も大きく変わって来そうだ。 ●
平成23年8月8日
受け取った郵便物の確認不足で浜銀カード紛失届けを出して余分な仕事を増やしてしまった。特別に熱い日だったので三時間の外出で大汗を掻いて疲れきった。 ●
平成23年8月10日
魚釣りの予定だったが昨夜から下痢気味で中止した。食欲はあるが食い過ぎで消化不良らしい。全然自覚はないのだが体力も落ちてるのかも知れない。情けない話だが、こんなことは初めてで心細くなってる。 ●
平成23年8月12日
夏休みで混雑する大黒へ行ったが日中はヒイラギのエサ取りだけでメジナは姿を見せなかった。六時過ぎてから良型のキスが六匹釣れて、カサゴも一匹釣れた。ヒイラギ3は棄ててきた。驚くほどの大きなキスが簡単に釣れたりヒイラギが大量発生していたり、今までの大黒とは随分変わっている。
心配した腹も調子よくて、昼寝もしないで一日を過ごせた。 ●
平成23年8月13日
石塚駐車場が廃業のためローソン前を仮契約したが、運が悪ければ車いす対応できる場所がなくなるところだった。車も人間も古くなるし、駐車場の心配も大きくなるし、バリアフリーではない街に住んでいるのだから憂鬱なことばかりだ。 ●
平成23年8月17日
キス狙いで大黒へ行ったが花火大会で通行止めがあるとのことで帰路の渋滞を心配しながら釣っていたので楽しさ半減だった。キス2、ヒイラギ3、カサゴ1、サッパ30、メゴチ1。大量の警官が出て帰りの道路は空いていた。 ●
平成23年8月22日
雨が上がったので午後から徳田と宮下クリニックへ行ってきた。車が運転出来なくなったら病院通いもままならなくなってしまう。
体調も良いし車も調子良い。 ●
平成23年8月24日
大黒の桟橋上で豪雨に遭ってズブ濡れになってしまった。キスが釣れるという情報だったがヒイラギばかりで当りがなかった。夕方になってから片口イワシ50、豆アジ30、サッパ35、ヒイラギ28が釣れた。 ●
平成23年8月29日
今日も大黒の漁師になった。管理人の嵯峨さんと仲良くなったので情報は沢山もらえるが狙いのキスは一匹だけでヒイラギの餌取に悩まされた。6時を過ぎるとアジの入れ食いになり、アジ30、キス1、ヒイラギ5、カサゴ1の釣果だった。
心地よい風が吹いて釣りの季節だが釣り場の混雑がひどくなる。 ●
平成23年9月1日
もう9月だ!
関東大震災記念日で交通規制などして直下型地震の備えをしているが、我が家では家屋倒壊する覚悟しかしていない。
体調は悪くないし心配事ばかりしていたくない。範代が抜けた金歯などをラゾーナへ売りに行ったら三万円になったと喜んで帰ってきた。
純金でもないのに高値買取りの気がする。 ●
平成23年9月5日
天気が良かったので徳田へ行ってから大黒へ行く予定だったが、薬局へ寄ったら大雨になったので釣りを中止して帰宅した。
ローソン前で軽自動車が人身事故を起こしていた。今度の駐車場の目の前なので嫌な気がした。念には念を入れた安全運転が必要だ。 ●
平成23年9月7日
大黒の夜釣りで楽しんできた。大きなアジが釣れたり、イシモチやセイゴも釣れた。驚きはカサゴの入れ食い状態だったことだ。
アジ6、イシモチ3、ヒイラギ3、カサゴ4、フグ1、セイゴ1、サッパ3などを釣った。
夜の海は凄い! ヘッドライトが役に立つ。
夜風も寒いほどではなく、遊んでいるには絶好の季節だ。
こんな季節と人生が何時までも続くと良いと願う! ●
平成23年9月9日
再び大黒へ行って夜釣りを楽しんだ。一昨日と違って魚影は薄く、期待は裏切られたが、それが自然というものだ。
大きなアジが一匹、大きなメバルが一匹、カサゴが三匹、セイゴが二匹の他はサッパ20、片口イワシ30だった。
昼間の暑さも然程でなく夜も寒いほどではなく、絶好の釣日和だったが、帰宅してみると蒸し暑くて寝苦しい夜だった。 ●
平成23年9月11日
4時半に出て神奈川県民ホールへ優子が歌うコンサートを観に行ってきました。10時に帰宅しましたが感動の一日でした。
収益金は東北震災地への寄付金にするそうで、働く人たちの善意です。
ゴスペルは暗いものだと思ってましたが、300人が声を揃えて隣人に愛をと歌う姿からはエネルギーを感じました。
虐げられた人たちが力ではなく声を揃えて訴える姿を思い浮かべて優子の心の叫びかも知れないと思いました。 ●
平成23年9月14日
前日の大黒が満員の状態で釣果も凄かったから出かけてみたが・・・今日は全くダメだった。肉屋さんやヨッちゃんも居たけれど、朝からの熱中組は諦めて帰ってしまい、釣り場はガラガラになってしまった。日中はボラの大群が泳ぎ回り飛び跳ねて期待は大きかったが、帰り際にセイゴが一匹釣れただけで、ヒイラギもカサゴも見られなかった。海は不思議だ! ●
平成23年9月17日
文房具見本市で範代が東京まで行ったが、夏バテで疲れているのか、遊んで来ないで5時頃帰ってきた。
優子と二人で留守番だったが、何もせずテレビの前でゴロゴロして過ごした。 ●
平成23年9月26日
連休続きで遊びに行けなかったから今日こそと楽しみにしていたのに、徳田で診察を受けて、宮下クリニックで診察を受けて、薬局で待っているうちに雨が降り始めた。天気予報は外れて本降りの雨になった。
海にはソーダカツオや太刀魚も出てきているのにザンネンでザンネンで死にそうだ。
善玉コレステロールが低いから、宮下先生に涼しくなったから運動量を増やせと言われてしまった。折角体調が良いのに努力が足りないと反省はしている。・・昨日は隆司が墓参の写真を持って報告に来て、ジム通いを続けていると話していた。宮下先生に運動不足を指摘されてから始めたというから真面目だ(^^) ●
平成23年9月28日
早朝から超満員の大黒へサバ狙いで出掛けたが常連は少なかった。サバが二匹と小アジが二匹、サッパは大漁だったが片口も三匹だった。榎本さんがアジを沢山釣ったが、稲毛くんはスズキを釣っていた。
青イソメの餌には全く当りがなくて絶不調だった。
栗を届けてくれた横澤さんは、サバが好物だというから上げることになっていた。 ●
平成23年10月3日
気温20度の大黒で60センチのアナゴ1、豆カサゴ2、セイゴ1、サッパ50が釣れた。サバ狙いの人でいっぱいだったが、今年のサバやアジは早く終ってしまったかも知れない。カサゴやメジナも小さいものばかりのようだ。
横須賀へも行ってみたいが、うみかぜ情報も明るくはない。 ●
平成23年10月7日
今日もサバ・アジ狙いで大黒へ行ってきた。小潮で潮回りが悪かったのか、カワハギが釣れて驚いたが、宗田鰹1、穴子1だけの貧果だった。
日が出ている間は実に心地よい釣り場だったが
陽が沈むと寒くなって釣りの季節も間もなく終わる。
来年5月までの長い休漁生活が始まるのだ。 ●
平成23年10月11日
優子は昨日朝10時頃ジャカルタから帰ってきたが、帰るなり洗濯機を回しながら二階へ上がって書類整理などで忙しく働いていた。夜には降りてきて旅先の写真を見せてくれたりしたが、今朝は普段と同じ時間に出勤していった。 ●
平成23年10月12日
アサリを用意してカワハギを狙いに行ったが餌取もなかった。
青イソメにも当りはなく、渡り桟橋の細い溝で25センチのカサゴが四匹釣れただけだった。
帰り際にアジの餌に巨大エイが二度も釣れて力競べをしたが四号のハリスも簡単に切られた。
顔なじみたちも釣果は悪くて、大潮で満月だからだと言うことになった。
●
平成23年10月17日
徳田で呼吸器の診察を受けてから、暑いくらいの日だったので大黒へ行ったが海上は風が強くて釣り人も少なかった。サンマとアサリと青イソメの餌を用意して期待は大きかったが、小さなカサゴ一匹だけで終了した。稲毛くんが慕って来たが他の顔なじみたちの姿はなくて、釣れない日には来ていないのが不思議だった。 ●
平成23年10月19日
範代と一緒に徳田病院でインフルエンザの予防注射を受けた。そのあと一人でケーズデンキへ行き、矢向の島忠へ行って遊んできた。用がなくても運転をして体調を整える努力をしている。 ●
平成23年10月21日
曇りで寒そうだが最後の追い込みで大黒へ行ったら顔なじみは誰も居なかった。大きなタナゴが釣れて期待されたが、3時頃には大雨が降ってビショ濡れになった。暗くなると良型のメバルが釣れて、カサゴも二匹釣れた。
楽しめたけれど雨に祟られて残念な日だった。
●
平成23年10月24日
曇だが暖かい日。カワハギ情報で大黒挑戦。アサリの餌にも全く反応無くて、大きな渡り蟹が一匹、大きなフグが一匹で時間だけが過ぎた。夜になって、22センチのアジが一匹釣れたが糸が絡んでる間にアジは居なくなってセイゴが三匹釣れただけで終了。
カワハギは外海側らしい。 ●
平成23年10月26日
月末なので支払い準備をして、ネッツへ行って散髪をして、車も洗車ワックスをして年末に備える。矢向の島忠へ行ってメダカ三匹と餌も買ってきた。
動けば動けるのに家にいるとゴロゴロして筋力を衰えさせるばかりだ。
●
平成23年10月27日
10月最後の大黒へ行って宗田鰹が釣れたが、イナダに道糸を切られ浮きも仕掛けも無くしてしまった。
夜には巨大カサゴが釣れて大黒のホームページに発表された。
セイゴも4匹つれた。 大潮でも日中は釣れない時間が続き
夜になると大物が釣れる大黒が近くにあるのは嬉しい。
港湾局管理の埠頭は11月から五時で立入禁止になってしまうので、これからは楽しめなくなってしまう。 ●
平成23年10月31日
朝5時半から、風邪気味なのに範代は親鸞研究会のツアーに出掛けて行った。
優子は普通に会社なので、一日中一人で留守番だったが、悩みもないのに親鸞や法然に興味を持って出かける神経を理解出来ない。
何故か法然の漫画とチュロの漫画を買って嬉々として帰ってきた。 ●
平成23年11月2日
久しぶりにうみかぜ公園に行ったが、超満員の釣り場なのに魚影は薄かった。イナダとクロダイを釣って帰る人の場所に割り込んだが、サバが二匹、カサゴが一匹、フグが一匹、イサキの子が二匹の寂しい釣りだった。鍛冶屋さんも小幡さんももショウちゃんも来なかった。地元の人は混雑時には来ないのかも知れない。気温22度なら寒くないが、魚は少なくなってしまった。
●
平成23年11月4日
徳田で呼吸器を診てもらい、宮下クリニックで採血をしてもらい白血球が22000、血小板が550で大きな変化が無いので薬の変更は無し。
膝などの痒みが再発しているのでアンテベートも処方して貰って帰宅した。
暖かくて少しの運動で汗を掻いてしまった。
名古屋から新米が沢山届いた\(-o-)/ 感謝感激だ! ●
平成23年11月7日
22度の暖かい日なので、うみかぜに行ったらサバ狙いの釣り人で超満員だった。しかし、イサキの子とタナゴばかりでサバには会えず夜になってから22センチのカサゴとメバルと石蟹が釣れただけだった。
鍛冶屋さんとガードマンとしょうちゃんに会えたが、帰り道は土砂降りの雨だった。駐車場に着くと雨は止んでいて濡れずに帰れた。 ●
平成23年11月10日
急に寒くなって風邪も流行っているが我が家は元気だ。昼から気ままさんが遊びに来た。名古屋から臼で搗いた餅と巨大な里芋が届けられた。
寒いので早速 雑煮を作っていただいた。
巳代子叔母は風邪気味なのに朝から病院へ行ったらしい。去年の元気がなくなり今年は体力を落としてしまったようだ。頑張って欲しい。 ●
平成23年11月12日
台所で雑煮をこぼして範代が左手に火傷。土曜日で佐々木病院も徳田病院も橋爪も休診なので
結局、東部病院救急で治療を受けた。U度の火傷と診断されて明日も東武病院救急で治療を受ける。そのあとは佐々木病院で治療を受けるように紹介状を貰ってきた。
思わぬところに危険があって、安全に暮らすことだけでも大変だ。
油断をしていないつもりでも気の緩みや不運が転がっているので、年末年始は特に用心しなければいけない。
幸いに左手首だけだから良かったと思う。先祖の警告だと考えて弟妹や子供たちの安全を祈願する。 ●
平成23年11月13日
朝10時の予約で範代は東部病院救急科へ行って治療を受けてきたが、明日からは佐々木病院で診てもらうことになった。
水泡が出来ていないらしいから化膿さへしなければ良いと思う。
痛みは取れているというから、後は日にちをかけて治るのを待つだけだ。 ●
平成23年11月14日
暖かい日だったので
うみかぜへ魚釣りに出かけた。釣り人は大勢居たが魚は極端に少なかった。それでも明るいうちにカサゴが二匹釣れた。夜になってからは餌取もなくなり空模様も悪くなって冷たい風が強くなってしまった。帰り道は雨にも祟られてしまったが、駐車場に着くと止んでいた。 ●
平成23年11月17日
音楽鑑賞で県民ホールへソプラノを聴きに行ってきた。近所の歯医者さんが趣味で歌っているのだが、十分楽しめた。 ●
平成23年11月21日
思ったほど寒くなかったので映画「少林寺」を止めて
うみかぜに行った。道具を並べていると以外にも簡単にカサゴが四匹釣れた。カッチャんが来て噂話をしていると加藤さんも来た。釣り場には大勢居たが釣れてる人は殆ど無くて夕まずめの大事な時間に大雨に降られてしまった。
千葉県の天気予報を調べて来なければダメだと教えてもらった。
カサゴの釣り方は極意を得たような感じがした。 ●
平成23年11月25日
没後1096日が過ぎて母の祥月命日だが来てくれる人も居なくなって寂しい日を過ごしている。
叔母たちの見舞いにも行きたいけれど車椅子では思うようにならず義理も欠いてしまう。
範代は母が手を振りながらサヨウナラと消えてゆく姿を夢に見たというけれど、もう遠い天界で幸せに暮らしてるから安心しろと言うメッセージだろうと信じたい。
精一と母が可愛がった雅子が線香を上げに来てくれたが、元気のようで良かった。 ●
平成23年11月28日
うみかぜ公園は満員状態だったがカサゴ二匹とフグ一匹で終了。餌取はあったが釣れなかった。暖かい天気予報と違って冷たい風が吹いて寒かった。
体調良いけれど魚釣りの季節は終わった気がする。 ●
平成23年12月1日
範代が右足痛を訴えていたが徳田で東部病院血液外科の紹介状を貰って行ったら静脈瘤の疑いで1月5日に精密検査を受けることになった。健康だと思っていても、次々に故障箇所が出てくる。加齢というのは避けられない。 ●
平成23年12月5日
徳田で呼吸器を診てもらってから宮下クリニックへ行って採血。白血球が少し増えたが大きな変動はないので薬の量は変わらず。トレッサへ行って床屋を済ませ、車のトランクを整理して帰って来たら4時を過ぎていた。
冷たい風が吹いていたが暖かい一日だった。 ●
平成23年12月7日
一年ぶりに日本橋高島屋へ行ったら今野さんが待っててくれた。去年より店内は混雑していたが、十分に楽しんできた。都内の走行にも全く不安なく運動神経も視力も衰えを感じなかった。
高齢者の事故が多いというが個人差は大きいのだ。
横須賀への道は空いてて運転の練習にならないが、都内を走ると反射神経も鍛えられると感じた。
年末の都内は加速力の強い高級車が多くて、地方の車もいて、乱暴なドライバーも目についた。 ●
平成23年12月8日
真珠湾攻撃の日だが、忘れられているらしい。真っ暗な西前町の家の前を不気味な提灯行列が通ったことを忘れられない。
1円玉が極端に小さくなって鉛色のみすぼらしい物になったことも忘れられない。
世の中は勝った勝ったと賑わっていたが、地獄への路を歩んでいたのだ。 ●
平成23年12月12日
暖かいのと時間延長になったので迷ったが大黒へ行ってみた。明るいうちは全くダメだったが真っ暗になると26センチもある大カサゴや大メバルが入れ食い状態になって最後は想定外のアナゴだった。
今年はじめての爆釣で大満足できた。
うみかぜには居ない大物が大黒には居る。
佐賀さんが短時間で凄い釣果だと褒めてくれて写真も撮ってくれた。 ●
平成23年12月17日
棚卸は順調に進んでいるが決算は頭が痛い。豊岡小の子供たちが買い物に来るようになっているが、売れ筋はAKBだ。
シモジマと小安商店が主な仕入先だが相変わらず売れるものは限定されていて品薄のため入荷しない。
範代のパソコンを大掃除したら大幅に速度が早くなったが、10年落ちのパソはとっくに寿命が尽きている。
普通ならゴミにしかならないものだ。 ●
平成23年12月19日
気温10度で寒い日だったが前日の釣果情報を見て、最後の大黒出漁。餌を豊富に持参してカレイを狙ったが当りもなく日中は全然ダメだった。若潮で潮が澄んで釣果は悪いとのことだったが夜6時頃になると大きなメバルが釣れて、続いて大きなカサゴも二匹釣れた。
隣に居た人は生きエビを使って朝6時から来たと言っていたが、中型カサゴ一匹だけだった。帰りに管理人に尋ねたら、短時間で凄いよ!と褒められた。
寒くても風がなかったから楽しい釣りが出来ました。 ●
平成23年12月26日
範代と徳田病院へ行ったあと、一人でトレッサへ行ったが駐車場で車が見つからなくなった。
青色申告書が届いていないので鶴見税務署に問い合わせたら今年から書類は1月末に送付することになったという。ネットで申告を済ませるように世の中は変わってきている。 ●
平成23年12月28日
昨日は東日本橋の薬研堀へ一味唐辛子を買いに行ってきた。大出庫市は往年の賑わいがなくて出店数は極端に減ってしまった。薬研堀の参拝者も少なくて獅子舞も見られなかった。
古き良き時代は消えてしまう。
浅草へも行ってみたかったが時間も無いので銀座へ回って、久しぶりに松屋の催事場を覗きに行ったが何もなかった。
与
勇輝人形展の時は一階から八階までの階段に行列する賑わいだったが様変わりしてしまった。
それにしても、年末で混雑する都内の運転でも全く不安なく安定した運転が出来るのは嬉しい限り。
眼、耳、右足首の運動能力が衰えないから大丈夫だ。 ●
平成23年12月29日
五時半頃刈谷から到着して蟹を食べて待っていたら、優子が八時ごろ帰宅したので豪華なシャブシャブパーテイで満腹。朝二時半まで延子と談笑して年末を楽しんだ。 ●
平成23年12月30日
明治神宮を目指したが犬連れ入場を断られたので、深大寺植物園に行ったが既に休業中だった。
近くの深大寺へ行く途中で深大寺蕎麦の店で蕎麦を食べたが、深大寺の参拝をしたら沢山の店が並んでいて、本場の蕎麦を食い損なったことを後悔した。
八割蕎麦を年越しそば用に買って帰宅。 六時頃
優子を誘ってスシローへ行ったが超満員で諦め
蔵の前を通ったが行列してたのでトレッサに行き五衛門で夕食して店内をぶらぶらして買い物。
九時頃帰宅して善哉を食べて再び満腹。 ●
平成23年12月31日
延子たちが優子を連れて買い物に出かけたので、留守番の日になった。優子は思い掛けないブランド品を買ってもらって良い年になった。
夜は深大寺の八割蕎麦で年越しをすることが出来て贅沢な思いをした。
新しいトイレの水詰まりが起きて原因不明で不安だ。年が開けたら
また 下水修理に出費が嵩むのか?
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