今年は競馬をやるよ!
……ということで一年の初めらしく今年の決意を新たにします。
とりあえず訳もなくシンコウラブリイという10年以上前に引退したお馬さんを応援することにしました。
現役のシンコウラブリイ産駒は3頭。5歳レディクローリス(父フォーティナイナー)、4歳ピサノグラフ(父サンデーサイレンス)はともに牝馬で、さらに条件馬。母親には遠く及ばない戦績ではありますが、それこそ一勝もできずにターフを去る馬や、それどころか中央競馬でも地方競馬でも走ることができない馬もいる中で、コンスタントに入着賞金をくわえている二頭は健闘している方みたいです。
昨年12月にデビューしたロードアルファード(父エルコンドルパサー)は、血統の良さからか三番人気につけたものの着外の7着。1月9日に出走予定でしたが除外され、1月21日(土)京都・3歳未勝利・芝1800mに目標を切り替えたそうです。
アルファードの父エルコンドルパサーは、キングマンボの子でありミスタープロスペクターの孫。レディクローリスの父フォーティナイナーもミスタープロスペクターの子なので、アルファードは3/4弟、ということになるのかしら。
血統に突っ込んでいくとドツボにはまりそうなので、まあほどほどに。
そんなこんなで今年は時折ここに競馬関連の覚え書きも書いたりしそうですが、FC東京のことをあまりここに書かなくなったのと同じような理由で、そのうち競馬のことも書かなくなりそうです。
一応「あそびば」はメイルゲームに関するサイト、ということで。
さてそんなこんなで改めましてメイルゲームの話題を。ちょっと熱めに。
「諦めたら負け」なのです。
「交流してないから」とか、「他のリアクションを読んでないから」とか、「アクションが下手だから」とか、「アクションを考える時間がないから」とか、「今まで活躍できてないから」とか、そういう理由で諦めるの禁止!
もちろん交流にせよ活躍にせよできているのならばそれは一つのアドバンテージではありますが、絶対的な格差ではないわけです。やり方次第ではその差を埋めることだって可能なのです。
メイルゲームは、勝つ人がいれば負ける人が必ず存在する麻雀のようなゼロサムゲームではなく、勝利条件の立て方によっては、全員が勝者になる可能性のある(あくまで可能性ですけど)ゲームです。
だからといって安易に勝てるようでは、熱意の持ちようもありません。
「ゲームなんだから楽しければそれでいいじゃん」という見方もあるでしょうけれど、「ゲームだからこそ勝ち負けにこだわりたい」と、僕は思うのです。
そこで「じゃあメイルゲームの勝ち負けって何だ?」という問いも出てくるのです。
オセロであれば「ゲーム終了時に自分の色の多い方が勝ち」であり、将棋であれば「相手の王将を取れば勝ち」です。はっきりしています。
ですがメイルゲームははっきりしていません。「活躍したら勝ち」と言えなくもないですが、「活躍」の定義がこれまた曖昧です。
でもそこで諦めたら負けなのですよ!
もちろんさじ加減は難しいです。闇雲に大活躍を望んでも、達成できずに落ち込むばかりですし、かといってあまりに目標を低く設定しても、それはそれで達成感が薄くなります。
メイルゲームなんて最初の数回は顔見せで、前半に一度でもドンと名前を出すことができれば、あとはそこを足がかりにしていけばなんとかなる、と割り切ってしまうのも一つの手です。
たとえば、全10ターンであれば、最初の5ターンの間に一度活躍する、ということを目標にしてみるわけです。打率でいえば2割。アクションにかける時間がなくても、交流する余裕がなくても、メイルゲームの経験が足りなくても、なんとなくできそうな気がしないでもないです。
個人的には完勝したと思っているDS2でも、PCシャロンがまともに活躍できたのは3ターン目が最初。ここに至るまでは相当外したアクションをかけ続けてきたんですけれども、それでも最後には満足のいく結果を得られたので、最初の数ターンで活躍できなかったからといって、単純に諦めてしまうのは早計というものです。ここで一度名前を出してからは、他にも理由はあったのでしょうけれど、それなりに重要な役職に入り込めたような気がします。
もちろんマスターやシナリオが肌に合わなければ早めに見切ってシナリオ移動したり退会したりというのも手ですけど、それはまた別の話ということにしておきます。
とにかく打率2割を狙うのであれば、どうせなら当たれば大きくなるアクションを狙ってみましょう。
石ころを放り投げて、帰ってくる音で安全かそうでないかを探るようなアクションでは、もし読みが当たってもそのターンでの活躍はあまり望めません。そのリアクションを踏まえて次のターンに活躍したいと思えば2ターン続けて当てなければならず、求められる打率が4割に跳ね上がります。イチローもかくや、です。
狙って4割打てる人ならそもそも「前半で一回でも活躍すればいい」なんてみみっちい(かどうかは知りませんけど)目標を掲げる必要がありませんね。
話が抽象的になってしまいましたが、「勝利条件の立て方」というのはそういうことで、自分が持っているもの(時間やら友人やら金銭やら経験やら)と相談しながら、その範囲でできることを考えるのです。
その際、1ターン1ターンで刹那的に勝ち負けを判断するのではなく、数ターンを踏まえてみる、という考え方を視野に入れてみてはどうでしょうか、という「あそびば」からの2006年のご提案でした。
今年は競馬をやるよ! という宣言通り競馬をしてきました。
なにしろ近所の府中競馬場に、稀少なシンコウラブリイ産駒が2頭も来てくれるんですからね! これはもう行かないわけにはいきませんね!
ということで、3歳牡馬のロードアルファードは3戦目にして初勝利。4歳牝馬のピサログラフは1000万以下から1600万以下への昇格初戦で3着につける大健闘。
僕は僕で100円単位の勝ったり負けたりを繰り返し、最終的に300円プラスの、初心者にしては健闘した方でした。
収支がプラスだったこともありますけれど、やっぱり応援している馬が頑張ってくれると楽しくなります。でもこれは馬券が当たるということ以外の「ビギナーズラック」だったのかも知れません。
勝つ馬を当てることよりも、応援する馬が勝つことの方が、もしかしたらよっぽど確率の低いことなのかも知れないし、まだ僕にとっては稀少な二頭が同じ日に同じ場所で出走してくれて、しかも二頭とも入着してくれるということは、この先二度とないことなんじゃなかろうか、という気さえします。
そういう意味で、今日のことはシンコウラブリイが僕にくれた贈り物なのだろうと、勝手に思っておくことにします。
これを心の糧に、またそのうち競馬場に繰り出すつもりです。
割に合わないと思いながらもメイルゲームを続けてしまう心理も、やっぱりこんな感じなんだろうなぁ、とか。
ということで耳コピー、今日は「調べる」について考えます。
賀東招二。「フルメタル・パニック! 燃えるワン・マン・フォース」。富士見ファンタジア文庫。
「〈アマルガム〉は正体不明の組織だ。だれが、どこで、どう関わっているかを知る手段はほとんどない。その数少ない手掛かりが、このナムサクの街とASの闇バトルだ。俺の部隊はこれまで、〈アマルガム〉のASを何度か撃破してきた。回収できた死体から身元が特定された操縦兵のうち何人かが、このナムサクで選手をやっていたのだ」《アクション》
《リアクション》
順調に勝ち進むと、やがて宗介は市場で警官隊に拉致される。取り調べに現れた署長がどうやらこのあたりでは一番の権力者らしく、闇バトルの話を持ちかけると、宗介に探りを入れてきた。
「あれに出たがる者は二種類しかいない。借金や弱みを握られた元AS乗りか、己の実力を過信した馬鹿者か。そのいずれかだ。わざわざおまえが興味を示す理由を聞こうか」
「まず、カネが要る。女を買い戻したい。娼婦だ」
「どこの」
「この街じゃない。トーキョーだ」
もちろんでたらめだ。酒場やテレビで耳にした、ありきたりな話を持ってきたに過ぎない。女が東京にいることにしたのは、単に署長たちが裏を取りづらいからだけだった。
それくらいのことなら、署長にも想像はつくだろう。女の話にはたいして興味もない様子で、彼は指摘した。
「ほかの理由は?」
「あんたの仕事と似たようなものだ。こういう部屋が好きなんだろう?」
そう言って、宗介は薄汚れた取調室──血の跡と歯、爪が散在した部屋を見渡した。
苦痛の痕跡。暴力の匂い。
見せかけではない、本当のそれ。
「闘技場の競技はスポーツだ。ジェット燃料の刺激臭はあっても、血や硝煙の匂いはどこにもない」
「それが理由になるとでもいうのかね?」
「充分だと思うが?」
すると署長は全身をゆすって笑った。たるんだ肉が小刻みに震え、紫色の唇の隙間から引きつった笑い声がもれる。
「どうやら二番目の方らしいねえ。よほど自分の腕に自信があるとみえる」
「答えを聞きたい」
「面白い、面白いよ。口を利いてやろう。ただし──おまえには何の後ろ盾もない。『裏競技』が終わって信用を得るまで、あのフランス人の身柄は預かっておこう。おまえは帰っていいよ、サガラ・ソウスケ」
そうとだけ言って、署長は取調室を出て行った。
「調べる」というアクションには発展性がないと、常々思っているわけです。
なんというか、巣の中で大口を開けて餌を待っている雛鳥のような構図しか思いつかなくて。
もちろん餌を食べていればそのうち身体も大きくなって、やがて羽ばたくこともできるのかも知れません──が。
以前に「氷菓」でやった耳コピーの時にもこんなことを書きました。
このように、過去の描写を踏まえた上で初めて「調べる」アクションは効果を発揮するのだと、僕は思います。だから初心者や、初心者でなくとも第一ターンから「調べるアクション」をするのはおすすめしないのです。初回から「調べるアクション」をかけても、確かになにかしらの情報は得られるかもしれませんが、それは何もしなくても提示されるであろう「必要最低限の情報」だと思います。今回の耳コピーは特に序盤とも終盤とも想定してはいませんが、ともあれ「ナムサクの街で調べる」とだけ書いて、何か進展があるとは考えにくいわけで。
僕が「調べる」やら「話を聞く」やらに対して否定的なのは、それらのアクションが情報「だけ」を求めている場合です。
僕は「他の誰でもない、自分だけの描写」が欲しいです。どんなにたくさん登場していても、「名前と口調を他のキャラのものに置き換えても違和感がない描写」ばかりでは面白くありません。
しかし「情報」は汎用です。誰にとっても平等です。ゲームによって考え方は異なるかも知れませんが、基本的には、「リアクションの内容はPCも知っていることにして構わない」です。ですから、どんなに頑張って「情報」を得ても、それが個別リアクションにでもならない限り、他の誰かに手柄を持って行かれる危険性があります。
今回の例でいえば、仮に「調べる」というアクションの結果、「闇バトルの観覧者の中に、〈アマルガム〉のメンバーがいるらしい」という「情報」を得たとしましょう。でもそれはリアクションを通じて他のプレイヤーも知ることができますから、今回は別のことをしていても、次回に闇バトルに関わり、自分よりも〈アマルガム〉に近づいてしまうかも知れません。
だから、どうせ情報を集めるのなら、その時点で何らかのアドバンテージを得られるような状態にしておきたいわけです。作中なら宗介は闇バトルに参加する権利を得ていますし、「〈アマルガム〉の名前を出して……」というアクションなら相手から目をつけられた状態で次ターンが始まるわけです。
それはつまり、良きにつけ悪しきにつけ、そのターンに別のことをしていたPCに比べれば、〈アマルガム〉に対して自分だけのとっかかりを持っていることになるのです。
自分だけのとっかかりを持っていれば、次回以降も「そのPCならでは」の行動がしやすくなりますし、その結果も「他のキャラでは替えが効かないこと」になりやすくなります。
結局のところ、リアクションでどんなに情報を集めたところで、それは不十分なのです。
例えば推理小説のように、それまでの描写から得られた情報を論理的に組み立てて理路整然と相手を問い詰め、屈服させるということは、メイルゲームでは難しいです。なぜなら推理小説では最初からラストに向けての準備がなされていますし、相手を屈服させるだけの材料が揃えられていますが、メイルゲームではきちんと材料が揃っているとは限りません。
むしろ解釈の幅を持たせるために、不確かな部分を残してあることの方が少なくないでしょう。あまりガチガチに決めてしまってはアクションの自由度がなくなってしまいますから、マスターはどうしたって不確かな部分を残します。
もし仮にかっちりと論理と証拠が組まれていたとしたら、それはそれでゲームとして成立しにくくなります。このあたりは以前にも紹介したGΛΜΙΛΝから、「推理するゲーム 逆転裁判」で詳しく述べられています。(後日注:サーバが飛んでいるらしいのでキャッシュ)
「逆転裁判」はゲームボーイアドバンスのゲームですが、この文章はリンク先の「ミステリの構造と傑作ゲーム「逆転裁判」について」と併せて、メイルゲームにも十分通用する話です。
コンピュータゲームでは、ある程度の情報を集めれば(フラグが立てば)、主人公が勝手にそれらの情報を組み立ててくれたりします。町の人の会話が変化したり、さっきまで立ち塞がっていた門番がいなくなったりして、「ああ、今必要な情報が揃った(フラグが立った)のだな」と理解することもできます。
けれどもメイルゲームではどこでフラグが立ったのかを、プレイヤー自身で判断しなければならないことがよくあります。そのためにすでに立っているフラグを見逃して、過剰な情報集めに奔走してしまう羽目になるのです。
しかしこの「フラグをやり過ごすことができる」というのもメイルゲームの特長なのです。
物語の中で何に関わっていくかを選べるということは、勝ち目のない勝負は最初から切り捨て、得意な部分で活躍を望むこともやりやすくなるわけです。
それは一回しか回ってこない回転寿司みたいなもので、美味しそうに見えて食べてみたけどそれほどでもなかったとか、やり過ごした後であっちの方が美味しそうだったとか、そういうことも往々にしてあるわけで。
そのあたりの選球眼みたいなものも、プレイヤーに必要なスキルなのかな、とか。
無理矢理結論に持っていきますと、情報は何をやっても手に入ります。もちろん調べる方法によって多少の増減はあるでしょうけれども、それよりもむしろ「その情報に対する立ち位置」を確立する方が、どちらかといえばやりやすいし、その後の活躍につながりやすい、と僕は思います。
メイルゲームのリアクションはキャラ小説的であり、ライトノベル的であるわけです。
ということで、新城カズマ氏の「ライトノベル『超』入門」を読んで思ったことなんかを書いておきます。
この本の中で氏は「ライトノベル(を含めたアニメ、マンガ文化)には魅力的なキャラクターが登場し、読者はそのキャラクターについて邪推すること(で楽しむこと)ができる」というようなことを書いています。
メイルゲームの参加者層は(マスターも?)ライトノベルやアニメ、マンガの購買者層とほぼ重なっていると思われます。従ってライトノベルの法則や技法もかなりの部分でメイルゲームに適用することができそうです。
メイルゲームにはNPCや自分の考えたPCが登場します。そしてプレイヤーはNPCやPCについて、「このキャラクターはこういう場面でこういう行動をするだろう」と「邪推」し、それによってゲームが展開していきます。ライトノベルやアニメ、マンガに親しんだ人ならば、この「邪推」は日常的に行っている行為でしょう。同人誌を作るまでもなく、その先の展開を予想することだけでも十分に「邪推」しています。
ただ、ライトノベルとメイルゲームの大きな相違点は、「邪推」がそれだけで終わらないことです。
ライトノベルの今後の展開を考えたり、登場人物を組み合わせて作った同人誌的な物語はそこで完結しますから、仮に物語の世界設定やその後の展開と違っていたり、他の人の「邪推」と食い違っていたところで問題ありません。例えば擬人化や性別転換ものなどは、ハナから世界設定を意図的に改変しています。
しかしメイルゲームではそうも行きません。世界設定に反したアクションは不採用になりますし、他の人の「邪推(=アクション)」と相反していれば、どちらかがやはり不採用になるわけです。
ですから、メイルゲームのアクションをライトノベルに対してするような「邪推」と同じように考えてしまうと、どうしても無理が出てきます。その「邪推」について、ある程度責任を取る必要が出てくるのです。
「PBM覚え書き」では、ライトノベルのワンシーンをメイルゲームに置き換える「アクションの耳コピー」という手法を提案していますが、それだって小説とメイルゲームの違いを認識しなければ意味がありません、と3年前に書きました。
(いささか語弊はあるにせよ)投げっぱなしで構わない同人誌的「邪推」と、その後の影響を考慮しなければならないメイルゲーム的「邪推」の違いです。
それを踏まえた上で、ライトノベル(非ライトノベル小説だって構わないですけど)とメイルゲームとの共通点を見出すことで、より良いアクションというものを考えることができると思うわけです。
小説でもマンガでも、もっと広げて野球でもサッカーでも料理でも服飾デザインでも、その世界にはプロが存在し、それを真似ることである程度の技術を高めることができます。
またコンシューマゲームであれば、ある程度の有名タイトルならばプロ的な人々がまとめた攻略本が存在します。
けれどもメイルゲームプレイヤーにはプロフェッショナルが存在しません。真似るべき対象がなかなか見あたらないのです。
とはいえプロフェッショナルを真似る必要はありません。例えばスキーやスノボでは、いきなりゲレンデに出て、ひたすら滑って転んで覚えるというやり方でも、個人的に楽しめるレベルには到達できます。ただ個人的に楽しめるレベルに至るまでに嫌になって(あるいは大怪我をして)スキーをやめてしまったら元も子もないわけです。そうならないためにスキー教室があったり、滑り方をレクチャーするビデオや本があったりするわけです。
メイルゲームの「個人的に楽しめるレベル」がどの程度なのかはよくわかりませんが、僕は「数ターンに一度は意図に沿った形で(ただのラッキーとかではなく)アクションが採用される」ではないかな、と思っています。これも延々と不採用が続き、個人的に楽しめるレベルに至る前にメイルゲームをやめてしまったらそこで終わってしまいます。
でもメイルゲームにはスキー教室や教本の類があまりありません(スタートブック等におまけ程度の扱いで載っているに過ぎません)。だからより近いもの、ライトノベルやアニメ、ゲーム的なものから学ぶことも多いでしょう。
一緒に「すぐにできるキャラクター作り」という本も買ったので、これから数回に分けて、こちらの本で書かれていることをメイルゲームで活用する方法について考えてみます。
ということでキャラクター作りのテキストは某所に転載したためこちらからは表向き削除します。
このところ夜はすぐに眠くなるので、なかなかまとまった文章を書けません。やれやれです。
まあ今までの文章がちゃんとまとまっていたのかと問われると答えに詰まりますが、ここでは量的に、という意味で考えることとして。
覚え書きとして、「ジェンナーロ・ガットゥーゾのコメント」へのリンク。
すべてがそうというわけでもないですが、サッカーの審判とメイルゲームのマスターには似たところがあって、こと精神的、哲学的には近いものがあると僕は思います。
孫引きになってしまいますが少しだけ引用。
要するに、最初のファールで試合の流れを思い通りの方向にコントロールできるのが、優秀な審判の条件ってことになる。 逆にいえば、それができなければ、絶対いいレフェリーにはなれないぜ最初のターンで、このシナリオはこういうことをする場所ですよ、と、ガツンと言ってやらなきゃいけない。さもないと、プレイヤーは迷走する。
ええっと、とある場所でアクション作成技術に関する連載を持つことになりました。
そこでは僕が今までに集めたノウハウを色々とご紹介するつもりなのですが、その中にはこの「PBM覚え書き」で書いてきたことも多分に含まれる予定です。
そういう意味では、ここを今までずっと読んできた方にとっては、さして目新しくもない、どこかで読んだような話が展開されることになるかも知れません。
ただ、「PBM覚え書き」はあくまで覚え書きであり、僕が僕の考えを整理、あるいは記憶しておくために書き留めているものです。誰かの目に触れるということを意識してはいますが、必ずしも体系立ってはいませんし、その論理に不親切な部分もたくさんあります。
その連載では、これまでの「PBM覚え書き」を整理し、アクションに対する考え方のひとつとしてまとめることができたらいいなと、僕は考えています。
理解力は人それぞれで、「PBM覚え書き」のような思いつきをただ並べただけの中から自分に必要なものを上手く選別できる人もいれば、ある程度体系立てられていないと理解できなかったり、もっと個別具体的な状況を例示された方がいいという人もいるし、直接面と向かって会話して、耳で聞いた方が頭に入りやすい、という人もいるでしょう。
メディアミックスじゃないですけど、同じ事を色々な方法で、媒体で行って、そのどれかひとつでも気に入って理解してもらえたなら、僕はそれでよいです。
いずれかで理解できたならそのまま次のステップに進んでしまうのもいいし、別の見方はどんなものがあるのかなと留まって眺めてくれていてもいいし、そもそも興味がないからと素通りしてしまっても構わないし、どのように振る舞うかは受け取った人の解釈にお任せしています。これは「『あそびば』宣言」で申し上げたとおりです。
いやはや、メイルゲームって、面白いですね。
メイルゲーム始めました。
馬車馬旅団というところの「Code of Ruin」です。
この団体(会社じゃなくて、同人?)のゲームに参加するのは初めてなので勝手がわかりにくかったりもしましたが、なんとか初回のリプライを提出しました。事故ってないといいなあ……。
ということでPCとリプライを。
PC設定
エントリーリプライ
とゆことで例によってNPCにひっついています。ってこれヨーコ様の時とおんなじですやん。
テーマは「傾国の美女に国を傾けさせない」です。
リプライはあんまり時間がなくてざかざかと書いてしまったのですが、見直してみるとこれ、目的がないですね。
自由記入欄のところに「懐刀」などと書いてますし、リプライ本文の最後のくだりは「ただのイエスマンではないと思わせたい」という意図があるんですが、これじゃ伝わらなそうです。やれやれ。
女王陛下も本当に乱心したのか、乱心したふりをしているだけなのかわからず、どっちかっていうと後者のような気がしてならないんですが、行動に絡められませんでした。女王陛下の行動の意図が「乱心したふりをして悪心を抱く者をいぶり出す」というものだとしたらお節介というか、邪魔しちゃってますね。
あんまり考えすぎても仕方ないので、リアクションが返ってきたときにまた考えます。
リアクション発送日は10月30日です。それまでにプラリアでも書こうかしら。
あ、リンクをちょいと整理。
久しぶりに競馬の話と見せかけてメイルゲームの話。
先日、フランスのロンシャン競馬場で行われた世界最高峰のレース、凱旋門賞に日本のディープインパクト号が出走し、三着に入りました。
この順位がいいのか悪いのか、レース運びはどうだったのか、その前の準備はどうだったのか、そんなあれやこれやについてあちこちで議論がなされていて、それらを読んでいると楽しいです。にわかファンの僕にはこのような場所でそれらを云々できませんが、次のテキストが気になりました。
僕は今回の武豊の騎乗については“騎乗ミス”とまで言うのは酷だと思っているのですが、決してカッツミーの言うように「完璧に乗っていた」とは言えないものだと思います。そしてやはり世界の頂点のレースというのは、“ミスとまでは言えない……”というような競馬ではやはりダメなんでしょう。贔屓目無しに完璧に乗らないとダメなんでしょう。これはディープインパクトの武豊だけでなく、ハリケーンランのファロンやシロッコのスミヨンにも言えることでしょうが。この「世界の頂点のレースというのは、“ミスとまでは言えない……”というような競馬ではやはりダメなんでしょう」というのは、多分サッカーや野球といった他のプロスポーツでも言えることなのでしょう。スポーツだけでなく、囲碁だろうと将棋だろうとチェスだろうと、ハイレベルな世界ではちょっとしたミスが決定的な差になるのでしょう。
昨日の風はどんなのだっけ?「一夜明けて、ディープインパクトの敗因を考える」
とまあそんな問題提起をしつつ、現状を振り返ってみましょう。
「メイルゲームはちょっとしたミスや回り道をしても、十分に勝ち目があるゲーム」です。
それと似たものがあるかというと、僕はそれはサッカーのJ2リーグだと思います。
日本のサッカー界のトップがJ1リーグで、J2リーグはその下のクラスにあたります。両リーグは一年に一度入れ替えが行われます。J1の下位2チームとJ2の上位2チームが自動的に入れ換え、J1の下から3位のチームと、J2の3位のチームとが入れ替え戦を行い、勝者がJ1に、敗者はJ2になります。
J2リーグの下にはJFLというリーグがあります。このリーグにはhondaや佐川急便など、企業チームが多くあります。また、JFLからJ2へ昇格するチームはあっても、今のところJ2からJFLへ降格したチームはありません。現状の制度では、J1とJ2のチームが減るということは、チーム自体がなくなること以外にはありません(数年前、横浜フリューゲルスというチームがスポンサーの意向等により消滅したことがありました)。
J1リーグでは負け続けていると下位リーグに降格してしまいます。J2は観客動員数も少なく、日本代表に呼ばれるような選手を抱えにくく、テレビ放送もあまりされないためスポンサーの減少にもつながります。そのためJ1からJ2への降格はとても大きな意味を持ちます。ですからJ1で下位のチームは死にものぐるいで戦います。何よりも勝たなければなりません。なりふりなど構っていられません。少しでも勝ちに近付ける戦い方を目指します。
ところが、J2リーグでは降格がないので、極端な話、全敗しても翌年また同じリーグで戦えます。JFLなどの下位リーグから昇格してきたチームも、J2で一息つけるわけです。チーム状態が悪化してJ1から降格してしまったチームも、数年を見据えてゆっくりとチームを建て直すこともできます(負けが混むことで人気が落ちて経営が行き詰まってしまっては元も子もありませんが)。
ちょっと長い引用になりますが、次の記事を読んでください。
誰もが心の中では理想としているパスサッカーは、わが日本の2部リーグ(J2)においても、その精神が芽生えてきている。おおざっぱにJ2といえば、守備を固めてロングボールを多用するスタイルだと思われがち。数年前にはJ1からやってきた選手やコーチが「あまりにもロングボールが多くて驚いた。セカンドボールの拾い合いばかり」と戸惑いを漏らすことがあったし、04年シーズンの大宮アルディージャは、トップの選手へ一気にボールをぶつけるスタイルでJ1昇格をつかんだ。それがここ1、2年で徐々に変化を見せつつある。野心的な指導者の下、長期的視野に立って攻撃的なパスサッカーを目指すチームが増えてきているのだ。近年のメイルゲームは「原則全員登場」という流れになっていて、どんなアクションでも、キャラクターは一応描写されます。当たり障りのないアクションなら、ほぼアクションシートに書いたそのままという形で「採用」されることもあるでしょう。■パスサッカーを目指すチームが増えたJ2
徳島ヴォルティスは後方からしっかりとパスをつなぐサッカーに挑んでいる。J2初参戦となった昨シーズンの序盤こそ、リトリート(ほぼ全員が自陣に引いてディフェンスする)した上でのロングキックが目立っていたが、「徳島はサッカー未開の地なので、見て楽しいサッカーをしなければ」という田中真二監督の考えから、シーズン中盤以降から今季にかけてはパスサッカーを目指しているのだ。モンテディオ山形も今シーズン就任した新人監督の樋口靖洋が、各方面から高い評価を得ていた前監督の鈴木淳(現アルビレックス新潟監督)が作った攻撃的なポゼッションサッカーの流れをしっかりとくんでいる。山形は序盤こそ出遅れたが、節を重ねるにつれて成果を発揮し始めている。
(中略)
もちろん、そのようにパスを回すサッカーは容易ではなく、これらのチームが必ずしも理想をしっかりと体現できているわけではない。むしろ現時点では、まだまだぎこちない場面の方が多いといえる。だが、ハイレベルな目標を掲げて懸命に挑み、試合内容でファンを楽しませようとする監督、選手の姿勢には非常に好感が持てる。■パスサッカーは結果が出にくい?
これらのチームに共通して言えるのは、総じて順位が高くないことだ。36節を終えた時点で全13チーム中、山形が7位、札幌が8位、愛媛11位、草津12位、徳島が13位という成績である。結論から言ってしまえば、パスをつないで攻めるスタイルは結果につながりにくいといえるだろう。守備に人数を割き、前線にダイレクトでロングボールを当てる戦法の方が負けにくく、勝ち点を得られる可能性が高い。そしてその傾向は、J2ではより一層強いようである。理由としては、やはりそこが2部リーグであるということが挙げられる。J2の試合を見ていると、フリーの選手が簡単にパスミスやトラップミスをしてしまうシーンがあるように、厳しい言い方になるかもしれないが、技術レベルではどうしてもJ1より劣る。そうした中でパスサッカーに挑むのは、危険なエリアでのミスでボールを失う可能性が高いため、相当にリスクがある。だからこそ、リスクの少ないロングボール主体のプレースタイルがJ2には目立ち、そうしたスタイルのチームが上位に顔を出しやすいのだろう。
だが、そんな中であえてリスクのあるパスサッカーに挑むところに大きな意味があるのではないだろうか。こうしたトライは簡単には結果が出ないし、時間もかかる。時には、現実的な戦い方のチームに完敗するという大きな悔しさもある。それでも我慢を続けてチームの成長成熟を待ち、妥協をせずに常にチャレンジをする。そういったアグレッシブな姿勢というのは、ある意味では勝敗という結果を超越した魅力を持っているようにも思う。
スポーツナビ 斉藤宏則「理想を追うJ2サッカー」
誰も負けるゲームなんて見たくないし、だから客足も遠のく。誰も不採用になったリアクションなんか見たくない。だからってそこにいるというだけでは、僕は寂しい。
だから勝つゲームをしなければ、という方法論は
王道だけれど、すべてのチームが為し得ることではない。
31チームあれば、31の順位が付くわけで
それぞれの順位に応じての顧客満足と
付加価値を追及していかなければならない。
缶 詰 に し ん「浦和レッズから学ぶこと。」
マスターを含めたオフィシャル側がすべき努力もありますが、それはまた別の機会に。
耳コピー。
「ひと夏の経験値」。秋口ぎぐる。富士見ドラゴンブック。
《アクション》
「ちょ……」
その声は、もはや奇声と言ってよかった。
自分でも驚きだった。どうやらおれが発したものらしい。自分自身、どこから出したのかわからないような声だった。肺が、喉が、舌がおれの意思を離れている。
「ちょっと待ってください!」とおれは続けていた。
おれの中にいるだれかが必死でまくしたてていた。
「おれの卓、人少ないんですけど!」
(中略)
それは、まったくもって衝動的な行為だった。
だがたとえ衝動的な行為だったとしても、そこにはなんらかの願望が働いていたんだと思う。
おれを衝動的な行為に走らせるような願望が。
一つめ──こちらは非常にわかりやすい。純粋に奈々子と話したい、いっしょにいたい、同じ時間を共有したい、という願望だ。例の取りまきどもが雪乃に対して抱いているのと同じ願望。ただただかわいい女の子と親しくなりたい、というヨコシマな想い。
二つめ──こちらは「キャンペーンを成功させたい」という願望だ。
おれはキャンペーンを展開するためのプレイヤーを募っていた、もし奈々子が参加してくれるなら、おれやタナケンたちは充実した多人数プレイを繰り広げられる。苦労して考えたキャンペーン用の連続シナリオが報われる!
《リアクション》
「まあ、それはそうですが。友永くんのところに入れたら理想ですが」
古田さんが言った。
菜々子は「そうしたほうがいい?」と言いつつ雪乃のほうを振りかえった。
雪乃は目をまんまるに見開き、おれの顔をまじまじと見つめていた。
おれがふだん雪乃にまったく興味を示さないため、雪乃はおれのことをホモかなにかだと思っていたのかもしれない。ホモは言い過ぎにしても、女性嫌いだと勝手に考えていたのかもしれない。
「べつにええんちゃう? あたしは友永くんのマスターでプレイしたことないけど。でも、前にだれかおもろかったって言うてたし」
(中略)
「ええと、ごめんなさい。よくわからないんだけど。毎回、参加しなくちゃいけないものなの?」
菜々子がとまどった様子で雪乃にたずねた。
「友永くんがやんのは続きもんのシナリオやから、できれば来たほうがええんちゃうかなぁ。ナナちゃん、次も来れるん?」
「次っていつかしら。夏の間はこっちにいるから、来た方がいいなら来るようにするわ。今日も遅刻して、みなさんに迷惑をかけてしまったから」
(中略)
「次は六日後ですね」
古田さんが言った。
「ええっと、それなら……」
菜々子は二秒ほどの間、宙に視線をさまよわせた。だがすぐに「それなら参加できます!」と言っておれと目を合わせ、ほがらかに微笑んでみせた。
「いろいろとご迷惑おかけすると思いますけど。混ぜてもらえますか?」
動機:「女の子と一度も付き合ったことがない」「キャンペーンが成り立たないのはいやだ」
↓ ↓
手段: 菜々子をキャンペーンに誘う
↓ ↓
目的:「菜々子とたくさん話し、仲良くなれる」「苦労して考えた連続シナリオが報われる!」
このように、動機と目的を二組用意し、同時に達成できる手段を考えるわけです。
考える順番はどうでもよいです。この小説では一応「キャンペーンを成功させたい」が先にあることになってますけど、メイルゲームのアクションとして考える場合は、先述の通り「NPCと親しくなりたい」というプレイヤーの願望が先に来ることもあるでしょう。いわゆるフリーアクション的な行動をしてみたいけど、それだけだと「シナリオに無関係な行動」になりかねないから、とりあえずNPCを引き合いに出してみる、ということもあるでしょう。NPCとの恋愛に限らず、様々な状況で使える手法であると思います。
アクション、特に手段を考えるときに、もう一つの理由をそこに絡めることでそのキャラの個性を発揮しやすくなりそうです。
もしNPCが好きだという理由だけで攻める場合は、動機と目的が「ありふれたもの」であるため、手段の独自性が重要になってきます。NPC絡みだけじゃなくてもよいです。選択肢名で明示されているような、誰もが注目しているようなところに絡んでいく場合もそうです。そこでありふれた行動をしていても、周囲に埋没しがちです。かといってインパクト勝負の手段は当たり外れの差が大きいです(あえてそこで挑戦したい、という考え方もアリだとは思います)。
一つの行動で独自性を出すのは難しいですが、二つの組み合わせならば確率的にかぶりにくくなります。1バイトの情報と2バイトの情報とでどちらが情報量が多いかっていうと言わずもがなですよね。16進法なら、1バイトでかぶる確率は16分の1、2バイトでかぶる確率は256分の1。まあそんなに単純ではないでしょうけど、傾向として。
もちろん情報量を増やせばいいってもんじゃなくて、アクションシートの紙面が限られている以上、無尽蔵に盛り込むわけにも行かず、二つかせいぜい三つくらいが妥当な線なんじゃないでしょうか。
他人と手を組んで共同行動をするときに、「利害が一致する」という表現をします。それは各人の目的を達成するための手段が一致する、ということです。今回の場合は、他人の目的ではなく、自分の中にある二つの目的を達成するための手段が一致した、という状況です。
動機と目的は自己完結していても構いませんが、手段は物語の要請に添ったものであることが望ましいのです。
Code of Ruinの第一回リアクションが届きました。ちなみにリプライは前に書いたとおりです。
DS2の時ほど念入りにはできませんが、程々に頑張ります。
No.1200「Prunus」&No.121A「Under the rose」
担当マスター:朱天美夜子
「Code of Ruin」や「馬車馬旅団」、「コドルイ」等で検索して来られた方へ。
当サイトの管理人は、ランドシーア王国の騎士であるエア・メサイアというキャラクターで参加しています。
「PBM覚え書き」は、メイルゲームに関することを適当に話題にするごった煮状態のテキストです。「Code of Ruin」に関連する記事は9月30日から始まっています。
諸般の事情により、こちらから他サイトの掲示板やブログに発言をしたり、他のプレイヤーさんにメールを送ったりすることはありませんが、当方に送られてきたメールに対してはなるべくお返事するようにしています。メールリアクションを申し込んでいるので、テキストファイルによるやり取りも可能です。個別はメールでは送られてこないので、お伝えできるのは概要だけになりますが、マスターから特に秘すよう指示があった場合等を除き、どんなものであれ隠すつもりはありません。
メールアドレスは、遭遇者一覧で公開していますし、トップページの一番下にもあります。
直接的な交流はなくとも、同じ世界に生きる仲間として、間接的な交流を楽しませてもらっています。ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
後日注:「ゲーム内入手情報の使用に関して」にある通り、「他の陣営もしくは自陣営が秘匿しており、自PCがリアクション上では知りえない情報に関しては、きちんとした理由付けがない限り使用する事ができません」ので、情報の扱いにつきましては各自でご注意ください。
さらに後日注:こちらからメールは送らないつもりでいましたが、どうしてもやってみたいことを思いついたので、思い切ってメールすることにしました。
リアクションは、それぞれのPCについての描写が丁寧にされている分、PC同士の関係がちょっと薄いように感じたので、そこをもっと盛り上げたいなあ、と思ったのです。
図書館に返す前に。
「アウトローの世界史」。南塚信吾。NHKブックス。
リンク先を見ていただく通り、この本はいつも紹介しているようなライトノベルではありません。かなり真面目に近代史を研究しています。書評によれば「義賊を中心に世界史を読み直し、教科書では決して読めない、人々の生活レベルからの世界史像を提示する」というものです。
ロビン・フッドや鼠小僧次郎吉に代表されるいわゆる「義賊」に着目して、それら「義賊」は実在したのか、実在したとして富める者から奪い貧しい者に分け与える「義賊的な行為」も事実なのか、架空であればなぜそのような「義賊」の物語が求められたのか、なんていう切り口から近現代を研究しているわけです。
この本の中では、数多くの「義賊」が紹介されていますので、その一部を引用します。
「バンディト(bandit)」とは英語で盗賊という意味で、イタリア語から来ています。
- 魔法の指輪を持つ義賊──アンジョリリョ
- アンジョリリョは、本名をアンジェロ・デュカ(1760〜84)といった。イタリアのナポリ近くのサレルノ州サン・グレゴリオ・マグノの生まれ(1734年生まれ説もある)である。大農場の家畜番をしていたが、迷子の牛を巡って農場監督官と争い、バンディトとなった。別の説によると、マルティナ公爵の農場で許可なしに羊に草を食べさせていた甥を助けにいって農場監督官と銃の撃ち合いになり、撃ち合いで馬が一頭死ぬという事件を起こしたとき、公爵の命令で裁判を受けるより、山へ逃げ込んだましだと考えてバンディトになったという。
- 「悪魔修道士」フラ・ディアヴォロ
- フラ・ディアヴォロも、やはりナポリのバンディトであった。フラ・ディアヴォロという名前は、イタリア語で「悪魔修道士」という意味である。このようなあだ名がつけられた理由は、かれが、修道士の知恵と、悪魔の悪意を持っていたからであるという。事実、かれは一時期修道士であったという。
かれは貧しい家庭の生まれで、一九歳のときに罪を犯して、山の中に逃げ込んだ。バンディトの首領として二年間山中にいた後、枢機卿ルッフォの軍隊に加わり、ブルボン家の支持者になった。そして、過去の罪を償うためにサンフェディスタ(一九世紀前半にナポリで活躍した反リソルジメント派の宗教団体)の支持者となり、神の正義を守るために尽くそうとした。- 「復讐者」マンドラン
- ルイ・マンドランは1724年(1725年説もある)にフランスの南東部、アルプス山麓のドーフィネ地方の町で、裕福な商人の家に生まれた。父が1742年に死亡して、その後はルイが一家の主となって商売に励んだ。しかし、1740年に始まるオーストリア継承戦争(1740〜48)で軍隊への御用達の仕事を請け負ったとき、数多くの馬や騾馬を崖からの転落事故や疫病で失った。これにたいして国家の補償は得られず、この後、一家は破滅の道をたどることになった。くわえて、1753年に、兵役を拒否した知人の息子を匿い、追ってきた男たち五人のうち二人を撃ち殺してしまった。こうして、マンドランは逃亡生活に入った。この契機は社会から同情されるものであった。
「盗賊一般と義賊とを区別し、世界史における義賊を歴史学の対象として研究し、その重要性を示した」イギリスの歴史家エリック・ホブズボウムは、「義賊」についての「イメージ」を、次の九つに整理しています。
これらは、アンジョリリョやディアヴォロ、マンドランといった具体的なキャラクターを、抽象的な表現に分解したものといえます。逆にいえば、これらの要素を満たすキャラクターを作れば、リアリティを持った「義賊」を作れる、ということです。
- 同情すべき罪で「悪」の世界に入った。
- 権力の悪を正す。
- 豊かな者から奪い、貧しい者に与える。
- 自衛や正当な報復以外には殺人はしない。
- 不死身である。
- 裏切りによって死ぬ。
- 在地の貴族、聖職者、役人の不正を、皇帝や国王に代わって正す。
- 生き延びていれば民衆の共同体の一員として受け入れられる。
- 民衆社会の周辺に生きていて、民衆に支持されている。
ただまあこれも方向性の問題で、自由設定を細かく考えてからそれを規定設定に落とし込む(キャラメイクの耳コピーはこれに当たります)というのもあれば、とりあえず規定設定を作ってから、リアでの描写とかも含めて細かい設定を考えていくというのもあるかと。むろんどちらか限定というのではなく、ハイブリッドなやり方がむしろ一般的になるのではないかと。ここでは「ハイブリッドなやり方が一般的」とは書きましたが、初心者にとってどちらが活躍しやすいかといえば、やはり前者にウェイトを置く方法であると思います。
ところで。
「アウトローの世界史」というコンセプトも興味深いです。
これは何でも当てはまりますね。「女たちの世界史」「子供たちの世界史」「為政者たちの世界史」「芸人たちの世界史」……それらは切り口は異なりますが、どちらかが間違っているわけではありません。
同じ事象に対しても、視点を変えることで違う解釈ができる。この「解釈の違い」が「個性的なアクション」につながると僕は考えているわけですが、それについてはまたいずれ。
「Code of Ruin」第二回リプライ
女王陛下に対して翻意を持つという噂のアルフォンス卿は複数の愛人を持つということで、女性に対してはガードが甘いと思われます。そのため、愛人の一人に加えて欲しい、などと言って近付き、女王陛下に対して反旗を翻す(つまりはクーデターを起こす)つもりがあるのかを聞き出そうとします。
しかし、媚びる言葉遣いが恥ずかしいのと、演技(嘘)が下手なのと、そんなだまし討ちのようなやり方が自分でも気に入らないのと、これまでのアルフォンス卿の王国への貢献とを鑑みて途中で思い直し、正直に疑いの目を向けていることを告白し、釘を刺すにとどめます。
これで思い直してくれれば言うことはありませんが、とりあえずは女王陛下への反抗運動をやりにくくできればいいと思っています。
「貴兄が王国に対して果たした功績は並々ならない。できれば私もあなたに剣を向けたくはありません」
ちなみにエアとしては、「愛人」という概念を理解しがたい。伴侶は一人であるべきだ、と思っています(王族などが世継ぎを確実に得る為の「側室」であればなんとか許容範囲)。
ところで。
エアは「間違い探し」という技能を持っています。これは「視界に見える人間の不自然な行為を見破ることができます」というものです。今回のアクションで「演技(嘘)が下手」と書いているのは、エアはこの「間違い探し」を使えるから、他人の嘘や演技を見破れる、だから自分の嘘や演技も見破られるだろう、だから恥ずかしく思う、というこじつけを考えました。
これでなんかプラリア書けそうですね。余裕があれば挑戦してみたいものです。