凡ての裁判記録(傍聴した範囲内の記憶)を公開するに当たって一言。被害に遭われたら、泣き寝入りせずに。裁判に持ち込んでください。被害者の皆さんが、自分で出来る、範囲より半歩踏み出せば。被害者の権利が、加害者の権利因り、上に成ると思います。

刑事判決|被害者(甲)
    警察官調書/供述調書

電話聴取書 供述調書
様式第◎号(刑訴第◎◎◎条、第◎◎◎条)
供述調書
(1         )
(電話       )
職 業  会社員
氏 名  被害者(甲)
昭和◇◇年◇月◇◇日生(◇◇歳)
 上記の者は、平成◇◇年◇月◇◇日 新潟県立中央病院において、本職に対し、任意次のとおり供述した。
 私は、福岡大学を卒業した平成◇◇年の春から、現在まで◇◇出版株式会社に勤めています。◇◇出版は全国規模の会社で各都道府県に営業所をもっております。今まで広島、鹿児島、宮崎と勤務し、新潟市にある新潟営業所には平成◇◇年◇◇月から勤務し現在に至ります。
 会社の仕事は、主に進学を控えた子供さんのいる家庭に対する学習教材の販売とアフターサービスになります。私の仕事は指導部に所属し、販売部の人が教材を売ったお客さんに対してのアフターサービスになります。
 具体的にはお客さんの家に設置した機械のファックスで問題集のやり取りをして、添削や電話での質問を受け回答をする等で、いわゆるファックスを使った家庭教師のようなものです。
 そのため契約家庭に対する機械の使い方の指導も含め、仕事は夜遅くなることもあります。
 なお、私は独身で住居地のアパートで一人暮らしであります。
 運転免許は免許証を見ますと、平成◇年◇◇月◇◇日に普通免許を取得し、今まで何回かの更新をし、最近は平成◇◇年◇◇月◇◇日に更新しており平成◇◇年◇◇月◇◇日まで有効になっています。
  私は、現在交通事故で怪我を負い新潟県上越市内の新潟県立中央病院に入院治療中であります。交通事故の細部については事故のため部分的に記憶を失っておりますが、断片的に思い出されることは。
事故の時は仕事で会社の車を運転中であった。
 トンネルを出たら路面にうっすらと白い雪があって
 スリップし、壁にぶつかつてエアバッグが開いて止まった。
 自分の体は大丈夫みたいで車から出ようとした。
 上の方からライトを照らされ声がしたことで気が付いて救助された。
 その時草むらにあお向けの状態だった。
 次に気が付いたのは病院である。
 くらいで、これ以外のことは全く分からないのです。更にその日の行動すら思い出せない状態であり、このことは多分交通事故の時に高所から転落したそうですので、そのため記憶が無くなったものだと思います。
 交通事故の日つまり昨年の12月13日の私の行動や予定については記憶がありませんので、会社から記録を調べてもらったところ。
 午前11時に越路町午後2時に栄町のお客さん宅を訪問し、そして
午後5時からの上越市内のお客さん宅への訪問予定があったとのことですので、たぶん見附インターから高速道路に入り、上越に向かって移動中の柿崎インター手前で事故になったのです。
 私が事故当日運転していた車は、勤め先の新潟営業所のものでトヨタ◇◇◇◇◇◇(登録番号新潟◇◇◇ほ◇◇◇◇号)という乗用車になります。
 新潟へ転勤してきてからずっと私の専用車として使っていたものであり、1年も経ちますから当然運転には慣れていますし、どこも悪い所もなく調子の良い車でした。
 タイヤは昨年11月に、会社の社用車は一斉にスタッドレスタイヤに交換してありましたので、事故当日はスタッドレスタイヤを付けていました。
 次に事故のことについてお話したいのですが、今ほど申し上げたこと以外は思い出すことはできません。
 ですから、私の残っている記憶と会社の人や高速隊の警察の人から事故のことについて聞いていることを総合してお話しますと、事故は
 平成15年12月13日午後5時ころ新潟県中頚城郡柿崎町大字竹鼻地内北陸自動車道上り線において、私が仕事のため一人で上越方面に会社の車を運転中、長岡市に住んでいる被害者(乙)さんの車を追い抜いた時に雪でスリップし、橋の側壁に衝突するという事故を起こしたのです。このことで被害者(乙)さんの車もスリップしてやはり橋の側壁に衝突しとたとのことですが、この事故では小西さんやその同乗者の人も怪我はなかったそうです。この時私の車が被害者(乙)さんの車とぶつかったかどうかは分かりません。
 ところが、この事故の後私と被害者(乙)さんが、事故現場の高速道路の橋の縁を歩いていた時に、新潟市に住む(加害者「被告人」)さんの車がスリップして突っ込んできたことから、私は橋から約25メートル下の車地へ転落して怪我をし、被害者(乙)さんは片足を切断するというそれぞれが重傷を負ったのです。私は橋の下へ転落した状況は覚えていませんし、被害者(乙)さんも私が落ちた瞬間は見ていなかったそうですのでどの様に落ちたのか分からないのですが、スリップして突っ込んできた(加害者「被告人」)さんの車のせいで、私が橋から転落したことは間違いのなもことすだと思います。
 なお、突っ込んできた(加害者「被告人」)さんには怪我はなかったそうです。
 事故現場は普段私は仕事で、週に1、2回は運転していますので、通り慣れた道ということになります。規制速度は80キロですが、悪天候等の時は50キロになることも知っております。
 しかし、事故当時の記憶が無くなっているため、当時の規制や近くを走っていた被害者(乙)さんの車も思い出せない状態です。
 事故の原因について思い当る点は、現場の道路は雪が積もり白くなっていたという記憶がありますが、相手の(加害者「被告人」)さんがどのような原因で車の運転を誤ったのかは分かりません。
 (加害者「被告人」)さんとの事故に関しては、道路の端を歩いていたのですから私の落ち度はないものと思います。最初の物損事故に関しては私がスリップしなければ良かったものと反省しています。
 それは、私と被害者(乙)さんの事故が無かったとしたら、(加害者「被告人」)さんもこの様なことにはならなかったかも知れないと思うからです。
 私の怪我は、昏酔状態が2週間続いたそうで医師の診断書によりますと、
 骨盤骨折、四肢不全麻痺、脳出血、肺挫傷などで、受傷後約12週間の治療を要すとのことになっていますが、今後リハビリを入れると相当長期間になるものと思います。
 現在の状態は、リハビリの毎日ですが治るスピードも頭打ちになっておりいまだに
  両足麻痺
  右半身のしびれ
  言葉のかすれ
が強い状態で、車椅子で病棟のトイレに行くのがやっとのくらいであり、長時間の車椅子などの体制は体が痛くなるのです。
10  治療費の支払いや示談関係は、(加害者「被告人」)さんの車の保険屋さんが挨拶に一回こられたくらいで、具体的な話は無く示談はこれからになると思います。
11  母の話では、相手の(加害者「被告人」)さんは事故の後一週間くらいは毎日見舞いに来てくれたそうで、今年になってからも2回来ていただいているとのことです。相手方に対する処罰は、交通事故は立場が逆のことを考えると、気持ちは複雑ですが補償などが解決するならば、強い処罰は望みません。
12  事故の翌日には病院へ父母「被害者(甲・父)被害者(甲・母)」が来てくれ、現在まで母にずっと病院で付き添ってもらちています。
 今後の予定ですが、3月4日に付き添いに来ている母の負担を考え、佐賀の実家に近い 
   福岡県久留米市
   久留米医科大学病院
へ転院することが決まっております。
13  今後のことになりますが、私としては
   怪我の回復関係
   後遺症の問題
   仕事の関係
が主な心配であります。会社の方からはもし車椅子の生活になっても在籍させるようなお話をいただいてはいますが、今の状態からすれば遠い将来のこととしか考えられません。
 一進一退ですが、リハビリで少しでも体の回復に努力していくことが、自分のため両親のためであるので頑張っていこうと思っています。
14  両親が住む実家は
になりますので、今後私の連絡関係は実家になります。
  新潟のアパートは私の転院により引き払うことになります。
15  私がスリップした事故当時、シートベルトを着けていたかどうかは、記憶がありませんが、普段は必ず着けていることから多分当時もシートベルトを着けていたものと思います。
16  今回の事故の相手である(加害者「被告人」)さんを含め、他の方達とは親戚関係等もなく知らない人達であります。
被害者(甲)
 以上のとおり録取して読み聞かせたところ誤りのないことを申じ立て署名押し 印した
 前同日
◎◎県警察本部交通部高速道路交通警察隊
 法警察員 巡査部長 ◎◎◎◎

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