【2005年9月公開予定テキストのアブストラクト】
・脳内補完における、萌えキャラとオタクとの一方向的関係
メイドや幼なじみなどの諸属性が象徴しているように、萌えキャラはオタク達を決して裏切らず、期待通りの振る舞いをすることを要請されている(この要請に応えきれなかったキャラは、駄目またはハズレという事になる)。それゆえ萌えという営みは、オタクがキャラに一方的にあらゆる欲望を投射するような構造をとっており、しかも脳内補完が脳内で行われるためキャラ⇔オタクの距離は零となっている。この零距離な関係においては、オタクの願望=キャラの願望であり、オタクの要求=キャラの要求となる。これらから、萌えという営みは殆ど自分の願望を愛でるに等しいような、ナルシスティックな様相を呈していると言えるのではないだろうか。 →本文
・オタクの精神病理としての「劣等感や自己不全感」
これまでのnerd studyや今回の萌え特集テキストをまとめていくうち、侮蔑されがちなオタク達において高頻度で抽出される心的傾向に気づかざるを得なかった。脱オタ・萌えコンテンツ・リアル恋愛などに対する情緒的反応・不遇な生活歴などをみると、彼らが(主として異性やスクールカースト上位者達に対して)劣等感や不全感を持っていて、低い自己評価に甘んじている事が窺える。しかも、歳をとっていってもなかなかこうした「劣等感のようなもの」が消えていかないオタクが少なくないように見える。この手の心的傾向が、オタク達の諸行動に大きな影響を与えていると考えていけば、彼らの様々な性質がいっそう理解しやすくなるのではないだろうか。 →本文一つ目
・二次元コンプレックスの、原因・病態に基づく分類
少なからぬ萌えオタ達は、自分のことを二次元コンプレックスと称する。だが、彼らの実態は一枚岩ではなく、真性・偽性、一次性・二次性といった分類が可能な様々な自称二次コンによって構成されていると思われる。このテキストは、真性/偽性、一次性/二次性という分類で二次コンオタクを解説してみたものである。 →本文
・適応の一助としての萌え
「劣等感のようなもの」を抱えて生きるのはラクではないかもしれない。だが、萌えをはじめとしてオタク界隈に生きる事は果たして“非適応的”な選択として退けられるものだろうか?あるいは全てのオタクは脱オタしていく事こそが“適応的な”選択と言えるのだろうか?実際は、オタク達のなかには脱オタという選択肢を選ぶ事が困難な人々や、そもそも脱オタという選択肢を選ぶメリットの少ない人々が混じっていると思われる。萌えの適応促進的な部分だけが強調されるようなコンテキスト(状況)を生きるオタクは、少数ながらも存在する筈である。敢えて萌えオタであり続けるという選択肢の可能性について触れてみるテキスト。 →本文
・オタクにみられる防衛機制
前述の、「劣等感のようなもの」を抱えたオタク達を対象に、彼らがしばしば露呈させる種々の防衛機制について記述を試みる。防衛機制そのものは、全ての人間において常に発動している心的防御機構と言えるわけだが、何をどれだけ防衛しているかによって、発動してくる防衛機制のバリエーションや頻度・強度は変化する。オタク、ことに「劣等感のようなもの」に拘わる度合いがひどいオタクをはじめ、防衛しなければならない必要性が高いオタクなら強い防衛機制が観察されると予測される。諸防衛機制を分類ごとに解説した上で、それらの防衛機制から類推される事・オタクという適応の特徴などについて考察を付け加えたい。 →本文