オリュンポスから素敵なお年玉が届きました。個別リアです。
希望される方は、あなたの個・人・情・報を明記し、下記の宛先までご一報ください。収集した個・人・情・報は有益に活用させていただきます。
……あーあ、どうしてテレバイダー終わっちゃったんかなぁ、、、って、たぶん寿命だったんだろうな。どんなに面白いものでもあまり続くと飽きちゃうしな。
さて。個別リアの中身ですが、これは、、、ええと、アレです、フラグが立ちました。
何処とも知れぬ場所でナニやら怪しげなモノを飲まされ、過去だか未来だかよくわかんない光景を見せられ、病室で現に戻るという感じです。
重要なのはナニやら怪しげなモノを飲まされた、ということです。本リアを読むと、どうやら身体にも異常をきたしておるようです。「妙に白血球が多い」とか。
これはゴイスです。上手くやれば人魚になれるかも知れません。下手すると体中癌細胞の塊になって醜く野垂れ死ぬかも知れません。ドキドキです。ポヤッチオです。
残りがあと2ターンということから考えると、ここは病状(?)のより一層の進行を目指そうかと。「宗教上の理由」で一切の投薬を拒否してみるとか。
どうせやるんだったら、物語の中で唯一無二の存在になりたいと、そう思っているわけですよ。
「名前と口調を他のキャラのものに置き換えても違和感がない描写」ではなしに、他の誰でもなく自分のPCしかできないことをやりたいと。
無闇に突飛なことをやろうということじゃなくて、行動とキャラクターとをうまく合致させることができれば、「自分にしかできないこと」はきっと見えてくるはずで。
PBMは、回を経るに連れて自由度は下がっていきます。「自分にしかできないこと」が見えてくると、他の行動を起こしにくくなるからです。
逆に、終盤にさしかかってもなんでもできそうな気がする場合は、それまでの自分の行動をよく見直すべきです。
「おやまじ」をやってた時はまさに後者で、アクション遅刻して描写が薄めになったせいもあるでしょうが、最後の二回は何をしてよいやらまるきり見失っているような状況でして。
これはつまり自分の居場所を見失っているわけで、まあ遅刻とかへなちょこアクションとかいう自業自得でありながら、一抹の寂しさは拭いきれなかった次第です。
とまれ、DS2ではヨーコ様のお側に居場所を作れればいいなということを、今年一年の抱負として掲げておきます。新年らしく。
ところで。
「PBMファンサイト」がなんであるか、というのは、確かに難しい話ですね。自分でそんな言葉を使っておきながら、あまり深く考えたことはありませんでした。
PBM好きな人が運営していて、コンスタントにPBMの話題が出ればそれは立派なPBMファンサイトだと思ってるんですが。
「活躍したい初心者のためのアクション講座」を読みました。これは「NPCに恋する人のための恋愛講座」で紹介した深度測定長さんのサイトの一コンテンツなのですが、面白かったのでご紹介。
……ええと、僕が僕を含めた初心者プレイヤーにおすすめするアクション作成法ですけれども、「(話を)聞く」「調べる」「説得する」をNGワードにしてください。これらの単語は意識的かつ徹底的に避けましょう。これだけでクラスのみんなを一歩リードできます。
この三点セットを使いこなせる人は、相当の手練れです。そう考えてほぼ間違いないです。
※後日附記:上記の三点セットを避けるといっても、行動の結果として誰かに話を聞くとか、何かを調べるとか、説得することになるのを期待するのは問題ないです。ただ、これらの単語をできるだけ使わず、別の言葉で代用してみましょう、ということです。
ところで。
補足しなければ理解してもらえない「お約束」は、「お約束」ではないです。「お約束」という字面が誤解を与えているのだとすれば、「共通言語」と言い換えてもよいです。
例えば、「泥水のようなコーヒー」という暗喩があります。この暗喩は、「そのコーヒーは不味そう」という認識を要求しています。これがここで言う「共通言語」です。「そのコーヒーは不味そう」と直接的に明示する代わりに、「泥水のような」という暗喩を挟むことで、表現に膨らみを持たせるとともに、認識に揺らぎを与えています。
「泥水のようなコーヒー」と言われて、美味しそうだと連想する人はまずいないでしょう。けれど、具体的にどのように不味いのかは、受け取る人によってそれぞれ異なります。
僕はこの暗喩のようなアクションがかけられるようになるといいなと思います。大まかなイメージは確実に伝えることができて、でも柔軟に形を変えてくれるような。
「燃費の悪いアクション」という表現を思いつきました。いやまあホントに思いついただけなんですけど。折角なので意味をこれから考えてみます。
とはいえ、だいたいのイメージはあります。別紙やら何やらを使って長々と書き連ねてはいるが、まとめると数行にも満たないアクション、です。アクションの文字数よりもリアクションでの描写の文字数の方が少ないとでもいうべきか。
ええとですね、僕はこういうアクションを否定するつもりはありません。
燃費の悪い車、というと聞こえは悪いですけど、そういう車には、たいてい見栄えとか別の部分に魅力があるわけで。燃費が悪い=ダメ車、とはなりません。
それと同様に、燃費の悪いアクション=ダメアクション、ではありません。アクションを表現する言葉の一つに過ぎません。
……という感じでどうだろう。燃費の悪いアクション。僕は燃費の良いアクションの方が好きだけれど、でも気分次第で回り道したい気分の時もあるだろうし。さて。
あのですね、「こういうアクションはよろしくない」みたいな、いわゆる「べからず集」っていうのがあるんです。たとえば、15日に紹介した「活躍したい初心者のためのアクション講座」にも「こういう失敗に注意」なんて項があるんですけど。でもね、「そういうアクションをかけたら絶対に失敗をする」というものでもないと思うんですね。
私はですね、この手の「べからず集」というものを通じてですね、そこに挙げられている行為の、その、デメリットをですね、知っていただきたいと思うわけです。英雄症候群然り、突飛な設定然り、これらの手法を採る方というのは、これらの手法のメリットは知っていると思うんですね。何らかの魅力があるから、そういうことをなさるんですね。でもね、そういう人というのは、結構な割合でですね、それらの手法のデメリットをご存じでないことがあると、ええ、申し上げたいわけであります。あるいは、メリットだと思っていたけれでも実はそんなことはなく、むしろ逆効果であったりするかも知れないということをですね、知っていただきたいと思うわけです。
してですね、自分の採っている手法がですね、これらの「べからず集」に掲載されていたとしても、別段気に病む必要はないと思うんですね。こと、その手法のメリットとデメリットを把握した上で採用なさっているのでしたらなおのことであります。もちろん、自分の知らなかったメリットやデメリットが掲載されていたならば、参考にはなるかと思いますよ。
とにかくですね、まとめますと、「べからず集」に掲載されている手法については、そういうデメリットがあると知った上でその手法を採る、もしくは、そういうデメリットがあると主張している人物がいると知った上でそのようなデメリットはないと判断する、のいずれかであれば、まったく問題ないと、ええ、私は確信しております。
以上が私の答弁であります、委員長!
フリー行動。が、あるんです。DS2に。なんでもできるんです。
●フリー行動(行動料金20クレジット)この「フリー行動」というのは、つまりは「サポート外の遊び方」なのではないかと。パソコンソフトでも「自作PCでの動作は保証いたしません」という注意書きがあったりします。それと同じく、「自作選択肢での動作は保証いたしません」であり、「たとえ採用されなかったとしても、その原因は自分で考えて解決してください」であるのだと思います。
『デモンスリンガー2』で最も自由度が高い代わり、すべてが自己責任の行動が「フリー行動」です。
これまで用意されたアクションや行動一覧表を見ても、あなたのキャラクターが満足いかない場合は、こちらを選択するといいでしょう。
ならばなぜそんな推奨しないフリー行動なんてものを作るのかというと、自由度に関するプレイヤーの不満を解消するため、という面もあるでしょうけれども、マスターも考えていなかった面白い展開がそのフリー行動から生まれるかもと期待している、というのもあるのかも知れません。
耳コピー。
米澤穂信「氷菓」(角川スニーカー文庫、スニーカーミステリ倶楽部)から。
《アクション》
日曜日に、奉太郎を「学校以外で会いたい」と頼む。会う場所は奉太郎に任せる。
奉太郎に伯父のことを話し、自分の疑問を解消して欲しいと告げる。
「……部室の鍵がかかっていた時も、伊原さんが図書館で問題を出した時も、折木さんはわたしが想像もしなかった結論を出してくれたからです。図々しい考え方だとは思いますが、折木さんならわたしを答えまで連れていってくれると思うのです」《リアクション》
気が進むわけがない。第一にそれは、千反田の言う通り引き受ける義理のない厄介事だ。そして第二に、もし俺がなんの成果も出せなかったら、俺はきっと千反田に対し申し訳ないと思い自分の無力を呪う羽目になるだろう。ことは気楽な知恵試しじゃない、千反田という一人の人間の大げさに言えば人生観に関わってくることだ。それに対し俺が、この省エネ主義の奉太郎が少しでも責任を負うと? ご冗談を。そして奉太郎は言う。
「頼れるやつは他にもいるだろう」と。
「人海戦術を使えばいい。里志にも伊原にも、お前の他の友達にも頼めばいいだろう」と。
「わたしは、折木さん。過去を吹聴して回る趣味はありません」その他、どんな謎にもすらすら答える奉太郎と伯父を重ねて見ていたこと、伯父が失踪してまもなく七年になること、失踪から七年経つと法律的に伯父は「死んでしまう」ことなどを話すと、奉太郎はついに屈し、
「…………」
「こんなの、誰にでもする話じゃありません」
「俺は、お前に対して責任をとれない」と前置きした上で、えるの記憶を呼び起こす手伝いをすることを約束した。
いやいや、随分と長い引用になってしまいました。ちなみにこの小説の主人公は奉太郎なのですが、ここではえるをPCに、奉太郎をNPCに見立てています。
去年の12月7日の覚え書きで触れた、「氷菓」の続編である「愚者のエンドロール」もそうなんですが、この二作は原因と結果の因果関係がとてもはっきりしているので、参考になります。ミステリですから当然なのかも知れませんが、あまりミステリって読んだことがないものですいません。
さて、今日のテーマは前回と同じく「人にものを頼むときにはどうするか」です。
上記の引用部を一読して、今回のアクションが非常に難しいものであるということを感じていただけたでしょうか? 徹底した省エネ主義の奉太郎に、奉太郎とは直接なんの関わりもないえるの個人的な疑問を解消してもらおうとしているのです。
しかし、PBMでは比較的良くある状況ではないかな、と思います。少なくともヨーコ・ベネフィクス様に関わろうとすれば、おそらくこのような事態に直面するであろうことは想像に難くないです。
なのにえるはその奉太郎を引き込むことに見事成功しています。そうしなきゃ話が進まないという見方もありますが、とまれ、そんなえるの手法を盗んでしまいたいところです。
奉太郎を落とした大きなポイントは、「こんなの、誰にでもする話じゃありません」にあると僕は思います。
プレイヤーにとってNPCは当たり前のごとく特別な存在に映るかも知れませんが、PCにとっては他のPCたちと同じ一人の人物に過ぎません(まあ組織の長官だったり選ばれた戦士だったりと誰の目にも特別な存在であることも多々ありますが)。なぜPCがそのNPCを特別に思っているか、それをいかにしてそのNPCに伝えるか、というのがここでは重要になっています。
「そんなの俺じゃなくてもいいだろう。他の誰かに頼め」という言葉を抑え込めるだけの切り札が、奉太郎の活躍を目の当たりにした上での「こんなの、誰にでもする話じゃありません」です。
その奉太郎は、いささか厭世的すぎるきらいはありますが、基本的には普通の高校生男子です。引用した通り、えるの頼みを断ろうとしたのは面倒だからだけではなく、解決できなかったときにえるに対して申し訳ないと思うのを避けたいからです。目の前で誰かが──可愛い女子生徒が!──困っているのを見て喜ぶ趣味はありません。
この点を踏まえることができれば、あとは説得です。僕が目の敵にしている「説得」です。しかしえるはこの「説得」を素敵に使いこなしています。
「そう思うようになってからわたしは、あの時なにを聞いたのか思い出したいと切実に思うようになりました。やれるだけのことはやったつもりです。当時の環境を再現できればと思って倉にも潜りましたし、疎遠になっている関谷家にもできる範囲で接触しました」えるは、奉太郎に頼む前に「やれるだけのことはやった」のです。これも奉太郎を説得するのにとても強い影響を与えています。自分ではなんの努力もせず、ただただ有能そうな相手を捕まえては自分の願望を押しつける。そんな自分勝手な願いが叶えられるとは到底思えません。「ですが、霧がかかったようというのでしょうか。どうしても思い出せなかった……。そうなれば必要なのは、折木さんの言葉を借りれば、手がかりです」
「ですが、古典部が廃部寸前だとは知りませんでした。容易なこととは考えていませんでしたが、話を訊く相手すらいないとは思いませんでした。職員室にも行きましたが、伯父が高校生だった三十三年前のことを知っている先生はいなかったんです」
「この戦闘に勝つにはアイツの力が必要だ」などのように、事が一刻を争うような状況では「やれるだけのことをやってから頼む」というのは難しいかも知れません。
まあ僕の場合は、NPCと関わるのを至上の目的に置いたりしていますから、そのためなら多少の回り道は辞さない、というか、それが一つの物語になってくれれば言うことはないんですけれども。
もっとも、ヨーコ様の場合はありふれた論拠を挙げても「人が死ぬ? だからなんだっていうのよ」などと一蹴されてしまいそうですが、、、
引き続き、米澤穂信「氷菓」(角川スニーカー文庫、スニーカーミステリ倶楽部)から。
逸る千反田の説得が無理だと知った俺は、妥協案を提示した。いよいよ本気で過去を探すとなったら、二人だけでは手も頭も足りない。三人寄れば文殊の知恵と昔の人も言っている。お前には辛いことかもしれないが、せめて里志と伊原くらいには助力を願わなけば調査の成功は覚束ないと言ったのだ。ということで、奉太郎、える、里志、伊原の四人でえるの思い出を呼び起こすための勉強会を開くことになった。
今日のテーマは「調べる」です。
例えば何かわからないことがあったとして、「資料を徹底的に調べる」というアクションをかけたとします。その結果、上記のように何かしらの資料を発見できて、活発な意見交換をし、三十三年前の事件について推定するという描写をされるかというと、首を傾げざるをえないわけで。
「こんな資料があるに違いない」とばかりに資料をでっち上げ、それを根拠に推定するという手もあるにはあります。が、それはいささか一か八か的な感があります。
もう少し確実な手段を探るならば、やはり過去のリアクションから引っ張ってくるのが妥当な線です。
で、この四つの資料なのですが、さかのぼって読み返してみると、ちゃんと出ています。
まず、『氷菓 第二号』は、『三十三年前に古典部に起きた事件』とやらの存在を四人に示したものでして、このシーンの直前に登場。
『神高月報』は、『氷菓 第二号』を発見する際に、壁新聞部の部員と接触する機会があったのですが、そこで「八月と十二月を除く月刊で昇降口前に貼られる『神高月報』」、「『神高月報』はもう四百号も近い」という記述がありました。一年に十号ですから、約四十年続いている計算になります。
『神山高校五十年の歩み』は、この小説の前半、キャラ紹介ともいえる小さな謎解きに登場したキーアイテムでした。
『団結と祝砲 一号』だけはこのシーンが初出ですが、
「これ、漫研の昔の文集を漁ってたら出てきた冊子。『団結と祝砲 一号』ってタイトルだけど、二号以下は見つからなかったわ。発行は、ちーちゃんのと同じ三十二年前ね。『氷菓』に載ってることなら他の部活の文集にもって思って図書館を調べたんだけど、さすがに三十年も四十年も続いてる部活って滅多になくって。漫研もまだその頃はなかったみたいだけど、本と本棚の間にこれが落ち込んでたのを偶然見つけたの。……凄いでしょ?」とのことで、「資料を探すために図書館を調べる」というアクションに、「『氷菓』に載ってることなら他の部活の文集にもって思って」という根拠を添えています(ちなみに伊原は図書委員です)。
無論、小説とリアクションは違います。最初から最後まで計算されている書き下ろし小説と、ぶっちゃげた話自転車操業なリアクションとでは大きく事情が異なるのです。
伏線が必ずしも完全に張られているとは限りません。伏線をでっち上げることも、小説よりはやりやすいでしょう。むしろ伏線は自分で作り出すこともできます。
耳コピーをする際に、この点だけは忘れてはいけません。小説とPBMの誤差を修整しなければ、耳コピーは役に立ちません。
……と、覚え書きらしく自戒しておきます。
オリュンポスのアクションがなんとなくできあがったのでさらします。
体調変化について、周囲の人間は心配しているかも知れないが、検査や治療などは固辞する。
「あたいは生まれてこの方、病気なんていっこもしたことないんだ。心配なんていらないよ」
「あたいの身体のこたぁあたいが一番よく知ってンだ。あんたらにぐだぐだ言われる筋合いはないね!」
MVウィルスに感染されているとしたら放っておくわけにはいかないとか言われても、耳を塞いで聞かないふり。
「あーあー、なんも聞こえないね」
しぶきが耳を傾けるのは瑠璃の言葉だけ。
消息筋に寄りますと、オリジナルMVってのはどうやら貴重らしいですね。そんなもの掴んでしまったからには、それを路銀にばくちを打ってみましょう。どうせあぶく銭です。宵越しの個別リアは持たないって意識で行きましょう。しぶきは姉御肌の人ですし(確か)。
とまれ、いまだに瑠璃嬢とはまともに会話したことがないので、今回こそまともに面識を持ちたいところです。えへへ。
ええと、15日の覚え書きについて、「「泥水のようなコーヒー」は暗喩ではなく明喩(直喩)です。」というご指摘をいただきました。
あがが、、、お恥ずかしい。まったくもってその通りであります。
該当のテキストは修正せずに放置しておきます。自戒。
そのうち改めてリメイクします。