・再考・脱オタだけが僕らの道なのか?
  ――劣等感や自己不全感の超克に関連して――

ver.1.00(05/10/31)


  ここまで延々とオタクと萌えとセクシャリティについて書いてきたが、様々な
 角度から考察した限り、第三世代以降に属するオタク達の少なからぬ割合が、
 心的傾向(精神病理)として劣等感や自己不全感を隠し持っているとみなされた。
 “萌えキャラの特性”“No!に耐えにくい心性”“発動する防衛機制の観察”、
 そして“萌えという営みの特徴と、彼らの萌えへの親和性”など、どこを見ても
 も萌えオタ達の劣等感・自己不全感を肯定こそすれ否定するものではなかった。
 この劣等感や自己不全感が醸成していく背景はこちら等を参照して頂くとして、
 今回のテキストでは、それらの劣等感や自己不全感を解決する一方法として、
 脱オタという手法を再考してみたい。


 ・“真に”脱オタが成功した暁には

  真に脱オタが成功した時、オタク達は一体何を手にするのか?
 初期の脱オタサイトが目標とした、服飾上のハンディキャップ改善が彼らの最終
 ゴールである事は稀だ。大半の脱オタ希望者は、コミュニケーションスペックの
 総合的向上、ひいては異性との交際や非オタクとの交際を促進させたいと期待
 している。このため脱オタが完膚無きまでに成功した場合、脱オタ者は以下の
 ものを手に入れると推測される。少なくとも、以下のものを目指している。

 1.コミュニケーションスキル/スペックの総合的向上(服飾も大抵含まれる)
 2.それに伴う交際の非オタク分野への多様化
 3.異性との交際の促進、多数との短期的交際または少数との長期的交際
 4.上記全てを通しての自信獲得、対人関係における劣等感の克服


  経験者達の話を聞く限り、この四つはそんなに外れてはいないと思う。脱オタ者
 が気が済むまで脱オタの成果を挙げた場合、1.2.が達成されて、それに伴って
 3.4.が達成されるという寸法である。もちろん、歴史的に脱オタサイトが提供し
 続けてきたファッションスキルはこれら全ての達成に寄与することになるだろう。
 (より正確には“適当な服飾技術は、審美的不利を解消する”と表現すべきか)
 ここまで脱オタを達成し尽くせば、第三世代以降のオタク達の多くが持つ精神的
 アキレス腱――即ち劣等感や自己不全感――は相当のレベルまで克服される
 と考えられる。脱オタク恋愛講座の内容やうちのサイトの症例検討など、まさに
 1.2.3.4.を獲得する試みで、“服飾面も含めたコミュニケーションスペックの
 向上・劣等感や自己不全感の克服”が彼らの達成内容となっている。これら脱オタ
 を最終局面まで達成した人達を見ている限り、タイトルにあるような“劣等感や自己
 不全感の超克”は十分達成可能のように見える。


 ・脱オタは誰にでも出来る方法か――ハードルの高さや問題点

  ということは、もし実現可能性が高ければ脱オタにゴーサインを出すのは十分
 に合理的な選択と言う事が出来る。この見積もりがまた難しいわけだが、脱オタ
 に投入できるリソースの多寡・年齢・脱オタによって得たいものへの熱意・性格
 などによって期待値が変化するのは言うまでもない。ひょっとすると、萌えなどの
 代替手段にどれだけはまっているかや防衛機制をどこまで発達させているのかも
 実現可能性の期待値に影響するかもしれない。ただ一つ言えるのは、脱オタに
 よって得られるものを極限まで得ようと思ったら、必要とされるリソースは莫大で、
 しかも誰もが必ずしも成功するとは限らないギャンブル的要素を排除できない
 いうことだ。脱オタ遂行者達はそれこそ数年をかけて、オタク趣味や既存の人脈
 なども犠牲にして文字通り人生を賭けて脱オタを遂行している。屈辱と苦痛と
 犠牲と幸運の果てに、ようやく彼らは成功に至っている。脱オタの試行錯誤は、
 オタク界隈で同人誌を探したりネットゲームでダンジョンに乗り込むのとは違う。
 迷えば多大な犠牲を支払わなければならないし、目的地が見つからなければ
 投資と犠牲はほとんど無駄になってしまう。残るのは一層強い劣等感と敗北感、
 そして無駄になった服の山だけである。

  これまで脱オタに成功した者、それも劣等感や自己不全感をかなりの所まで
 改善させた人達の記録をみたりmoteo氏の方法論以前の考察を調べると、
 脱オタを成功させる為に必要な素養やリソースが何となく浮かびあがってくる。
 とはいうものの、正直言って楽観的なものではない。


 ★脱オタ成功にあたって要求されそうなものリスト

 1.経済的背景と時間
  脱オタにファッションや新しい交際が絡む以上、それを下支えする何らかの
 経済的裏付けは必須である。もちろんこれは長期間にわたるダラダラとした
 出費を支えきれるものでなければならないだろうから、脱オタ期間中に支払う
 コストは10万円程度で済むとは思えないし、一括払いで済むわけでもない。
 また、時間も大量に必要になることも忘れてはならない。服選び、新しい人脈
 の形成、モノカルチャーな趣味志向の多面化など、どれもこれも時間が幾ら
 あっても足りないぐらい時間を要する。仕事や実験で多忙な人には、脱オタ
 に必要な時間を獲得するのは難しいと言える。


 2.知的能力(ただしIQで測定されるタイプとイコールかは不明)
  要領の良さをはじめとする何らかの知的能力は、脱オタを遂行するにあたって
 必ず要求される。服装選びにしても非オタクとの付き合いにしても、失敗を重ね
 ながらの苦しい試行錯誤が続く。この苦しみから理解や洞察を得ていくには、
 さらには時間や金銭の消費を出来るだけ抑えるには、やはり必要最低限の脳
 スペックが要求されるだろう。(IQではなく)脳スペックの定量化は不可能だが、
 要領やのみこみが悪ければ悪いほど失敗するのは他の営みと変わらない。
 そうそう、ここでいう脳スペックとは、学歴の事ではないとはっきり断っておく。


 3.努力の素養
  近頃のこの国では、努力出来るか否かの素養についても相当の個人差が
 認められるように見える。確実に見返りが得られるとは限らない状況に対して、
 思春期にどこまで継続的に労力を投入出来るのか?歳食って守るべきものが
 ある時代ならともかく、若いうちからフロンティアに継続的投機が出来ないよう
 では終わっているわけだが、実際に努力の継続が出来ない気の毒な人は沢山
 いる。脱オタは典型的な“継続的投機”なので、訓練や躾などによって努力の
 素養を獲得できなかった者は、すぐ意志を挫かれてしまう。よって失敗しやすい。


 4.最低限の容姿
  どこまでを最低限の容姿と言うのかは議論の絶えないポイントだろう。ただし、
 劣等感の強いオタク達には自分自身の公正な評価が困難なのは間違いない。
 非オタク分野への進出や異性との交際が脱オタという方法に不可欠であるなら、
 顔面のシンメトリーが極端に崩れているなどの容姿上の極端な問題は脱オタを
 困難にするだろう。ごく控えめに言っても、“見た目”基盤となる身体的審美性は
 脱オタのハードルを上げ下げする一要素として十分考慮しなければならない
 私個人は、よっぽど特別な顔の崩れが無い限りはあまり関係ないと思っている。
 それよりは仕草や目つき(これはコミュニケーションスキルと呼び得る)のほうが
 遙かに重要な気がするのだが…。


 5.性格傾向や心的傾向
  外向的/内向的、オプティミスト/ペシミスト、負けず嫌い/逃避傾向、
 自意識の程度など、性格傾向や心的傾向の個々の性質もまた、脱オタへの
 チャレンジ・継続に影響を与えるファクターだ。例えば内向的でペシミストで
 逃避傾向が強く自意識が極端(に過剰か欠乏)な場合は、脱オタはとても困難
 になるに違いない。逆に、外向的で楽観的、負けず嫌いな人は有利だろう。

  不幸な事に、こうしたパーソナリティ上の傾向は、先天的で変更が利きにくい
 一部分を有している。さらに不幸な事に、脱オタが要請されるような被差別オタク
 においては、度重なる差別や侮蔑によって脱オタに不利なパーソナリティの特徴
 を後天的に形成してしまっている可能性が高かったりする。対人関係における
 悲観的傾向や逃避傾向などは、学童期から何年も小馬鹿にされ続けていれば
 否が応でも形作られてしまう。


 6.年齢制限
  上記の性格傾向・心的傾向の形成と固定化を考えると、脱オタは出来るだけ
 若くて可塑性の高い状況下で実行するのが望ましい。逆に言えば、年齢が高く
 脳も性格も固まってきている人には脱オタは非常に困難という事になる。固定
 観念に囚われやすく、今までのコーピングを手放せない人にはドラスティックな
 自己改革はどのみち困難だ。


 7.運、巡り合わせ
  どんな人と出会うのか。どんなアイテムで感動するのか。脱オタしようと思った
 矢先にシビライゼーションのように性質の悪いゲームに引っかかったかどうか。
 たまたま入った美容院の店員の性格がどうであったのか。これら、人間の智慧
 の及ばない巡り合わせや運は本当にどうしようもないわけだが、脱オタにおいて
 はやはり重要である。ここまで挙げた1〜6をある程度クリアしている人にとって、
 脱オタに要する運は“平凡な運”程度で十分だろう。だが“平凡な運”程度は
 やっぱり必要なのである。最初に出会った服屋の店員が極悪だったり、脱オタ
 最初期に接近した異性が壺売りだったりしたら目もあてられない。どんなに努力
 した人も、期待値を1そのものにする事は出来ないのだ。




  列挙した1〜7のファクターは、幾つかが不十分な程度なら自分の得意な
 ファクターでカバーする事が出来そうだ。だが、いずれかのファクターがあまり
 にも欠けている場合は致命傷となるだろうし、どれもこれも一様に低水準という
 場合でも駄目だろう。貧乏暇無しで要領が悪く、根性無しのうえにペシミストで
 自意識過剰な30代後半のケースを想像して頂きたい。一体どうやって脱オタを
 やるというのか。脱オタを成功させて劣等感や自己不全感を改善出来る確率は、
 限りなく低そうに思える。

  オタクとしての造詣が深いか浅いかに関わらず、上に挙げた幾つかのリソース
 を確保出来ない人間は、脱オタを試みても討死する可能性が高い。これこそが、
 脱オタという方法論の最も大きな問題点となる。コミュニケーションスペックの
 挽回や心的傾向の改変は、不利な形勢から周囲に追いつくという元々難しい
 作業なので、幾ばくかの素養やリソースをどうしても必要としてしまう。それらの
 素養やリソースの幾つかは、例えばスクールカースト上位の人達にとっては
 “パンと同じくらい当たり前のもの”かもしれないが、脱オタをまさに必要として
 いる人達のなかには欠乏著しい人が多く混じっている。また、努力の素養や
 年齢のように、いったん身に付くと簡単には変えられないファクターも含まれて
 おり、脱オタを開始する際のスタート地点は相当個人差が出てくると考えざる
 を得ない。

  確かに脱オタは劣等感や自己不全感をダイレクトに解決する可能性を有して
 いる。しかし脱オタを採用して見込みのあるギャンブルが出来る被差別オタクは
 意外と限られているのかもしれない。そりゃ誰だって、お金さえあれば脱オタク
 ファッションガイドを買ってきて内容をなぞるぐらいは出来る。ただそこから、
 異性との豊かな交際や劣等感の超克といった、もっと根本的で切実な願望を
 達成する“本当の意味での脱オタ”に至るには、見えない壁を幾つも乗り越え
 なければならないような気がする。



 ・脱オタだけが、唯一の方法ではない

  脱オタという方法が不可能なら、もはや心に巣くう劣等感や自己不全感は
 解消出来ないのだろうか。そんな筈は無い。脱オタ以外にも、ダイレクトに
 コミュニケーションにまつわる劣等感や自己不全感を乗り越えていく方法は
 色々あると思う。脱オタ“原理主義者”はしばしば、異性にモテなければ劣等感
 や自己不全感を何とかする事が出来ない※1と思いこんでしまいやすいが、
 劣等感や自己不全感を超克する手段は他にもあるだろうし、超克とまでは
 いかなくても十分に折り合いをつける方法ならもっと沢山ある筈だ。脱オタの
 誘惑に駆られた人は、脱オタ以外の選択肢についても今一度検討したほうが
 いいと思う。前述の要求されそうなものリストをあまりにも満たしていない人や、
 性欲の渇望に苛まれているわけではない人、仕事やオタク趣味に忙しくて
 リソースを分配しきれない人の場合は特に。


 ★脱オタ以外の選択肢の例

 1.オタクとして、劣等感や自己不全感を超克していく
  オタク趣味やオタク界隈を世間の大半の人は“くだらない”“馬鹿馬鹿しい”
 と言うだろうし、確かにそれは(他の趣味文化圏との比較なんかすると)思い
 当たるふしも多々あるが、それでもオタク文化圏のなかでオタクとして大成し、
 その達成を通して劣等感や自己不全感を飛び越えてしまえる人もいる
 このような人達は何らかの優れたコンテンツクリエイターか、それに準じた活動
 をオタク界隈のなかで達成している場合がある。ただしたとえオタク界隈で
 煌めく成果を挙げたとて、その事に愉しみ誇りや満足を感じていなければ、
 効果的な方法にならないのは言うまでもない。能力もさることながら、オタク趣味
 への思い入れがホンモノかどうかが成否を分ける鍵となりそうだ。あなたが本当
 に素敵なオタクで、オタク趣味をパッシブにではなくポジティブに追いかけている
 なら、自ずとこの条件は満たされることだろう


 2.げんしけん的、ヌルオタ(ヌルいオタク)コミュニティとの融合
  では、ぬるいオタクならどうにもならないのかというと、そうでもないだろう。
 げんしけんに描かれているようなヌルオタコミュニティは、都市圏にも地方にも
 存在している。その中に徹底的に溶け込んでしまい、ヌルオタコミュニティの輪
 を質・量ともにしっかり確保していけば、劣等感や自己不全感を痛感させられる
 状況を減らすことが出来る。劣等感や自己不全感は超克されないまま残ること
 になるが、しっかりとしたコミュニティによる護送船団方式の適応戦略をとれば、
 外部からの侵襲を最小限に抑える事が出来る。性的な欲求に関しても、ヌルオタ
 コミュニティ内で萌えに関する情報交換などを行うことでかなりの所まで解決が
 可能だろう。この方法のアキレス腱は、ヌルオタコミュニティと一蓮托生という点
 か。コミュニティを崩壊させず何年も存続させ、個々の構成員にとって空気の
 ように不可欠な存在に育てていくのか、次々にコミュニティを渡り歩いていく
 のか(前者のほうが良い予感)。ちなみにこの選択肢を選ぶ場合、仲間内で脱
 オタ者が発生したりサークルクラッシャー的女子が発生したりするとなかなか
 大変そうである。


 3.『電波男』に書かれている“護身完成”への道
  強力な防衛機制の結果であれ二次元愛の帰結であれ、“護身完成”、即ち
 二次元異性キャラへの最適化&三次元リアル女性との決別が起こってしま
 えば、特に異性に関する限りは劣等感や自己不全感とは異なった次元に
 旅だってしまうことが出来る。“護身完成”は自らの意志で後天性の真性二次元
 コンプレックスになる事に近いが、実際に完成すれば、対異性コミュニケーション
 に関連した劣等感や自己不全感を最小にしつつ、その他の領域(仕事、オタク
 趣味ほか)に意識を集中させやすくなるだろう。

  惜しいことに、“護身完成”もまた脱オタと同程度に達成が難しい。童貞のまま
 でいる事は誰でも可能かもしれないが、“護身完成”の境地を達成するには、
 色々なもの(例えば二次元への熱愛)が要求される。誰もがリアル女性の重力
 から魂を解き放てるわけではない。また二次元に飛んでも、異性以外の要素で
 劣等感や自己不全感が思いっきり存在すればやっぱり苦しいに違いない事は
 忘れてはならない。


 4.仕事などにおける達成
  ある意味、これが最も自然な方法なのだろう。自分が一番長時間頑張って
 いるフィールドで然るべき成果を出し、然るべき評価を得る。そうすれば自然と
 自信がついて来るし、トライアンドエラーに対しても積極的になれるというわけだ。
 お金も手に入るし、コミュニケーションが不得手だとしても“自分は取り柄がない”
 と思わずに済みやすい。仕事や研究が面白くなって、しかも周囲が認め始める
 ようになってしまえばこの効果は加速するだろう。仕事での自信の獲得や成果
 の獲得は、それ自体が異性からの評価にプラスに働く(殆どのまともな異性は、
 仕事も出来ない男を敬遠しがちだ)。また、職場における自信の獲得は、職場
 以外の局面における“キョドり確率”にも間違いなく影響する。この辺りは脱オタク
 恋愛講座の記述も参考にして頂きたい。

  だが、仕事などによる健全な自己実現にも問題が無いわけではない。まず
 一つに、自己不全感やコミュニケーションスペックの問題は、仕事による達成
 にも影響を与えてしまうという問題だ。殆どの職種・業界ではコミュニケーション
 スペックが低すぎると業績や評価に悪影響を与えやすい。このため劣等感や
 自己不全感が強い人ほど業績や評価の獲得が難しくなる可能性がある。
 仕事で劣等感や自己不全感を克服しようにも、現在の自分自身の心的傾向
 が仕事の足を引っ張ってしまうのでかなり苦労することになる。

  加えて、仕事で業績や評価を集めるにはそれなりに有能でなければならず、
 それなりに継続的な努力を要するという点も指摘しなければならない。しかも
 努力が常に報われるとは限らないのだ。結局のところ、脱オタに要する諸々
 と共通するものが幾らか要求されるのは避けられない。少なくとも、継続的な
 努力(しかも旨味のある努力を探し出し、労力を集中投入するような、である)
 を可能とするようなスペックは、この手の方法における必要条件である。


 5.金銭・権力によるカバー
  ライブドアの堀江氏の発言にもある通り、お金があれば女の人は幾らでも
 ついて来る。お金の切れ目が縁の切れ目という指摘は間違っていないが、
 ならば切れないほどのお金を持つか、お金が持続的に沸き続けるカラクリを
 形成すれば良いだけのことであ。また、キッシンジャー氏の言葉“権力こそ
 最高の媚薬である”にもある通り、権力もまた色々なものをカバーするだろう。
 単に女性を惹き付けるというばかりでなく、金銭や権力は様々なスキル獲得の
 機会を提供したり、様々な助力を外部から獲得しやすくもする。大体から言って、
 金銭や権力の獲得・持続というプロセス自体、自信を育み劣等感や自己不全感
 を踏みつぶしていきそうな気もする。自由に出来る時間が随分と少ない人生に
 なるかもしれないが、劣等感や自己不全感はいつの間にか消えていそうだ。

  ただご存じの通り、堀江氏やキッシンジャー氏のような権力・金銭に到達出来る
 人間は限られている。仕事でそこそこの業績をあげるのとはわけが違う。だが
 世の中には、脱オタするより金儲けや権力集めのほうがいいというユニークな
 人も僅かにいる筈だ。人間、向き不向きがあるだろうから。


 6.ネトゲ廃人など。自己実現は蜜の味
  自己不全感や劣等感をさしあたり何とかする方法として、一応これも挙げて
 おこう。ネットゲームの仮想空間においては、これまで挙げた1〜5と異なり、
 誰でも時間さえかければ仮想空間内における自己実現を感じる事が出来る。
 有能である必要も、コミュニケーションスペックも、運も、金銭も、本当に最小限
 しか要らない。また、努力(っていうよりログイン時間か!)がやった分だけ必ず
 報われるので、“失敗”による挫折感を味わうリスクも少ない。この素晴らしき
 仮想空間におすがりすれば、劣等感や自己不全感を(仮想空間の中では)
 しっかりと克服する事が出来る。

  もちろんこの方法は副作用が大きすぎる。ネットゲーム中毒によって生活
 リズムは乱れるだろうし、現実空間では劣等感や自己不全感は一層大きく
 膨らんでいくだろう。不可逆かもしれないという怖れもあるし、家族が同居して
 いれば風当たりが強くなるのも避けられない。仕事とか友達づきあいとかが
 崩壊していくリスクもおかさなければならない。しかし、私が挙げたものが
 どれも無い人の場合はどうだろうか。極端な、本当に極端なケースでは、
 ネットゲームによる慰安だけを、失うものも無く享受出来るかもしれない
 想像するだに恐ろしいほどの極端なケースならば、の話だが…。

 参考:NHKで放送されたRO廃人の記事 誰かがにゅ缶に建てて下さった関連スレ



  指摘するのも滑稽だが、劣等感や自己不全感と対峙する方法は脱オタが唯一
 というわけではない。私が思いつく限りでもこんなに色々あるのだ、他にも様々な
 やり方や抜け道があるに違いない。例えば2.のように、「対峙」「対決」するという
 よりも、上手に逸らすというのも悪くない方法だと思う、それがちゃんと成功すれば。
 色んな事に折り合いをつけながら楽しくやっているオタクは案外とたくさんいて、
 彼らは彼らなりに楽しくやっている。げんしけんほどのユートピアではないにせよ、
 それに近い境地に生きるオタクは沢山いるし、意識してというよりも知らないうちに
 “護身完成”に至っている強者も稀に存在する。だったらそれでもいいじゃないか。
 将来もそういう恩恵を受ける見込みが十分ある人にとって、ハイコスト・ハイリスクな
 “脱オタ”というギャンブルは、どこまで必要だろうか?

  自らの内なる劣等感や自己不全感に、直接アプローチ出来る点が“脱オタ”の
 真骨頂という私の考えは今も変わらない。コミュニケーション上の弱点を克服し、
 スクールカースト時代の呪縛から離脱する方法として、やはり脱オタほど正直な
 方法は無いと思う。結婚や挙児希望の人にも最適だ。だが、脱オタという方法に
 依らなくても劣等感や自己不全感を超克する方法は他にもあるし、超克しなければ
 “ならない”という発想は強迫的で不健康ではないだろうか?強迫的に脱オタという
 手法に拘るよりは、オタクコミュニティで楽しき生きたり、仕事などに打ち込んだほう
 が好ましい結果を生む人は沢山いる筈だ。これから脱オタしようと思う人は、そこら
 辺をよく踏まえたうえで慎重に決断して欲しい※3。脱オタを本当に採用するかどうか
 を決めるのは、周りの女の子でも世間の大人達でも私でもない。あくまであなた自身
 だという事を忘れないで欲しい。


 ・おわりに

  脱オタは確かにいい。もし達成出来るならば、第三世代以降の多くのオタク達が
 抱えている劣等感や自己不全感はダイレクトに解消される。脱オタという手法は、
 この点で最も強力な解消法としてやはり強調されなければならない。将来、オタク
 とか脱オタといった名称が消滅したとて、劣等感や自己不全感を抱えた冴えない
 男性が起死回生をはかるこの手の営みは決して消える事は無いだろう――男性
 としての遺伝的傾向が、無くならない限り――。

  とはいうものの、人間の男性は遺伝的傾向に振り回されっぱなしなほどに原始的
 でもない。私達は防衛機制をはじめとする複雑怪奇な心的フィードバック機構を
 持っているし、理性的な判断や合理的な判断の結果として、本能的充足を犠牲に
 して他の適応状況を優先させるだけの知恵を持っている(勿論、持ってない人も
 多い事は付記しておこう)。だとすれば、脱オタという方法よりも簡便で効果的で
 実現可能性が高い選択肢があるなら、そちらを選ぶことだって出来る筈だ。私達
 には、常に選ぶ権利がある。

  アクセス出来る異性の数の平均値は、男女で差は殆ど無い。当たり前の事だ。
 だが、その分散はというと常に男性のほうが散らばっている。男性がアクセス出来る
 女性の数には明らかな偏りがみられ、女性側の好みに合致しない男性が弾かれる
 という傾向は、現生人類が現生人類である限り決して変わる事がないだろう※4
 この事実を厳粛に受け止めるならば、小手先のコミュニケーションスキル(注:
 コミュニケーションスペックではなく)を向上させるだけではどうにもならない男性も
 存在すると想定しなければなるまい。人には向き不向きがある筈。例え脱オタに
 向いていなくても、他のやり方で劣等感や自己不全感を超克したり折り合いをつけ
 たり出来るなら、それを選べば良いのだ。自らの劣等感や自己不全感に苛まれる
 人達は、あくまで一選択肢として脱オタを捉えるべきだ。繰り返すが、私達には
 常に選ぶ権利がある。自分自身に最も適した適応の在り方を選ぶ権利が※5
 萌えを上手く利用して自らを守る『護身完成』のようなやり方もまた、脱オタと同じく
 有望な方法としてきちんと検討してみるのが適当と思えるのだ。



 →考察トップへもどる



 【※1劣等感を何とかすることができない】

  面白い事に、脱オタに対して極めて批判的な立場をとる“もてない男性達”
 のなかには、異性にモテなければ劣等感や自己不全感を超克出来ないと
 思いこんでいる一群が見受けられる。彼らの“モテ”へのこだわりっぷりは、
 脱オタ“原理主義者”も顔負けの強迫性を帯びており、色んな事を考えさせ
 られる。自分達が脱オタ原理主義者と同じぐらいに異性からの視線に拘って
 いる事を、彼らはどこまで自覚しているのだろうか。もちろん自覚している人
 もいるし、その自覚によって“芸風”に昇華させている興味深い人すらいるが、
 無自覚な人達の脳天気な発言もまた、ネット上のそこここに転がっている。




 【※2カラクリを形成すればいいだけのことである。】
  金持ちであるという事は、単に宝くじの賞金がある事を指すではない。、宝くじの
 賞金のような金銭が恒常的に手に入る状況こそが、金持ちであるという事だ。






 【※3慎重に決断して欲しい。】

  だが、いったん脱オタを決断したら、もう躊躇したり後戻りしたり迷ったりしては
 いけないという事は断っておく。迷わず振り返らず、時間を無駄にせず、だ。
 いったん脱オタを開始したら、もう後ろを振り向けない。振り向いた奴は全員
 塩の柱になって討ち死なので、苦しくても辛くてもひたすら前に進むしかない。

  だからこそ、踏み出すまでに実現可能性やその他を出来る限り検証しておく
 必要があるだろうし、(おそらくは)脱オタを提唱する側と認識されそうな私も、
 脱オタを安易に勧める事は出来ないのだ。こんな冗長なテキストをわざわざ
 書くのも、それを踏まえてのこととご理解いただきたい。一度脱オタという名の
 トロッコが走り出したら、誰にも止められない。脱線して死ぬか、最後まで走り
 抜けるか、どちらかだ。




 【※4決して変わることが無いだろう】

  文化がこうした傾向に一定の修飾を与える事はよく知られている。だが通文化的
 に決して変化しない部分も観察されるという点を、忘れることができない。私は進化
 に関連した人間の配偶戦略に興味を持っているが、“あらゆる性的嗜好・異性選択
 基準が文化レベルで規定され得る”という考えより、“或る程度までは遺伝的傾向に
 よって規定されている”とする考えに説得力を感じている。もちろん、遺伝的傾向が
 全てを規定しているわけでない事は、重ねて強調しておく。遺伝万能厨はどこの国
 にも必ず涌くものだから。




 【※5適応を選ぶ権利が。】

  ここまでのテキストをお読みになった人は、おそらく薄々感じているだろう。脱オタは
 もちろん、仕事における達成も護身完成も、ぬるオタとしての適応すらも、それぞれに
 “要求される最低限のスペック”が存在するという事を。生まれながらに人間は不平等
 だが、なかには今回のディスカッションで示したいかなる方法も達成困難な人が存在
 する事を、私は自覚している。物憂げなこの事実から私は目を逸らせずにいる。
 それこそネットゲームの仮想空間でしか自己実現が出来ない人は、確かに存在して
 いる。残念ながら、私には彼らをどうすれば良いのか全く分からない。無責任と呼ぶ
 なら呼ぶがいい。だが、正直に言えばやはり私には分からないし、分からないものを
 分かったふりをする事も出来ない。そういった人々が将来のたれ死にする可能性を、
 私は否定できずにいる。

  苦しい立場にいる人達を社会的視点から救うべく、日夜議論を重ねている人達に
 お願いしたい。そうした人達を救済する道を、是非社会的視点から論じて欲しい。
 私には思いもつかない知恵で、彼らを何とかする道を示して欲しい。