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ウエストン

ウエストンと恵那山の話題



 ここにはウエストンと恵那山の話題を集めてみました。中には自明のことが新発見 のように書いてあったり、自分勝手なことが書いてあったりするかも知れません。身 勝手な話題です。  読者の皆さんからの話題も掲載したいと思いますので、管理者の金井まで教えてください。 このページに掲載します。


恵那山の白いつつじ
「日本アルプスの登山と探検」には次のような記述があります。海抜2400フィートまで登ったが、 先を急ぐので,樹の茂った出尾根の垂直に切り立った崖を這い上がって、30分でさらに1100フィ ート登った。広葉樹林帯を通りすぎて針葉樹林帯に入る。色々な種類の針葉樹の間をぬけていくと、 木陰の暗がりから、白い優美な花をいっぱいつけた丈の高い躑躅が姿を現す。・・・・
また、明治45年に発刊された「恵那神社誌」には次のような記述があります。
  海抜己に二千五百餘尺、是より樹木鬱蒼たる峻坂を登ること 約一千五百尺、丈高き躑躅(初夏 に白花を開く)多く矮林熊笹喬木長幹の間に狼藉として樹間木曽御岳やゝ一円錐体を成せるを仰ぐ、 ・・・・
この白い躑躅とはシロヤシオツツジ(五葉ツツジ)であろうと推測されます。愛子様のお印として、 五葉ツツジが決まってから一躍有名になりましたが、その花が優美であることは今も昔も変わりあ りません。
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{4/11足立さんからの情報}   昨年6月16日に前の宮ルートで見ました。正確には散っている花を・・・ですが。 見た場所は、八右門の頭〜行者越の間の稜線。(一ノ沢側)5月下旬〜6月初旬が見頃 だったかもしれません。
  結構たくさん白い花が落ちていました。
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2003/5/24シロヤシオ発見
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枯れた桧の大木と赤ヤシオつつじ
中の小屋跡の直下に桧の大木があります。既に枯れていますがこの幹にアカヤシオツツジが共生して います。枯れ木に生えているといっても、かなり大きなもので、集中登山の時期には見事な花を咲か せます。うまくすれば、この時期には紅白のヤシオツツジが見られるかも知れません。
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ウエストンの誤認
「日本アルプスの登山と探検」では、恵那山から見る富士山は赤石岳の右の肩に見えることになって いますが実際には聖岳の右の肩に見えることは良く知られています。
「恵那神社誌」には、「山頂の絶観は木曽駒ケ岳に類し、真東は赤石山のチョウギョウを仰ぎ、その 南肩を啣みて富士山高聳し、・・・」とあります。このことから考えると、中津川の案内人が聖岳を 「赤石山」を言ったのではないでしょうか。
更に、これには伏線があります。ウエストンは明治24年に中央アルプス木曽駒ケ岳に登っています。 そのとき、「東の方には美しい甲州の山々がたち並び、この南の端には赤石山の優美なピラミッドが 雪の稜線からひときわ高く聳えている。(青木枝朗訳)」と述べています。南アルプスの南の端の優美 なピラミッドといえば、やはり、聖岳ではないでしょうか。このころから、ウエストンのメモリーには 誤った情報が記憶されていたのかも知れません。
 さらに、この記憶を確かなものにしたのは、明治25年に赤石岳へ登ったときのことです。赤石山の 北の肩から山頂に達したとき、「そこへ黒雲の塊が押し寄せてきてまわりがほとんど見えなくなってし まった(青木枝朗訳)」そこで、有名な”We viewed the mist, but missed the view.”ということ になってしまいました。(ここのところを青木枝朗氏は 「霧は眺めたが、眺めはそれきり」とうまく 翻訳しています)
 赤石山の北の肩から聖岳は見えないので、赤石岳の南に聳える大きな聖岳を確認できなかったので しょう。もし、南の方角を見ることが出来たら「あの大きな山は何と言う山だ?」ということになり、 聖岳を無視する事にはならなかったでしょう。そうだとすれば、恵那山頂で、富士山が見えるのは「赤 石山の肩」ということを何の疑いも無く受け入れたとしても不思議ではありません。
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 上述したことを年代を追って更に詳しく検討してみると、面白いことになります。 上の考察と矛盾することになりますが、まず、ウエストンの「日本アルプスの登山と探検」があり、 それをもとに高頭式(仁兵衛)が「日本山嶽誌」を編纂した。この日本山嶽誌が「新撰名勝地誌」に 引用され、さらに「恵那神社誌」に引用されたとすれば、全て説明できるのです。
「日本アルプスの登山と探検」:1896年刊、明治35年(1902年)岡野金次郎が横浜で発見し
               小島烏水に連絡
「日本山嶽誌」:編著者、高頭式が原稿を小島烏水のところに持ち込む(明治38年頃)
        明治39年刊(1906年)
「新撰名勝地誌」:発刊年不明(明治40余年頃)
「恵那神社誌」:明治45年刊(1912年)、「新撰名勝地誌」を引用しその中で「小島氏増補」の
        「山嶽誌」として「日本アルプスの登山と探検」と類似の記述がある。
        小島氏増補というのは小島烏水のことであろう。
 さて、先に面白いことになると言ったのは、ウエストンの記述(間違いを含めて)が、回りまわって 地元の恵那神社の社誌に載っているということで、「恵那神社誌」の編著者梅村馨氏が意識していたか どうかは別として、ウエストンはすっかりこの地に融けこんでいたということです。
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